講和条約の一週間前から吉田茂は不機嫌だった 辻井喬「叙情と闘争 辻井喬*堤清二回顧録」
2014年 04月 30日
西武グループ創業者にして衆議院議長にもなった堤康次郎の息子としてセゾングループを創設した実業家であるとともに、辻井喬として詩人・作家でもあった筆者が二つの名前でつづった回顧録。
東大時代に共産党員として活動、結核を患い運動から脱落した体験がトラウマとなって”裏切り者”としての自虐・反省が通奏低音になっている。
詩人・作家としての感性とビジネスマンとしての苛酷な決断・行動の間を揺れ動く心理が率直に吐露されている(本人は職業と感性の間の同一性障害という)。
ともに、振れ幅や深さにおいてとうてい比ぶべくはないものの、俺にも少しは共感できる何かがある。
その一方、堤衆議院議長の秘書であった1959年に父の随員として渡米、マッカーサーとアイゼンハワー大統領に会って安保改定について日本与党が前向きであることを伝えに行った顛末(31歳の筆者が外務省の反対をさしおいて下交渉をして実現したのだ)から本書が書き起こされているように、その生まれ・育ちが俺には想像もつかない環境であったことは、共感というには程遠いのだが、それゆえにかそれとは関係なくなのか、三島由紀夫、小林一三、池田勇人、宮澤喜一、安倍公房、本田宗一郎、森有正、井上靖、武満徹、中国やソ連、東欧などの実力者、、など広範な政財界人や芸術家たちと交友を深めて社会に意味のあることを実行していくさまなどが生き生きと語られるのもよくある自慢話とは違う精彩に富んでいる。
登場する人物たちの批評としても出色ではないか。
凡百の経済人や政治家、とくに現今の彼らには望むべくもない知性があるのだ。
それでいて、なにをやっても中途半端で、どんなものにも全的拒否ではなく肯定的な面をみいだしてしまうことも苦味をもって書いている。
そして、そういう環境が、家庭とか親子の幸せという意味では辛く苦しいものだったことも明かされて(幼少の頃、母が自殺するのじゃないかと不安だった)いることも、併せて”面白かった”のだ。
「母を守るのは自分なのだ」と思い込んでいくところも俺には痛切に感じた(実行力において俺は劣ったままだが)。
差別、とくに女性差別に極端に神経質な怒りを感じることも述懐している。
筆者の人間性、思想、行動も面白いが、ここに描かれる戦後の実相・その裏面史なども興味深い。
セゾングループの必然性なども。
本書の最後に大磯の吉田邸が炎上したニュースをみた感想が述べられる(吉田邸は筆者が当時の佐藤総理の依頼によって仲介、西武鉄道が買ったのだ)。
筆者は
昨年11月、86歳で逝去。
中公文庫
詩人・作家としての感性とビジネスマンとしての苛酷な決断・行動の間を揺れ動く心理が率直に吐露されている(本人は職業と感性の間の同一性障害という)。
ともに、振れ幅や深さにおいてとうてい比ぶべくはないものの、俺にも少しは共感できる何かがある。
その一方、堤衆議院議長の秘書であった1959年に父の随員として渡米、マッカーサーとアイゼンハワー大統領に会って安保改定について日本与党が前向きであることを伝えに行った顛末(31歳の筆者が外務省の反対をさしおいて下交渉をして実現したのだ)から本書が書き起こされているように、その生まれ・育ちが俺には想像もつかない環境であったことは、共感というには程遠いのだが、それゆえにかそれとは関係なくなのか、三島由紀夫、小林一三、池田勇人、宮澤喜一、安倍公房、本田宗一郎、森有正、井上靖、武満徹、中国やソ連、東欧などの実力者、、など広範な政財界人や芸術家たちと交友を深めて社会に意味のあることを実行していくさまなどが生き生きと語られるのもよくある自慢話とは違う精彩に富んでいる。
登場する人物たちの批評としても出色ではないか。
それでいて、なにをやっても中途半端で、どんなものにも全的拒否ではなく肯定的な面をみいだしてしまうことも苦味をもって書いている。
そして、そういう環境が、家庭とか親子の幸せという意味では辛く苦しいものだったことも明かされて(幼少の頃、母が自殺するのじゃないかと不安だった)いることも、併せて”面白かった”のだ。
「母を守るのは自分なのだ」と思い込んでいくところも俺には痛切に感じた(実行力において俺は劣ったままだが)。
差別、とくに女性差別に極端に神経質な怒りを感じることも述懐している。
筆者の人間性、思想、行動も面白いが、ここに描かれる戦後の実相・その裏面史なども興味深い。
セゾングループの必然性なども。
筆者は
今日の保守政治の堕落にあの世の吉田茂が烈火の如く怒っているのではないか、、だから燃えてしまったのだと思い、
吉田さんが東条英機を先頭に立てた軍閥の無謀な戦争計画を批判して憲兵隊に逮捕され、獄に繋がれたことも思い出した。その後に”あとがき”の代わりにとして誌が掲げられている。
