俺も花森学校の生徒だった 津野梅太郎「花森安治伝 日本の暮しをかえた男」

秋山駿が「戦争中の銃後の暮しの具体的な様子を書いたものがない」と「私の文学遍歴」↓で書いていたのに対して、「戦後の日本人の暮しについてなら暮しの手帖に連載されていた」と書いたが、とんでもない!
この本を忘れちゃいけなかった。
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花森安治が「暮しの手帖」96巻で特集した、今でも保存版が版を重ねているはず。
ここには全国各地から寄せられた1736編、その多くが、”あきらかに、はじめて原稿用紙に字を書いた、と思われるもので、どの文章も、これを書きのこしておきたい、書かずにはいられない、そういう切っぱつまったものが脈うっているようなもの”から選ばれた記録をまとめたものだ。
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今、もう一度、痩せこけた上半身をあらわに食事をする疎開地の子供たち、出陣した生徒の空席の目立つ教室、壕舎の前で直立不動で敬礼をする被召集者などの写真、ナシとか豆腐と蕗などの記録が続く「配給食品日記」、『父よ夫よ』と題した肉親との死別の記録、、読みだすと、、ああ、1968年に本書を初めて読んだ(つまみ読み)ときとははるかに違う切実さを感じるのだ。
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俺より五つ上の著者が軽妙(あたかも語りかけるがごとし)に、みごとに花森という偉人・異人の一生を描き、花森が副題にあるように「日本の暮しをかえた」といって過言ではないゆえんを明らかにする。

神戸に育ち、少しは入りやすそうな旧制松江高校に進み、
ハイカラ趣味と合理性の追求と、この国の庶民生活のうちにある、ちっとやそっとでは動かないものへの関心
の共存というその後の花森の生き方の基礎を得る。
誰でも入れることもあって東大美学美術史に進み東大新聞に関わり松江の女性と結婚し佐野繁次郎の下で伊東胡蝶園(パピリオ)の宣伝を手伝う。
二等兵として出兵するが結核で除隊。

第二次近衛内閣のときにできた大政翼賛会において文化動員部副部長にまでなる。
「ぜいたくは敵だ!」などの国策推進標語の作者は花森ではないかとの疑いがある。
著者は、このころ花森は本気で日本を守ること、そのために新しい文化(服装など)を創るべきだと考えていたから、この標語は花森作である可能性は強いとする。
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戦後、当初は広告会社の設立を考えていたが日本読書新聞にいた編集者・大橋鎭子が「今まで苦労をかけた母や祖父に恩返しをしたい、ついては戦争で不勉強な自分が知りたいことを調べて出版したら同じような人たちが読んでくれるのではないか」と田所編集長(花森の親友)に相談、田所がそれなら花森がいいとまわしてくる。
今度の戦争に、女の人は責任がない。それなのに、ひどい目にあった。ぼくには責任がある。女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起こらなかったと思う。だから、君の仕事にぼくは協力しよう。
それが花森の返事だった。
守るべき暮しがきちんとしてあるならば戦争や公害に対して戦うことができる、そのために守るべき暮しを創る運動、それが死ぬまでの三十数年間、一貫した花森の仕事となる。

寄付やスポンサーを一切取らず、ほかの消費者団体(ひも付きや補助金に頼っている)とはかかわらず、コネができたりテストの内容が漏れる恐れがあるから、社員を同業者や友人たちとの交友すら遠慮させる。
そうして、メーカーの命運を左右するような商品テストの結果をはっきりと誰にもわかりやすい表現で公表した。
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1966年、このテストで有効とされたホーキーは経営が立ち直った。
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2000枚づつパンを焼いてトースターの性能を比較する。
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実際に一軒家を買って火事の実験をした。
35ページにわたって写真で説明していく。
「石油ストーブが倒れたら水をかけてはならない」というそれまでの消防庁やメーカーの指導と真っ向対立していた論争にけりをつけた。
イギリスのブルーフレームに比べて国産石油ストーブがいかに駄目であるかをはっきりさせたのもこの頃、命がけだったろうと思う。

