がっかりした山田洋次作「頓馬の使者」 第551回「落語研究会」
2014年 05月 31日
バラはほとんど終わった、代わりに青々と木々が繁っている。
ブログと読書、夕方シャワーを浴びて半蔵門・国立劇場の「落語研究会」。
今日は先代小さんの弟子(およびその弟子)集合だ。
台所鬼〆「狸の鯉」
花緑の弟子。
変わった名前、実は先代小さんが気に入った名前で柳家一門の誰かに名乗らせたかったのだという。
狸の感じがよく出ていて楽しかった。
狸の化けた俎板の鯉、早く逃げろよとハラハラした。
帰宅して夜中に聴いた小さんのテープ、ははあ、大師匠のを勉強しているんだ。
喬之助「道灌」
柳家では噺家修行の最初に習う前座噺が『道灌』。
喬太郎が『落語こてんパン』という本で、
将来『道灌』でトリをとれるようになるのが夢である。、、(略)お客様達に充分な満足感を味わってもらって、その日の興行を終えるのが夢なのだ。ことさらなケレンなど無しに、である。と書いている。
ハハハッ、いやはやたぶん生涯、無理だ。しかし存外、『道灌』でトリを、、なんて考えている、そういう噺家は多いのである。
もちろん、特に、柳家に。
トリではなかったが小三治の「道灌」に感心したことがある。
そうだ、横浜で聴いたこれも好かった。
さて、喬之助、うーむ、どうして面白くないのだろうか。
市馬「笠碁」
このところ、よく聴くネタだ。
良くも悪くも市馬のあっさりしたおおらかな人柄が出た楽しい噺になった。
碁仇と喧嘩して碁が出来ずにイライラしていると、番頭が「お退屈でしょう?」と愛想をいう(この番頭と旦那の関係がいつも面白いのだ)。
見りゃわかるでしょう!ただ息してるだけなんだよ。同じ隠居だけれど、することがいろいろある(家事も含めてだけど)俺はシヤヤセというべきか。
することがないってつらいねえ。
権太楼「短命」
「いい女だね、アレ。後家になると何とも言えないいい風情だ」
「ああ、俺もカミさんを後家にしたい」
よく聴くジョークを権ちゃん流に決めて本編に。
勘の悪い八がやっと短命のわけを覚って、手真似でいろいろやると、
手え、やめなさい!研究会なんだから品よくやりなさい。隠居がおかしかった。
山田洋次が先代小さんのために書き下ろしたという作品。
マクラで小さんとお上さんの夫婦喧嘩の実相などを振ってネタに。
友だちに誘われて吉原に行ったのがバレて家を追い出された八五郎。
追い出した女房のお菊が流行病で死んでしまう。
それを八五郎に知らせに走る熊さんが、隠居から「いいか、遠回しに話をして八の心支度ができたら肝心の話をするんだぞ」といわれたもののいざとなると四苦八苦。
さいごにお菊の死を知った八五郎のセリフは?
サゲのセリフが途中から予想できてしまった。
落語というものはそんなことは当然、分かっていて噺の運びを楽しみ味わうものだ。
なのに、サゲが予想できたとたん、噺の命が失せてしまった。
決してさん喬が下手だったというわけではない。
これは原作が悪いのだ。
熊と八のやり取り、熊の四苦八苦がそもそも面白くないのだ。
サゲだけに頼っている噺、そのサゲが見えてしまったら、ただ長い噺になってしまう。
八五郎のお菊を想う気持ちの複雑さというものも聴いているこちらが勝手に想像するだけの噺、それほど深い味わいはない。
期待が大きすぎたかな。
午前と午後、併せて19000歩。
同じ山田洋次作品なら、『真二つ』にして欲しかったと思います。
来月の主任、あの人ですか・・・・・・。
京須氏、ネタ選びも人選びも、老害の影響が出てきたかな。
藝大の毘沙門天&吉祥天、見てきました。ありがとうございます!
帰りの駅までの道でオジサン二人づれの一人が「京須が悪い、小三治も花緑も当代小さんもみんな失敗している噺だ、原作がどうにもならない」と文句を言ってました。
よほど、いっぱい付き合ってくれ、といおうかと。
法隆寺から来た夫婦、よかったでしょ^^。
産地まで行かないで食うのですからしょうがないかと思ってもなお。
以前群馬の田舎で大根をいくらでもタダでやるから持って行けと言われて一同狂喜したことがあります。
私も落語を楽しみながらもこっちが好きだこれは少し趣味じゃないなどと素人談義が楽しさを増すような気分です。
小野小町の絵のくだりの代わりに四天王を出すのが金馬系統らしいですね(喬太郎本からの受け売り)。
今落語家で言うなら、小三治を別格にして、喜多八、雲助、一朝、新治、、ああ、とても4人では収まらない^^。
八つぁんが「競馬・競輪・酒・麻雀」と並べて「この頃の道楽の四天王」と混ぜかえす、という、いわば漫才的な展開を聴かせます。
私には「納豆・空豆・枝豆・隠元豆」が豆の四天王です。
ストレッチ、読書、散歩、ブログ、これが私の毎日してんのう^^.