患者本位ということの意味 最相葉月「セラピスト」
2014年 06月 30日
歩数156歩は6月の最少記録だ。
読んだ本はこれ、「絶対音感」を読み始めて途中で放り出して寄贈した思い出がある。
その頃の感想メールを読んでみると「つまらなかったのではないが、他に読みたい本があるので、」と書いている。
筆者は自らカウンセリングを受け、3年間の臨床部門を併設する心理職のための民間研修機関を修了し本書の取材を重ねる。
その動機を、
守秘義務に守られたカウンセリングの世界で起きていることを知りたい。人はなぜ病むかではなく、なぜ回復するのかを知りたい。回復への道のりを知り、人が潜在的にもつ力の素晴らしさを伝えたい。箱庭療法と風景構成法を窓とし、心理療法の歴史を辿りたい。セラピストとクライエントが同じ時間を過ごした結果、現れる景色を見てみたい。と書いている。
5年間、約90回にわたってほとんど同じような箱庭を作り続けた発達障害の男の子が、中途失明して自分が二つの人格に分裂していくような怖れをいだいた女性が、どのようにして箱庭療法によって変わっていったのか、筆者自身は中井久夫の家に通って風景構成法をやってみて何がわかったか(彼女の描いた絵が口絵写真になっている)。
ユングの教え子にして日本に箱庭療法を創始した河合隼雄の独自性・偉さ、風景構成法を取りいれることによって不治とされていた統合失調症の寛解過程を明らかにした中井久夫の凄さ・彼の”患者がしゃべるまでは、いつまでも沈黙して寄り添う”診察・治療法のユニークにして感動的なありよう、、。
多くの実例をあげながら日本の心理療法を開発してきた人々の(魅力的な)横顔と歩みを紹介する。
言語は因果律(←フィクション)、ときに妄想を秘めているから、言語を主体に接する治療は威圧感を患者に与える(中井)。
日本人は言語化するのが苦手な民族なんや(河合)。
「真っ直ぐにきちんと逃げずに話を聞く」ということ、これがなかなか社会の中で行われていない、これは家庭の中でも行われていない、会社の中でも行われていない、友人同士でも行われていない、それをわれわれ(臨床心理士)はきちんとするということだと思います(河合)。
精神病理学の歴史は、患者の言語の歪みを切り取って妄想と名付け、これがいかに歪み異質であるかばかりに着目してきたけれど、臨床においてはむしろ、言語的であれ非言語的であれ、治療者と患者がいかにして交流を可能にするかのほうが重要である(中井)。
そうするうちに患者がポツリと一言漏らす。
そんな治療法が現在は不可能になっている。
箱庭療法や風景構成法も忘れられつつある。
それは爆発的に増える患者数。
DSMなるアメリカ由来の画一的診断法(薬物治療法)。
3分診察。
患者も変わってきたという。
「悩めない」、なにが問題なのか分からない、ただ”モヤモヤする”、内面を表現する力が落ちている若者。
「自我」のあることを前提にした診察・治療が無力になってきた。
人間関係を個人的な水準のみではなく、非個人的な水準にまでひろげて持つようになると、その底に流れている感情は、感情とさえ呼べないものではありますが、「かなしみ」というのが適切と感じられます。もっとも、日本語の古語では「かなし」に「いとしい」という意味があり、そのような感情も混じったものと言うべきでしょう。河合隼雄の言葉、人間存在の底に潜んでいるかなしみ、ということか。
治療が成功した時に、患者は孤独感や哀しみを感じることがあるそうだ。
「治して欲しくない、ただここに来たかった」と言う患者もいると。
患者と治療者は手を携えて深いところへ降りて行かなければならない、同行二人。
セラピストはなによりも自分自身を分かる必要があるのだ。
しんどい世の中になってきた。
それだけにこうした本の意味もあるのではないだろうか。
新潮社
心理療法について取材した、最相葉月のノンフィクション。 風景構成法を考案した精神科医・中井久夫や、箱庭療法を国内に拡めた心理学者・河合隼雄など、練達のセラピスト(治療者 ...... more
箱庭を作る代わりに、ラジオを聞いたり小説を読んだりで精神の健康を保つ、こういう理解は浅はかでしょうかね。
箱庭を作ることで心の病が治ることもあるというのは知っていましたが、本書でその実際を知りました。
これ、実感します。怒っているや嬉しい時はとことん説明する気になれても、傷ついたり哀しいときなどは言葉になりません。言葉にするしかない、というのは呪いかと思うことがあります。
ところで、「セラピス」って、病院における「ホスピス」の(奉仕の)精神しかり、「癒し」の精神のことでしたかしら・・・?
我慢できなくて身体が動いたんですが、、。
がまんできないときはどうすればいいのでしょうか?