著者はあとがきで言う。
昭和にせよ二十世紀にせよ、戦争や革命や不況があいつぎ、ふつうの人間にとっては、生きるにきわめて難しい時代だった。それは二十一世紀のいまもおなじ。(略)ともあれ、あの戦争下で若い花森は消し去ることのできない大きなまちがいをおかした。私がそう考えるというのではない。花森自身がそうはっきり自覚していた。
まちがったあとも人は生きる。生きるしかない。そこでなにをやるか。日本人の暮らしを内や外からこわしてしまう力、具体的にいえば戦争と公害には決して加担しない。できるかぎり抵抗する。それがいちどまちがった花森のあらためてえらんだ道すじだった。
そして、そういうことをすべて独裁的に自分が全て手を出してやりぬいたのだ。
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72年の文藝春秋に花森が書いた。
このへんで、ぼくら、もう頭を切りかえないと、とんでもない手おくれになってしまいそうなのだ。もう、<国をまもる>なんてことは、ナンセンスなのだ。
<地球>をまもらねばならないのだ。
どっかの国が攻めてきたら、どうする。
この山河をどうする。
なんて、あいつは、ぶつくさ言っているようだが、それも言おうなら、この<母なる地球>をどうする、じゃないのか。
暮しの手帖の料理記事にはずいぶんお世話になった。
「一皿の料理」などは掲載されている料理を一通り作ったものだ。

どういう文章が、レイアウトが分かりやすいのか。
、、。
こうして考えると俺も花森学校の生徒だったのだ。
落第生かもしれないが。
Commented by reikogogogo at 2014-02-28 14:05
暮らしの手帖購読していました。
我家の今や廃屋の家にそっくり積まれています。
矢張り貴重な本になりましたね。
Commented by saheizi-inokori at 2014-02-28 14:36
reikogogogo さん、今読んでも、否今読むからなおのこと面白いですよ。
ほこりを払って、、^^。
Commented by cocomerita at 2014-02-28 16:30
Ciao saheizi さん
面白そう
母がときどき読んでた気がします

