キセルとオカラが笑いをつないだ 第二回「一之輔&文菊二人会」
2014年 04月 12日
読み始めた本が面白い、ずっと読み続けたいけれど落語の切符が取ってある、落語にも行きたいのだ。
読みかけの本を持っていきたいけれど大きくて厚すぎ、代わりに持った文庫本がこれまた面白い。
バスで読みながら行きたいと思うけれど歩きたい、桜状況も見届けたい。
欲張り隠居は忙しいのだ。
(桜新町、27日のさくらまつりまで花がもつか)
人形町に来たのは久しぶり、世界湯に行くとラッキー!第二金曜日は100円。
『第二回 春風亭一之輔 古今亭文菊 二人会』
どちらも一昨年鳴り物入りでごぼう抜きの真打昇進をした人気者。
童顔の前座・ふう丈が「桃太郎」を金坊まんまでやったあと、
文菊「千早ふる」
つるつる青々と剃りあげた頭が気持ちの佳い季節になった。
どこかのお寺が檀家を集めた会の余興によばれていったら坊さんたちの控室に通されたという。
落ち着いた、いかにも噺をする風情の語り口は好きだ。
負けず嫌いな旦那の表情がおもしろい。
「頃しも弥生」「えっタバコやの弥生ちゃん?」
「飛ぶ鳥落とす勢いの花魁が落とした鳩を拾って懐に入れて鳩ぽっぽ」
「秋の夕方、秋の日のヴィヨロンの、、」
浪花節を入れ絶叫もあり、、。
正統派の端正な語りに納まるのを物足らないと思ってか諸処に工夫。
それが、、、まあ、これからだ、、面白くないことはなかったんだし。
(人形町・からくり時計)
一之輔「普段の袴」
「ふう丈がああみえて、もう30歳、それでもまだ前座というのはおかしい、人間として生まれてきたムダを感じる、頭が不自由なのです」。
いっしょに彦根に行ったときに彦根城を知らず彦にゃんは知っていて「え、彦根城って彦にゃんからとったんですか、私は岐阜県初めてですから知らないんです」といったとか、そのアホぶりをネタに。
俺は二回目でも笑ってしまうが本人は、シャレと受けて喜ぶのが噺家修行。
サラリーマン社会のように裏でごちゃごちゃ言われるよりいい、いや噺家の世界も裏の本音の中傷や批判もあってそれは遥かにきついのだろうが。
「これはふう丈を売り出すためにあちこちでしゃべってます。
聞いていた兼好師匠にもふう丈をつかってやれといわれました」とはいってた。
正蔵や木久翁一党を下手とこきおろすのは多くの噺家がやっているがこっちは気にならない。
ネタの方は例によって頭の不自由なハチ公が大家と
休憩後も一之輔「粗忽の釘」
風呂敷に箪笥をしょって出かけたきりやってこないのを待つお光は片づけを済ませ縄跳びで遊びボトルシップの飛鳥Ⅱを作ってしまう。
藪から棒に壁から釘が出てないかと謝りに行った先で「落ち着かせてください」を連発、キセルを吸いつけて「あの鶴の画は、、」前の噺のセリフを発し「イケネ、粗忽だ、文鳥文鳥」。
ハチャメチャ、笑いが途切れない、さいごの夫婦が裸でタライに入って行水をするあたりでは爆笑。
行方不明だった伊勢屋のペロまで登場、お光に尻尾をつかまれぶん回されたあげく投げ飛ばされてしまうのだ。
だが、、ほんとにこういうふうでいいのか、いつまで続くのか、ま、俺が悩む話じゃないさ。
俺は笑いたくなったら笑ってりゃいいし、飽きたら行かなきゃいいんだから。
トリは、9時には寝たいからと一之輔に命じられて、文菊「甲府い」
一之輔のオクターヴ高いテンションの笑いの後、文菊がマクラなしで
「千早ふる」のような新機軸のギャグを控えて正調、長屋の女・おっかさんがややアダッポ過ぎたのはご愛嬌。
「千早ふる」が「おから」で終わりこの噺が「おから」で始まる。
一之輔がキセルのギャグを二つの噺に続けたのもそうだがこういう趣向がはやっているのか。
好きな噺を好きなやり方で聴いて好い心持で春の風に吹かれて帰った。
読みかけの本を持っていきたいけれど大きくて厚すぎ、代わりに持った文庫本がこれまた面白い。
バスで読みながら行きたいと思うけれど歩きたい、桜状況も見届けたい。
欲張り隠居は忙しいのだ。
人形町に来たのは久しぶり、世界湯に行くとラッキー!第二金曜日は100円。
どちらも一昨年鳴り物入りでごぼう抜きの真打昇進をした人気者。
童顔の前座・ふう丈が「桃太郎」を金坊まんまでやったあと、
文菊「千早ふる」
つるつる青々と剃りあげた頭が気持ちの佳い季節になった。
どこかのお寺が檀家を集めた会の余興によばれていったら坊さんたちの控室に通されたという。
落ち着いた、いかにも噺をする風情の語り口は好きだ。
負けず嫌いな旦那の表情がおもしろい。
「頃しも弥生」「えっタバコやの弥生ちゃん?」
「飛ぶ鳥落とす勢いの花魁が落とした鳩を拾って懐に入れて鳩ぽっぽ」
「秋の夕方、秋の日のヴィヨロンの、、」
浪花節を入れ絶叫もあり、、。
正統派の端正な語りに納まるのを物足らないと思ってか諸処に工夫。
それが、、、まあ、これからだ、、面白くないことはなかったんだし。
