こむら返りが一瞬の悟りを運んできた 高橋源一郎「銀河鉄道の彼方に」(2)

なんか蒸し暑いね。
朝方、ふくらはぎが猛烈なこむら返り、「足揉み」はしっかりやっているのになあ。
足の痛さを庇いながらもまだ眠いのは夜中に起きてテレビを見たりしたからだ。
サッカーではない、単に気分転換であちこち、じつにくだらない番組ばかりなので3時前にベッドに戻って「唯識」の本を一時間ほど読んでしらじら夜明け。
アーラヤ識、自分の命は自分の意思を超えたところから、すなわち無限の過去からつながっている。
マナ識、「我癡=無明」(空=無我を知らないこと)、「我見」(私というものがあると思っている)、「我慢」(そういう私というものを価値があると思い誇りにする)、「我愛」(深層エゴイズム)の4つの煩悩があり、それが心の底で凡夫(ふつうの人間)をコントロールしている。
こんなのを読んでいいるうちに、
スヤスヤ、、。
そうしてウ~ムと手足を伸ばしたら、激痛!
足の痛さをだましだまし、もう一度目をつむると激痛の前に見ていた夢の続きらしい。

この痛みは悟りの核心だ、これを大事に大事にしていると悟りに近づく!
俺は今悟ろうとしている。
この瞬間こそ俺の再生のトキだ!
温かい気持ちが溢れる、、ああ、悟りだ。

と思ったら、サンチの吠え声、、ああ、悟りは儚く消えていった。
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『銀河鉄道の彼方に』(高橋源一郎)↓の中の文章が心に残っている。
『男』(宇宙でいちばん孤独な男、どうやら宇宙の果てに行こうとしている)は、真の悲しみとは、ただなにかを失うことではなく、それが存在していた時に自分を浸していた豊かな感情が再現されることだと気づいた。その誰かを失うことは、苦痛であったが、耐えることができるような気がした。けれども、この、豊かな感情の記憶にだけは耐えることができないような気がした。
なんとなくわかるなあ。
”豊かな感情”とは具体的な事実にまつわる、歓びとか幸せ、苦しみ、悲しみなどと名付けられるようなものではなく、それらすべての底に流れていたような”深い・豊かな”感情。

豊かであれば豊かなほど思いだすことは歓びであるとともに悲しみでもある(今はないのだから)。
がさつな俺でもときどきそんな感情の再現にとまどうことがある。
これも空、迷妄なのだろうか。
こむら返りが一瞬の悟りを運んできた 高橋源一郎「銀河鉄道の彼方に」(2)_e0016828_12313999.jpg

Commented by unburro at 2014-06-15 00:43
こむら返り!
私も最近、多いのです。水分補給が大切らしいです。

あの、脚が攣っている間って、走馬灯のように色々な想念が駆け廻りますよね。 
今まで誰にも話した事はないけれど・・・saheiziさんの悟り?の一歩手前の感覚!ちょっと分かります(笑)
Commented by jarippe at 2014-06-15 06:26
わっ 痛そう!!
それを悟りの境地になさるだなんて
saheijiさんならではですね
豊かな感情・・・・・難しいです
わかるようなわからないような
深い思いって辛いことが多いように思います・・・・・
だってそれって伝わりにくい 伝えられないですもの・・・・
Commented by 散歩好き at 2014-06-15 09:00 x
宮沢賢治は高校生の時法華経を読み感動して信者に成ったと言います。父が熱心な浄土真宗の信者で時の高僧「暁烏 敏」を呼んで説教を聞いていて小学生の賢治がズーット宮沢家に来るときは世話をしていた。と言います。自己が強くないうちに教えを請わないと理解できないことかもしれません。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 10:58
unburro さん、あんなに痛いのにまどろんで夢を見るということが不思議でした。
一日たった今でも歩き始めは痛いです。
Commented by sweetmitsuki at 2014-06-15 10:59
こむら返りは脱水と、それに伴うミネラル欠乏が原因だそうです。
即効性があるのは湿布薬で、わが家には常に常備があります。

それと創価学会について述べたとき、法華経そのものが他の仏教とは異なるという旨のコメントをしましたが、宮沢賢治も法華経の信者でしたね。
あれは言い過ぎでした。
訂正します。済みません。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 11:02
jarippeさん、痛がりながら夢を見て、その夢が悟りの夢だったのです。夢だけなら高僧かな^^。
人や物自体を失くす悲しみより感情に満たされたたときに、その深い感情の喪失感が辛い、というのはよくわかります。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 11:03
散歩好きさん、井上ひさしの「イーハトヴォの劇列車」で賢治と父が宗論を戦わす場面は愉快でした。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 11:05
sweetmitsuki さん、寝る前も夜中も起き抜けもたっぷり水を摂っているのですがね。
血流が悪いというからももみほぐしもしょっちゅうやってます。
Commented by 熊伍朗 at 2014-06-15 11:09 x
愛する人達を失ったことは悲しいのですが、失ったから悲しいのではなく、その人達ともう会えない・話せないことが悲しいです。そしてその人達が生きていた時の優しさや喜びが甦ってきては涙します。
そんな感情に似ているのかな?
残された者の深い悲しみに時々耐えられない時があります。
心静かに、どんな感情にも流されないことが悟りなのでしょうか?
時々思います・・・なんで心なんてあるのかと・・・。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 11:13
熊伍朗さん、ホントに何か不意におとづれる感情の記憶・手触り、無性に切ないです。心の構造を明らかにして修行によって苦しみを無化するのが仏教でしょうか。
Commented by 豆ママ at 2014-06-15 12:29 x
知人が、足のつりにはツムラの漢方68番「芍薬甘草湯」がよく効く、と申してましたが・・・予防にもなるそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 13:06
豆ママさん、試してみようかな、漢方薬局によく『足がツル』みたいな神札が貼ってありますね。
Commented at 2014-06-15 15:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-15 22:24
鍵コメさん、水もがぶがぶに近いほど呑んでいるし、血行を良くするためのストレッチとか足揉みもするし、いろいろやっているけれど出る時は出てしまいます。
漢方も一度試したような気がしますが。
まあ、日常生活にさしつかえるというほどでもないので警鐘としてうけとめています。
Commented by at 2014-06-16 06:46 x
「豊かな感情の記憶」のお話、なるほどと思いました。
日常的なはかない契機に蘇るんですよね。

高橋氏は物の本質をつく方です。
Commented by saheizi-inokori at 2014-06-16 10:54
福さん、そう、不意の訪れ、用意がないから参ります。
図書館で予約した本を借りて帰ろうとしたら、「話題の本」とかいうコーナーにあったのが本書。
厚いのでちょっと迷いましたが借りて良かったと思いました。
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by saheizi-inokori | 2014-06-14 12:31 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori