わしらはユルミの木でなければならない 小林甚三「小説 くじら学校」
2014年 06月 21日
とくに零細な塩田経営でタツキを立てていた三つ屋浜集落は塩の専売制度導入により、自分が血を吐く思いでつくった塩を自分で買わなければならなくなり、その値段はとうてい払いきれないほど高いものだった。
魚にたっぷり塩をしてそれを女たちが山の中の集落で売ってわずかな生計の足しにしていた。
それすらできなくなって、それまで遠い村の人々との間にできていた濃密な人間関係すら喪失してしまう。
新鮮なイカがあっても塩辛も作れないのだ。
日々の暮らしすらかつかつな人々。
幼い子供たちが岡谷の織物工場に働きに出て結核を得て帰ってくる。
子供たちに教育を!
村の財政は赤字、支出の9割近くが学校運営費。
設備は整わずボロボロの学校、それでも家業の手伝いをしながら、あかんぼを負ぶい(授業中におしめを買える)、夜学でもいいから教育の火をともし続けたい。
郡の画一行政はそれを許さない。
村の合併を進め、その上で一村一校を推進する。
近くにあってさえ通えない子供が多いのになぜ遠い学校まで通えるというのだ。
あかんぼを連れてくるのも夜学も許されない。
郡や村当局との対立も辞さず自分たちの集落に残した学校は非公認、すなわち「御真影」が下賜されない。
校舎の移転は失敗し建物は使えなくなる。
ここを先途と村の公認の学校に統合を進めようとする権力、迎合する又はせざるを得ない人たち。
そこで敢然と戦う男が主人公だ。
学校を存続させようとするすべての人たちの字義通り血のにじむ努力が虚しくついえんとしたとき、
天佑神助としか考えられない(その理由を筆者はあとがきで潮の流れや捕鯨の知識をもとに説明する)シロナガスクジラの出現。
巨大なクジラをどうやって浜に引き上げ解体したか(または不十分にしかできなかったか)。
クジラを解体して得た収入で学校は救われる。
クジラ引き揚げ・解体作業を前にして主人公は重立たち(村の役員=昔の網元)に必要な物、食料・薪、一切合財を重立たちが提供して、なお自分たちの報酬は一切なしとしたいと提案する。
先に立つ者たちが冷静で無欲であることだけが神仏の味方を得られる、と信心深い(かつ現世欲も深い)人々を説得するのだ。
誠実な調査、取材が作品に力を与えている。
今日本という国があるのはそういう苦闘があってのことだ。
それなのに安易に教育改正を叫ぶ者たちに教育の原点を思い知らせたい。
塩田整理、行政改革など明治の近代化政策を推進する「お上」の無道・無慈悲・机上の空論・現場をみない通達至上主義、、。
これらに現在の日本の政治と行政のありようを重ねて、警鐘を鳴らしたい。
それが自らに課せられた使命だという強い自覚が本書を世に出した。
強い憤りと憂国の想いが感じられる。
「わしらはユルミの木でなければならん。、、、主人公が村人に語った言葉、それを筆者は書いてくれた。
浮いた金に目を奪われてはならん。ユルミの木を見るがいい。ユルミの木は春になっても、夏になっても、決して、冬の風の強さを忘れていないではないか。冬の嵐は、毎年、毎年、必ずやって来るんだ。
長野に住む友人が俺を紹介してくれたのだ。
1941年生まれ、幼くして長野市に移住、長野工業高校卒、日本ステンレス(株)入社後国立長岡工業短大を社内留学、会社合併による住友金属を退職後、新潟県上越市に戻り郷土史を研究。
14年の歳月をかけて本作を完成。
ファーストワン
そうして家や土地を守ってくれるのです。
saheiziさんのお友達の事、鯨波、直江津,此の時代、飯山に住んでいた私の修学旅行だった新潟の地が身近く感じ、又1冊の本を知る事が出来て嬉しいです。
専門用語らしく、PCで検索しても出てこないのですが、福祉や教育、あるいは自治を公的機関に任せるのではなく、小さなグループ内で楽しみながら負担することを意味することらしいです。
私もこの考え方に賛成です。
お地蔵さまとよだれかけにも興味津々ですが、水神さまにも同じくらい探究心が湧いてきます。
水の神様といえば弁天神、住吉神、厳島神、氷川神あたりが妥当なのですが、何故それらの神様を勧進せず、敢えて水神を祀ったのかが気になります。
都区内にも、水神を祀る祠はたくさんあるので、こちらのほうも探索せねばなりません。
ユルミの木は、エノキなのですね。
ルナと時々散歩に行く河原公園に、大きなエノキがあります。
昔は子供たちが上って遊んでいたみたいです。
今は、木登りする子供見かけない・・。
いい言葉ですね・・・。
とうてい楽しんで、というような状態ではなかった。
それを行動に移して頑固なまでに戦いましたね
それも庶民のために みんなが向上できるようにって
そういう人達のおかげで今の日本が出来上がっているんですよね
その辺のところ我々はもう一度振り返って
今の世の中 今の日本人 今の政治を考えたいです
これからの日本を思うにつけ
こういう方々の心意気をご苦労を大切にして欲しいと思いますね
そういえば、かの零式艦上戦闘機(皇紀?0年製作だったから「ゼロ戦」)に初めて使われた強力ジュラルミン(超々ジュラルミン)を苦心惨憺の末作り出したのは、たしか「住友金属」(現在の新日鉄住金)だったかと・・・?
薄汚いヤジをとばす都会議員、インチキな説明でしゃにむに日本を戦争が出来る国にしてしまおうとする国会議員、学者を金で縛っていい加減な薬を売ろうとする一方で残業代ゼロを強行しようとする財界のリーダー、、あまりにもひどすぎる現状です。
少しでも多くの人に読んで欲しいです。