一之輔「普段の袴」
「ふう丈がああみえて、もう30歳、それでもまだ前座というのはおかしい、人間として生まれてきたムダを感じる、頭が不自由なのです」。
いっしょに彦根に行ったときに彦根城を知らず彦にゃんは知っていて「え、彦根城って彦にゃんからとったんですか、私は岐阜県初めてですから知らないんです」といったとか、そのアホぶりをネタに。
俺は二回目でも笑ってしまうが本人は、シャレと受けて喜ぶのが噺家修行。
サラリーマン社会のように裏でごちゃごちゃ言われるよりいい、いや噺家の世界も裏の本音の中傷や批判もあってそれは遥かにきついのだろうが。
「これはふう丈を売り出すためにあちこちでしゃべってます。
聞いていた兼好師匠にもふう丈をつかってやれといわれました」とはいってた。
正蔵や木久翁一党を下手とこきおろすのは多くの噺家がやっているがこっちは気にならない。
ネタの方は例によって頭の不自由なハチ公が大家と
湯島の方からシューギがバアッと走ってきて御徒町から俯いてやってきたブシューギとぶつかって、シューギブシューギ(祝儀不祝儀)などと頓珍漢破天荒の会話の末、羽織ならぬ半纏を着て大家に借りたおんぼろ袴の片足に両足突っ込んで、扇子の代わりに団扇という”イカみたいな”風体で道具屋に乗り込み、鶴の画を見て(前の侍のマネをして)「あれは、いい鶴だ」と褒めると道具屋が
お目が高い、(谷)文兆かと思いますと応じると
えええ!違うぞ、あれは鶴だ、文鳥じゃない、プロが分からないのかなど跳ねっぱなしで笑わせる。
おまえはつねづね甘え上手で針箱まで俺に持たせる甘えたと思うとポキリと指を鳴らすだけでドスを利かせるお光に「知恵者でスケベだ!一生ついて行こう」と思った、「落ち着いたら一人前」だけど決して落ち着かない大工のハチ公。
風呂敷に箪笥をしょって出かけたきりやってこないのを待つお光は片づけを済ませ縄跳びで遊びボトルシップの飛鳥Ⅱを作ってしまう。
藪から棒に壁から釘が出てないかと謝りに行った先で「落ち着かせてください」を連発、キセルを吸いつけて「あの鶴の画は、、」前の噺のセリフを発し「イケネ、粗忽だ、文鳥文鳥」。
ハチャメチャ、笑いが途切れない、さいごの夫婦が裸でタライに入って行水をするあたりでは爆笑。
行方不明だった伊勢屋のペロまで登場、お光に尻尾をつかまれぶん回されたあげく投げ飛ばされてしまうのだ。
だが、、ほんとにこういうふうでいいのか、いつまで続くのか、ま、俺が悩む話じゃないさ。
俺は笑いたくなったら笑ってりゃいいし、飽きたら行かなきゃいいんだから。
一之輔のオクターヴ高いテンションの笑いの後、文菊がマクラなしで
ひもじさと寒さと恋と比べれば恥ずかしながらひもじさが先と静かに始めると、俺はほっとするのだ。
「千早ふる」のような新機軸のギャグを控えて正調、長屋の女・おっかさんがややアダッポ過ぎたのはご愛嬌。
「千早ふる」が「おから」で終わりこの噺が「おから」で始まる。
一之輔がキセルのギャグを二つの噺に続けたのもそうだがこういう趣向がはやっているのか。
好きな噺を好きなやり方で聴いて好い心持で春の風に吹かれて帰った。
Commented
by
antsuan at 2014-04-12 22:00
もう鯉幟なんですね。
でも、やっぱりいいものですね。
でも、やっぱりいいものですね。
0
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-12 22:21
antsuan 、ちょっと早すぎるけれどね^^。
甍の波と雲の波、騎馬戦を思い出します。
甍の波と雲の波、騎馬戦を思い出します。
Commented
by
創塁パパ
at 2014-04-13 12:10
x
一之輔も最近聴いてないなあ。いいのだけれど、テンポに疲れることがありました。文菊はもっと聴いてないけど、どちらかと言うとテンポが合いますよ((笑)
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-13 22:18
創塁パパさん、笑わせればいいってものでもないですね。
その点、文菊との組み合わせはよかったですよ。
その点、文菊との組み合わせはよかったですよ。
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-04-13 22:20
小言幸兵衛さん、瞬間芸みたいになってくるとやや疑問を感じます。
もちろん天才的な人ですから大丈夫だとは思いますが、枝雀の例もあることゆえ、、。
もちろん天才的な人ですから大丈夫だとは思いますが、枝雀の例もあることゆえ、、。
by saheizi-inokori
| 2014-04-12 12:01
| 落語・寄席
|
Trackback
|
Comments(6)