親孝行よりも子供孝行の時代だ 大島一洋「介護はつらいよ」 |
見たり聞いたりして良さそうな動作を自己流で少しづつ足していったらやりようによっては1時間近くなる。
一つひとつの運動は簡単でそれほど負荷がかかるとも思えないが、それだけ積み重ねて毎朝やってると効果はテキメン体重も減ったし腹がクビレてきた。
だが、その分クタビレもしてるんだ、タがよけいなんだね。
家事もそうだ。
トイレの掃除(ミラーに洗面器も)、ベランダの水やり、室内掃除機かけ、風呂場の掃除、洗面所のピカピカ、野菜スープを作って、、、。
ひとつ一つは大したことはない、ついでにちょいちょいの世界だ。
でもそれを毎日すべてやり続けるということは大変だ。
だいたい家の中を行ったり来たりするだけでも足が重くなる(広くもない家なのに!)
でもでも、健康ならいい。
自分も家族も健康なら家事ごときどうってことはない。

だが、いつかは誰しも迎える病気に老化。
壮絶だけど なぜか明るい 小説のような実録横着して本の帯からそのまま転載(仕事を六分に留めることについて後に書く)。
定年退職した63歳の私は、93歳と88歳の両親を介護するために、
東京に妻子を残して単身田舎に帰ることにした。
男ひとりで奮闘した7年半の記録。
マガジンハウスで週刊誌や雑誌の編集に携わっていただけに読ませるツボを心得た文章が内容の深刻さにも関わらず笑いもある実録になっている。
認知症になった母ちゃんがかわいいし、ガンや認知症をいつのまにか克服して100歳を生き続ける父ちゃんも素晴らしい。
面白いだけではなくて大事なところではかかった経費や必要な手続きの詳細なども書いてくれたのは、筆者の
人には、介護する日、される日が必ずやってきます。との思いからだ。
私の体験が参考になれば幸いです
健気だよ、イチヨーさん。
生きているときの介護もすごいけれど亡くなった母ちゃんの法事なども心がこもっている。
俺はそんなにできないなあ。
母が急死したときに弔問に来た俳句仲間が「お母さんは息子孝行をしたんですね」といってた意味がよく分かる。
俺も子供たちに孝行して逝きたいが、、こればっかりはなんともならないなあ。

私は昔から猪瀬直樹が嫌いでした。顎を突き上げ、偉そうに喋る姿をテレビで見ていると苛々した。こんな人だから介護の仕方・やり方についても一本筋が通っていて清々しいほどだ。
それで私は当時、マガジンハウスの「鳩よ!」の編集長をしていたので、編集後記に「猪瀬直樹が嫌いだ」という書き出しで始まる批判を載せました。すると、人を介して「一度挨拶に来い」という指示が届きました。私は「会いたければ、そっちが来い」と返事しました。それだけのことですが、(猪瀬辞任は)二十年ぶりに溜飲が下がる思いです。
介護する自分の気持ちの変化・極私的やり過ごしの方法なども淡々と記されている。

酒なら4合飲みたくとも3合にしとく。
え、六分じゃない?
細かいところはテキギ、ってことで。

政治家は六分なんてとんでもない。
二十割くらいな力を発揮せよ。
泣くときだけ、ダマスときだけ、ってのは許せないぞよ。


小沢さんは、何を思っているでしょうね もうこのままで。。 かな
いまの小沢さんの心境如何でしょうかねぇ。・・・
ところで3枚目のお写真いいですねぇ。・・何かCGのような不思議な魅力が。・・・・
大島さんの御本も読んでみたいと思います。

でもー ちょっとだけ
ちょっとだけ 3日くらい・・・・・
今思うと、よく頑張れたなあと思います。
ただ、燃え尽き症候群状態にはなりましたが・・・。
その分の宿題の重さに、ゼイゼイしているこの頃ですが、実際に介護している方のお話をうかがうと、何も言えなくなりますです。
不思議ですね。
私は一瞬が好いです、後のことなどどうなろうタイ^^。
地獄の入り口も金次第。
ほっとする一面ね。
私は毎朝仏壇に感謝とお詫びを欠かしません。
時間は日によってかなりずれます。
小沢は正解再編成に動き始めたようです。
政治は数というのが彼の信条ですからね。
もっとも先行きは難関のようです。
昨日は少し早かったかなあ。
「あなたは自分が最後まで生き延びると思ってるんだねえ」とあきれられますが、そうでなくては夫が可哀想、ナンテ、ホントに。
目下のタイヘンは実家の両親ですが、佐平次さんのような夫だったら母も楽だろうなあと。

妻も仕事を辞めて、手伝ってくれました。
若かりし頃の、私に対する怨念が随所に出てくるのには
少々、ウンザリしましたが、納得のいく看取りだったように
感じています。後は、90過ぎの義父ですが私と同時介護を
受けなければならないでしょう!
人様の前で、裸を曝す時胸筋や臀筋の垂れ下りが気に
なりだして、ボディ・ビルを再開しだしました!!!
その代り、妹と交代で毎日母の顔を見に行きました。時々家に連れ帰ったりして。
結果はよかったですよ。母は施設の方々に可愛がっていただきました。「可愛いばあちゃん」を演じきった母は、実は賢かったのかもと思っています。
しかし、家で看てあげなくてごめんなさい、と後悔の念は今も付きまとっています。介護はどんな形を選択するにしても大変なことです。
もう、じきに自分がされる立場となりました・・・私には面倒見てくれる子がいませんから、突然死を願っているのですが(そうはいかないでしょうねぇ)
この本、どこかで捜して読んでみます。猪瀬元都知事の話も面白そうです。
昨年の夏、寝たきりでまったく動けなかったのは数日だったのに、本当に足腰が弱くなって、10分位歩くのもかなり大変でした。寝たきりっていうのは簡単にできるものなんだって実感しました。
猪瀬の話も、痛快ですね。
心の支えがあるのでしょう。
母も突然で病院から施設に。
両親には何もしてやれなかった。
義父に対しては、やり残したことは無いと思っています。
義母も自分で限界と思うまで一緒に暮らしたので、後は施設に通って。
私のわがままな選択だったと思うけど、自分が健康である間、少しの自由が欲しかったし、私たちの老々介護も視野に入ってますもんね。
義母が一番長生きするかも?!と家人談だけど、寿命何て分かりませんもんね。
今は一日を大切に積み重ねたいです。
↑昨日、ぷっくり新鮮なホヤを食べました。
そちらのお店でホヤがあるのは、珍しい?
それでも介護してくれる人がいる、する相手がいるというのは幸せなことかもしれないです。
さいきんはめったにホヤは見られません。
食べない人、知らない人が多いようです。
ホヤを食ってビールを飲むと口の中に何とも言えない甘さが広がりますね。
昨日は日本酒でしたがそれでもうまかったなあ。