そうして、その頃の新聞やラジオは、戦争の実態となりゆきについてどんなふうに報道していたのだろうと思った。当時は言論の自由がなかった。しかし、今はどうなのだろう。一度生まれてしまった世論の流れをマスメデイアといえども変えることができるのだろうか。僕は吉田茂がサンフランシスコでの調印に出かける一週間前からひどく不機嫌になったという吉田健一の言葉を覚えている。僕流に推測すれば、今はこれしかないが、講和条約、日米安保条約の後、更なる独立国家への道を日本は歩めるのだろうか、ということが吉田茂には心配だったのではないかという気がするのだ。
僕の考えからすれば、平和憲法とその思想を高く掲げることによって独立国家への道を歩むしかないと思うから、その道は細く険しいのかもしれない。見方を変えれば、それはサンフランシスコ講和以後、我々に残された宿題なのかもしれない。憲法九条を変えて軍備を持ってしまうことは、吉田茂の残した宿題に正面から答える道ではないように僕は思う。そのような大きな課題への答えは明らかになっていない状態で昭和が終わり、二十世紀が終わったのだ。そうして、今始まっている世界的な大きな変化は、もしかすると産業社会の終わりへと続くものなのかもしれない。
長いトンネルに入った産業社会が、どんな地域に出るのかはまだ誰にも分かっていない。「雪国」ならいいけれども、異次元の世界かも知れない、と僕には思える。少なくとも、アメリカの一極支配はすでに終わりを告げたのだ。
もの総て2008年から2009年まで、一年間にわたって「読売新聞」(土曜朝刊)に連載された文章である。
変わりゆく
音もなく
思索せよ
旅に出よ
ただ一人
鈴あらば
鈴鳴らせ
りん凛と
昨年11月、86歳で逝去。
中公文庫
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unburro at 2014-04-30 14:40
吉田邸が炎上した時、私は白洲次郎関連の本を読んでいたのですが、
堤氏が書いているのと、似たような事を、白洲も思うだろう と考えていました。
吉田茂とその周辺の人々が守ろうとした日本という国と、この国の保守政党は、あの大磯の邸宅と共に消滅してしまったのかもしれませんね。
堤氏が書いているのと、似たような事を、白洲も思うだろう と考えていました。
吉田茂とその周辺の人々が守ろうとした日本という国と、この国の保守政党は、あの大磯の邸宅と共に消滅してしまったのかもしれませんね。
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k_hankichi at 2014-04-30 21:46
前から気になっていた本でした。ご紹介ありがとうございます。読みます。
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saheizi-inokori at 2014-05-01 00:30
unburroさん、白洲がすべてから手を引いて農業に専一したことを辻井は好意的に書いています。
不肖、ろくでなしの子孫たちがいいように国をもてあそぶのが許せないです。
不肖、ろくでなしの子孫たちがいいように国をもてあそぶのが許せないです。
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saheizi-inokori at 2014-05-01 00:31
k_hankichi さん、思いがけない読むに足る本でした。
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ikuohasegawa at 2014-05-01 04:51
思えばセゾングループは解体、百貨店はヨーカ堂の傘下。中公文庫の中央公論は読売の傘下。
嗚呼、今昔の感に堪えない。
嗚呼、今昔の感に堪えない。
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saheizi-inokori at 2014-05-01 10:41
ikuohasegawa さん、丸物のこと、風流夢譚事件なんて知っている人がどのくらいいるのかと、、たしかに今昔の感、堤が言うように無常の感もひとしおです。
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蛸
at 2014-05-01 23:15
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今欲しいのは「嫌われる勇気」人の問題を抱えてる上の子に送ってやるんだ!
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saheizi-inokori at 2014-05-02 10:38
蛸さん、好かれようと思っても嫌われることもあるんだけれどね。
でも嫌われてもイイからやるべきことをやるって大事だと思います。
でも嫌われてもイイからやるべきことをやるって大事だと思います。
by saheizi-inokori
| 2014-04-30 12:14
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(8)