教養無き政治家どもが世界を壊している 四方田犬彦「先生とわたし」
2014年 06月 28日
四方田犬彦、「月島物語」が面白かったかな、「われらが<他者>なる韓国」は少しだけ分かった。
ときどき映画評を読んだ。
名前も難しいけれど書いていることも難しい人、という印象があった。
せんじつ紹介した「師父の遺言」と「間取りの手帖」と一緒に、この本も貸してくれるという人に「う~、四方田か、難しくない?」と言った。
「面白いですよ」の一言。
1972年、あさま山荘事件の直後、四方田がちょっと遠回りして東大に入ったものの何をしたいかがはっきりせずに読書と映画にふけっていたときに、由良君美(ゆらきみよし)なる助教授が『メルヘンの論理』という全学共通ゼミを開講する。
『映画批評』とか『季刊フィルム』などに、とうてい映画批評とは思えないような哲学的批評を発表していて、この人は表向きは英文学者という肩書をもっているが、その枠を越えて驚異とか崇高といった世界に通じているのだなという感想を抱いていた人物のゼミに参加して、由良に惹きつけられていく冒頭の部分で一気に「面白いですよ」の世界に突入した。
ゼミ志願者が多すぎたので大ホールで選抜試験をする。
百人ほどの学生が席についている会場の壁を震わすかのように、ワグナーの『ワルキューレ』が鳴り響いている。
先輩のゼミ生が配った問題用紙には赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこが面白いかを分析せよとだけ、記されていた。
四方田が後に記号学を駆使して『漫画言論』を著した初発の契機だという。
8人の合格者の一人となった四方田が参加したゼミの様子が、大学の授業にはほとんど出たこともなかった俺には、変に懐かしいような眩しいような、、、しかもそのゼミは当時の東大ではお目にかかれそうにない先端的な内容なのだ。
文学の研究は確固とした方法論に基づいてなされなければならないという信念、日本の私小説的な風土が醸成してきた体系のなさと、それに発する印象批評を深く憎み、 小林秀雄は脈絡のない感想を特権的な場所から述べ立てている文壇人であり、吉本隆明は出鱈目な理論を好き勝手に援用している野人にすぎなかった。四方田はつげ義春の漫画『ゲンセンカン主人』における分身と地母の問題を分析し、坂口安吾の『桜の森の満開の下』における宿命の女を論じる者がいた。
分身といい地母といい宿命の女といい、由良の講義するところの「神話原型」なのだ。
先輩ゼミ生や、選抜試験に落ちた学生も交えて共同体的に行われるゼミ、時間後は由良の部屋に移り、さらに焼肉屋に移り、、議論は続くのだった。
東大にいればすべては安心、その東大にあっても本郷は駒場に対して優越感を持って接し派閥や教師の覚えを大事にするような空気の中で由良は東大出ではなかった。
同年のスタイナーとは個人的な親交も厚かったが、エリオットを批判して英文学会を追放されかななかった。
ダンデイな貴族趣味の由良の生い立ち、両親の生い立ちも述べられる。
父・由良哲次の人間像も面白い。
優秀な学者とその最愛の弟子、由良と四方田だったが、徐々にその間にひびが入り、さいごは決裂に至る。
その間の由良の信じがたいような(アル中か)言動が描かれる。
「間奏曲」と題した章で四方田は教師と弟子の関係について省察を加える。教師は当座に要求されている知識を切り売りするだけではなく、みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する。この行為が学ぶ側にも理解され、両者の間に人間的な信頼関係がうち立てられたとき、彼らは師と呼ばれ弟子と呼ばれることになる。教師も弟子も実践し、体験して成長していくのだ。
ジョージ・スタイナーの『師の教え』と山折哲雄の『教えること、裏切られること』に描かれているいくつかの師弟関係、その分類が面白い。
師・フッサールを裏切るハイデガーとそのハイデガーと越えてはならない一線を越えるハンナ・アーレント。
ハイデガーの復権に力を貸すアーレント、、。
また読むべき本が増えてしまった。師とは過ちを犯しやすいものであるスタイナーの言葉に含蓄を感じる四方田。
それは長年教師をしてきた自身の感慨であり由良を貶めるための言葉ではない。
由良の人間的な弱さ(そういうものと無縁な人はいない)を忖度し、それに共感を向けることができなかったことを後悔しているのだ。
由良君美という存在の再検討は、かつては自明とされていた古典的教養が凋落の一途を辿り、もはやアナクロニズムと同義語と化してしまった現在、も一度人文的教養の再統合を考えるためのモデルを創出しなければならない者にとって、小さからぬ意味をもっているのではないだろうか。そして由良君美の研究室に成立していたような親密で真剣な解釈共同体の再構築が必要だ、という四方田、そのとき旧来の師という観念がどのような変貌を遂げることになるかは、まだ予想がつかない。だがいずれにせよ、人間に知的世界への欲求が存在しているかぎり、師と弟子によって支えられる共同体は、けっして地上から消滅することはないだろう。結語である。
意味も論理もめちゃくちゃな言葉が跋扈する政治の世界、彼ら権力者どもは教育改革の名のもとに一層教養無き愚か者の大量促成栽培をたくらんでいる。
本書を読ませたい、読みっこないだろうが。
そうそう!由良は梟が好きで膨大なコレクション(本はもっとだが)があったそうだ。
新潮社
この本も読んでみたいと思います(^_^)
openは梟好きで・・・(これには面白い逸話があるんですけれど)梟コレクションをしていましたが、それをやはり梟好きの長男に全て委ねました^^
梟にやたら反応してすみません><;
本書はその点はかなり読みやすかったです。
いままで知らなかった世界を見せられて複雑な歓びを感じています。
ヒステリックな反発が先立つのですね。
一度映画で見ましたが、粋な小料理屋に出没してましたね。
ラジオから今日は6時から官邸前で
安倍晋三が進めている
集団的自衛権の行使容認に向けた
憲法解釈変更への反対の決起集会があると言っていました
お天気悪そうですね
雨と雷が収まっていればいいのですが
私などはその前に眠くなってしまいます。
夜中に目が覚めてもなかなかちゃんとした本は読めないから日記とか旅行記の拾い読みです。
今夜は今のところ天気はもっていたようですが、、。