っと医者に聞きたいところですが、聞けませんでした。
20年来の歯医者ですが、変えようっと思いました。
「セラピスト」アマゾンに発注したので楽しみです。ただ,感想が書けないなー。私は。
増え続ける患者に医者の数が足らなくて、診察も変わっていくということもあるのですね。
私の3人の子どもの内、2人(長男、長女)が中学校で不登校になり、その時、数人のカウンセラー(セラピスト)にお世話になりました。
その時の経験をもとに、長男は臨床心理士になりました。
と、いうわけで我が家では、セラピストは身近な存在です(笑)
息子が直接、間接に指導を受けた先生たちが沢山登場されているので購入したのですが、非常に丁寧かつ真剣な取材と体験に裏打ちされた本で、本当に面白かったです。
最相さん自身の悩み(症例)が、どう治療されてゆくのか、推理小説の様な面白さもありますね。
子供達のカウンセリングの途中で、私も一度だけですが箱庭をやったことがあります。
あれはスゴイです。
向き不向きもあると思いますが、私の場合は向いていたみたいです。
「ああ、私はこんな事を思っていたのだ・・・」 と気付かされ、ある意味ちょっと落ち込みましたが、自分を見つめ直すよい契機になりました。
「こんにちは」とあいさつだけして、足をぶらぶらさせながらそばに座って吹く風を見ている。
おじいさんの見ているものは私にはわからないけれど、そばにいるのがなんだか心地よい…
そんな情景が浮かびます。
ついこの間まで身近にそんな空間があったような気がする…のは気のせいでしょうか。
『絶対音感』『青いバラ』なんとか最後まで読んだ記憶(^^;があります。
先生、虫の居所が悪かったかな、虫歯だったりして^^。
児童扱いしてすみません。
見守るセラピスト、訓練と経験によって熟練した、人間的な適正のある人との相互作用だと言います。
もっとも縄文時代とか古代にはどうかな、やはり近代になってから顕著な病なんでしょうね。
現代の精神医療は荒廃していると言いますね。
多くの人が自身または近辺に心を病んでいる時代ですね。
私も箱庭には興味があります。
自分が上がり症でどうにもならなくなったときにお世話になった(書物で)森田療法とも関係があったのではないかな(いまググってみたら関係ないかもしれない)。
亡き妻が勉強しようとしてました。
だからそうしてあげると心に触れることができる(かも)しれないというのですね、中井とか河合は。
コメントありんがとうございました。
私は、病気で、いつも1時間以上待って、3分診療です。
「変わりないですか」と聞かれ、「調子いいです、変わらず」と答えるだけです。「変わりないです」というだけの患者は、危ない、とどこかで聞きました。なかなか心を打ち明ける先生に出会えません。打ち明けると、病気がひどくなったと、勘違いされます。そういうものですよ。悲しいかな、・・。これからも、よろしくお願いします。
患者と治療者は手を携えて深い所へ降りていかなければならない。
同行二人。…深いですね。患者と真摯に向かう精神性が感じられます。そして、またこの御本読んでみたいと思いました。
逢ってみれば不良老人そのもの、あきれてしまうでしょう。
話好きな先生なので雑談すればいくらでも話し続けていますが、他の人とそうした結果が90分待ちになってると思うとついつい『別に』で血圧計ってクスリ貰って帰ります。
患者の数が多すぎるのですね。
今どのくらいの医者が?
「患者と治療者は手を携えて深いところへ降りて行かなければならない、同行二人。
セラピストはなによりも自分自身を分かる必要があるのだ。」
このことを私の信頼するドクターも言いますが、究極のところでは何か大きなものにゆだねる(特定の宗教ではなくても)ところにつながっていくのだろうと思います。
驚いたのは学生時代の教育心理学の教授が登場したこと。しかも、友田不二男氏はカウンセリング普及に結構な役割を果していたことを知りました。インパクトがあったので覚えていました。
先生は年度のスタート時、教室に現れて一言も発することなくただ椅子に座っているだけ。翌週の授業も黙して座っているだけ。
三週目になると、学生から「先生が沈黙している意図は何か。話し合おう」という意見が出て議論し始めた。
四週目に、『自主性』という講義が始まった。
本書にかかれている背後にどれだけの物語があることか、と畏怖の念を感じます。
「第3章日本人をカウンセリングせよ」で心底めげそうになりましたが(^^;なんとか今しがた読み終わりました。
で、saheiziさんのブックガイドを再読してそうそうそう言うことが書いてあったのよねとあらためて感心(失礼!)。
医学者であるのは知っていたけれどエッセイストとしてのほうが私にはなじみのある中井久雄氏が、ドクターズドクターと言われるほどの存在であるのが新発見でした。
河合隼雄・中井久雄両氏の人間味あふれる人柄がよくわかって、納得できることが多々ありました。
ご紹介ありがとうございました。
ありがとう。