東大安田講堂闘争は無駄ではなかった 土屋達彦「叛乱の時代 ペンが挑んだ現場」
2014年 04月 26日
なんだか胡散臭い、日米首脳の共同声明の幕切れ。
「前進する道筋を特定」これは「TPP交渉における重要な節目を画し、より幅広い交渉への新たな推進力をもたらすことになる。両国は全てのTPP交渉参加国に対し、協定を妥結するために必要な措置をとるために可能な限り早期に行動するよう呼びかける」って。
痛くない腹かもしれないが探りたくなる。
靖国参拝でこじれたオバマとの関係の修復と集団的自衛権行使への支持(党内反対論者および公明党に対する牽制)、尖閣問題での日米安保上の防衛義務表明などとの取引でTPPは相当な譲歩をしているはずと思わざるを得ないのが辛いところだ。
甘利の「頑張りぬいたぞ」顔とか麻生の「今のオバマにはまとめる力がない」発言などは味方を欺く演技かもしれない。
筆者は、1941年生まれ、はじめ大森実の「東京オブザーバー」に入社、米原子力空母の佐世保寄港反対闘争の現地取材を契機に学生運動担当として日大、東大全共闘運動、成田闘争、その後産経新聞、「夕刊フジ」で国際テロ事件などを取材した。
今の記者たちと違って怪我はもとより場合によっては生命をも危険にさらして闘争現場に密着取材、マークした運動家(学生)から離れずに彼らの行動とその思考・動機などを記事にする。
筆者は嘆く。
ツールは比較にならないほど完備されているのに若者といわず(俺も含めて)「自分で考えない・他人事と考える」時代がその距離を作ったのだ。
(駒沢公園)
東大闘争における医学部教授たちが間違った処分をしても謝ろうともしない傲慢、大河内総長が反権力を訴えるポーズをとりながら裏では金儲け、保身のためには警察権力に縋り付く、日大理事長以下執行部の不正経理など、学生の怒りにはもっともな理由があったのに、代々木・三派系全学連などが各セクト・組織の勢力争いを主眼として暴力がはびこっていく過程は俺にも見覚えがある。
安田講堂に残って粉砕された学生たちは負けを覚悟の戦いだった。
後に諏訪中央病院長として地域ぐるみの健康教育活動などで注目され国会議員にもなった今井澄は安田講堂の防衛隊長だったが
当時、警察庁次長だった後藤田正晴は、東大闘争を無駄ではなかったとし、
やる気満々の記者の半生が生き生きと語られ往時のさまざまなこと、そのときの俺のいろいろが思い出された。
読みやすく痛快な本だ。
だが一読、ある種の喪失感ありき。
トランスビュー社
「前進する道筋を特定」これは「TPP交渉における重要な節目を画し、より幅広い交渉への新たな推進力をもたらすことになる。両国は全てのTPP交渉参加国に対し、協定を妥結するために必要な措置をとるために可能な限り早期に行動するよう呼びかける」って。
痛くない腹かもしれないが探りたくなる。
靖国参拝でこじれたオバマとの関係の修復と集団的自衛権行使への支持(党内反対論者および公明党に対する牽制)、尖閣問題での日米安保上の防衛義務表明などとの取引でTPPは相当な譲歩をしているはずと思わざるを得ないのが辛いところだ。
甘利の「頑張りぬいたぞ」顔とか麻生の「今のオバマにはまとめる力がない」発言などは味方を欺く演技かもしれない。
今の記者たちと違って怪我はもとより場合によっては生命をも危険にさらして闘争現場に密着取材、マークした運動家(学生)から離れずに彼らの行動とその思考・動機などを記事にする。
エンプラの佐世保入港は、日米間の合意を背景に、日本世論の核ノイローゼ解消を狙ったショック療法的な日本側の作意が働いていたと考えたい(大森実「佐世保報告」中央公論)その後の日米核密約などをみれば非核三原則などもまやかしだった。
筆者は嘆く。
平成の今、思う。最近の若者は、国民を絶望させる政治に向かって、角材どころか何も振り上げない。なぜか。この四十余年で、若者と時代・社会あるいは政治との距離がずっと開いてしまったからだろう。微にいり細にわたり、どうでもいいことばかり垂れ流すテレビ報道は新聞記事をもとに作られるし、その記者たちもインタネットやFBに頼って現地取材・勉強をしない。
ツールは比較にならないほど完備されているのに若者といわず(俺も含めて)「自分で考えない・他人事と考える」時代がその距離を作ったのだ。
東大闘争における医学部教授たちが間違った処分をしても謝ろうともしない傲慢、大河内総長が反権力を訴えるポーズをとりながら裏では金儲け、保身のためには警察権力に縋り付く、日大理事長以下執行部の不正経理など、学生の怒りにはもっともな理由があったのに、代々木・三派系全学連などが各セクト・組織の勢力争いを主眼として暴力がはびこっていく過程は俺にも見覚えがある。
安田講堂に残って粉砕された学生たちは負けを覚悟の戦いだった。
後に諏訪中央病院長として地域ぐるみの健康教育活動などで注目され国会議員にもなった今井澄は安田講堂の防衛隊長だったが
勝つことができるはずのない闘いだった。勝つことができない闘いはすべきではない。敵に自信を与え、味方の運動を低下させる。でも、闘わずに敗北することができないときがある。最後までやり抜くことが必要な場合もある。安田講堂の闘争はそのような闘いだった。という言葉を遺している。
当時、警察庁次長だった後藤田正晴は、東大闘争を無駄ではなかったとし、
ああいう動きがあったからこそ今のような世の中を形成することができたんだという気がする。あれを反省材料にしながら、こうしなければいけないという施策を打ち出し、それを国民が受け入れていくというようなことになった。とNHKの番組で語っている。
だから、東大闘争のようなエネルギーのない民族や国家は成り立たないと思う。そのようなエネルギーをうまくコントロールするところに進歩発展があるということだな
読みやすく痛快な本だ。
だが一読、ある種の喪失感ありき。
トランスビュー社
Commented
by
reikogogogo at 2014-04-26 21:29
まだ旅の最中、saheiziさんなんとか、訪問のみ可能、またねー
0
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-26 21:52
reikogogogo さん、は~い!お元気で!
Commented
by
ikuohasegawa at 2014-04-27 05:26
Commented
by
j-garden-hirasato at 2014-04-27 09:01
Commented
by
jarippe at 2014-04-27 09:41
読みやすく痛快なのに
喪失感 やりきれなさを感じますねー
喪失感 やりきれなさを感じますねー
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-27 10:19
ikuohasegawa さん、彼らの息遣いを感じ汗臭い肩を抱きたい気持ちにもなります。
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-27 10:24
j-garden-hirasato さん、何とも言えないです。
西欧では運動家たちが政治的なリーダーになって行ったのに日本では横路、江田、仙谷、、あまりぱっとしないですね。
西欧では運動家たちが政治的なリーダーになって行ったのに日本では横路、江田、仙谷、、あまりぱっとしないですね。
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-27 10:26
jarippe さん、内ゲバに明け暮れるまでに堕落していく前にもっとどうにかしようがあったのかもしれない。
後藤田が述懐するように権力側の対処が優れていたのかもしれないですね。
後藤田が述懐するように権力側の対処が優れていたのかもしれないですね。
by saheizi-inokori
| 2014-04-26 12:23
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Trackback
|
Comments(8)