花森氏の72年の言葉が、それから40年たった今でも極めて現実的にそして緊迫感と不気味さをもって響きます
Commented by ginsuisen at 2014-02-28 19:54 x
花森学校・・日本の知的な家族のほとんどが生徒だったのではないでしょうか。私もその一人。夢は、暮らしの手帖の記者でした。言葉が人をやさしくし、文字が幸せにしてくれる。それを教えてくれました。
Commented by fusk at 2014-02-28 20:12 x
トースターの記事をあの頃 見た様な覚えが。。。。
外国料理の本は今も持っています。そう言えば長い事使ってないなあ。
私も落第生?
Commented by at 2014-02-28 21:32 x
オカンが熱心によぉ見てたなぁ、
Commented by hanamomo06 at 2014-02-28 22:27
私もずっと購読しておりました。
いいものはずっと人気がありますね。
今も時々買います。
今の編集長は松浦さんですね。
古本屋もやっている編集長、どんな人かな?
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 00:44
cocomerita さん、「一銭五厘の旗」という1971年の本では「民主主義の<民>は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ」という詩が載っています。
アメリカ独立宣言を意識してアメリカのヴェトナム進攻を批判してもいるのです。
水俣病に対する企業と政府の対応が標的です。
今花森が生きていればどんなに怒り狂うことか!
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 00:49
ginsuisen さん、でもあそこの記者はワンマン花森にどなられ商品テストに狩り出さられ、ずいぶん大変だったようですよ^^。
でも私もちょっと憧れました。本気で憧れたらどうなっていたのかなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 00:52
fusk さん、今となってはいささか古い記事もあります。
お惣菜に化学調味料を使うのです。
そうではあっても料理の基本はしっかりしているのでしょう。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 00:53
蛸さん、そろそろ蛸版暮しの手帖を書いてください^^。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 00:55
hanamomo06 さん、私は松浦版になってからはほとんど買ったことがないです。
花森の暮しの手帖は花森の死をもって終わったのでしょう。
今朝も古本屋で買った古い号を見ていると浦島太郎の気分でした。
Commented by sweetmitsuki at 2014-03-01 05:04
とはいえ、住宅に隣接した畑に人糞を撒くというのは。。。(。-`ω-)
Commented by ikuohasegawa at 2014-03-01 06:02
かなり影響を受けた一家でした。
そこで育ったので所帯を持ったとき買ったのがブルーフレームの石油ストーブでした。なつかしい。
Commented by LiberaJoy at 2014-03-01 08:34
ぼくも、松浦弥太郎判は一切買っていません。
違う雑誌になってしまったと思うからです。
ちなみに、暮しの手帖を受けようとしましたが、ぼくの新卒の時は
採用試験がありませんでした。
大政翼賛会宣伝部出身の経営者が作った、他の出版社、いや雑誌社に入りました。
Commented by ginsuisen at 2014-03-01 09:42 x
saheiziさん、私も花森さんが亡くなってからは買っていません。雑誌は永遠につなげていくものもあれば、時代とともに必要とされるものになっていくのではと。商品テストも、安価で次々できてくるものに対し、人々fがテストが待てない時代になりました。そして、より科学的なテストが必要になったのに、いつまでも旧態依然では、読者は離れます。料理も同じ。そして、今やはどこにも登場する人が、暮らし風に演出されても新鮮味を感じないので・・そう、私が入社するべきでした。夢のままでよかった~
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 10:27
sweetmitsuki さん、糞尿譚みたいな話、今の人には信じられないでしょうね。
下水道が整備されていないあの頃、そろそろバキュームカーの汲み取りが始まっていたので我が家みたいな勤め人の家は少なかったでしょう。でもバラック建ての住宅団地を出たらすべて田園、おおっぴらでした。
それよりも何よりも二人の育ちざかりの子どもを飢えさせないために、お嬢さん育ちの母は必死だったし、近所の人たちも親戚のように応援してくれましたよ。
今日は田舎の香水がきついねえ、なんて冗談を言い合ってました。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 10:30
ikuohasegawa さん、花森は手を動かして絵はもとよりいろんな細工をするのが大好きで暮しの手帖に載っている住まいの工夫は彼の自作です。
ikuohasegawa さんの、ブログを見ているとあのいろんな工作が連想されます。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 10:32
LiberaJoy さん、入社希望者は多かったんでしょうね。
私など考えたこともない別世界でした。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 10:34
ginsuisen さん、ぜいたくは素敵だ、大量消費の時代になりましたからね。
お客様視線、現場第一だけは永遠の真実だと思います。
Commented by marsha at 2014-03-01 10:42 x
花森安治の 「暮しの手帖」 って懐かしいです。
今も時折買ってみますが、重みが違うように想います。
だんだん買わなくなっています。

「欲しがりません 勝つまでは」は花森のキャッチコピーではなかったそうですね。
「暮しの手帖」とか「それいゆ」とか,懐かしいです。

奥様は 早くお元気になられますよう 祈っております。
直に春です。きっと大丈夫です。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-01 13:57
marsha さん、「欲しがりません、、」とかいろいろ作者に擬せられて批判もあったけれど本人は一切釈明しなかったようです。
それはすべての責任を背負うことを覚悟していたからではないかと津野は書いてます。
カミさんのこと、ありがとう。
Commented by c-khan7 at 2014-03-02 15:22
雑誌の発行部数が年々減っている昨今。
今の雑誌のレイアウトがよそよそしく感じます。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-02 16:00
c-khan7 さん、花森は画家になったらそれも一流になっただろうと言われていますね。
Commented by koro49 at 2014-03-02 21:48
一番下の「おそうざい風外国料理」の本、結婚するとき、友人がプレゼントしてくれたっけ。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-02 21:53
koro49 さん、幾皿かはお作りになりましたか。
花森の親友・松田道雄の「育児の百科」なんて言うのもお祝いに使いましたよ。
Commented by hanamomo06 at 2014-03-04 10:07
そうそう松田道雄の「育児の百科」親戚の方からもう使わないからともらいました。
2人の子供たちはおかげさまで丈夫だったので私はあまり開くことなく終わりました。
花森さんの親友だったんですね。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-04 11:45
hanamomoさん、花森が京都で倒れた時に松田がホテルをそのまま病院のようにして看病した話が本書の終わりに書いてあります。
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by saheizi-inokori | 2014-02-28 12:03 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(28)

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