魔鏡ならぬ水鏡 西行と桜の精の春宵一刻値千金 国立能楽堂企画公演

演能にさきだって小田幸子の解説が面白かった。
「玉水」「実方」ともに水鏡、川に映ったわが身のことが大事なポイントになっている。
「井筒」「桧垣」、、ほかにも世阿弥は水鏡を使った。
鏡は自己認識の道具、ほとんどの場合は主観的自己認識と客観的に見た自分の間にはギャップがある。
ほら、街を歩いていて、向こうから草臥れた爺さんが来ると思ったら俺だったって、よくあることだ。
「離見の見」という考え方とかかわっている水鏡だ。

仕舞「玉水」
恋が実らずそれぞれ身を投げて地獄に堕ちた二人が再会するが、清友は井手の玉水に映った己が姿に驚き消えていく。
いかに弔ひ給ふとも 受け喜ばじ恨めしや 相別瞋恚(しんい)の執心を 気疎き鬼の姿
観世銕之丞が装束・面をつけず最後の場面を舞う。
謡と舞と、得も言われない時空。

連吟・「実方」
舞もなくシテ・梅若玄祥と地謡・山崎正道・会田昇・梅若玄祥が実方の自己陶酔を謡う。
水に映る影見れば(ここをとてもゆっくり謡う) わが身ながらも美しく 心ならずに安らひて 舞の手を忘れ 水のみたらしに向かひつつ 影に見とれて佇めり
水鏡では稀有の例、ギリシャ神話・ナルシスに通じるが、後シテでは時の移ろいにより老衰を見るというところが異なると小田の説明。

朗々と、うっとりする謡だった。
魔鏡ならぬ水鏡 西行と桜の精の春宵一刻値千金 国立能楽堂企画公演_e0016828_1150910.jpg
(供えられた色紙には「ありがとう あなたの声で私は育ちました」。涙ぐんで手を合わせているおばあさんもいた)

能・「西行桜」 杖之舞
西行上人(ワキ・森常好)は隠棲した庵室で独りで静寂のうちに満開の桜を見ていたいので、能力(アイ・野村万作)に花見客を入れるなと命ずる。
しかし花見人(ワキツレ・殿田謙吉、則久英志、野口能弘、森常太郎、舘田善博)がやってきて是非にも見せてくれとせがむ。
能力とてせっかくやってきた人たちに見せてやりたいから西行にとりなす。
日本一のご機嫌に申し合わせた、、、ざらざらざら
西行のお許しが出て客たちが庵に入ってくる。
やっぱりうるさい。
花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜のとがにはありける
その夜、西行の夢の中に桜の精(シテ・大槻文蔵)が登場、
浮世と見るも山と見るもただその人の心にあり 非情無心の草木の花にとがはあらじ
西行一本取られて謝る。

桜の精は喜び、京の桜の名所を謡い、序之舞を舞う。
桜の精が若い女性とか神ならぬ白(茶)髪の老人というところが面白く、少年が花を惜しむというセリフも効かせて、老い木の桜と若桜の対比に一抹の哀れと深みを感じる。
ワキ・森常好の、とくに前半の謡はファルセットもありいかにも晴れやかな桜に囲まれた山家を思わせた。

お囃子が豪華メンバー、笛・藤田六郎兵衛 小鼓・大蔵源次郎 大鼓・亀井忠雄 太鼓・三島元太郎大きな人・小さな人、体格はそれぞれだが演奏はいづれも素晴らしかった。
太鼓入りの序之舞も桜花爛漫。
魔鏡ならぬ水鏡 西行と桜の精の春宵一刻値千金 国立能楽堂企画公演_e0016828_1153540.jpg
夕方、ぱらっと恵みの雨。
硬いつぼみにも甘露だったろう。
Commented by mother-of-pearl at 2014-01-31 12:32
西行桜。
しんしんと心に甦る出来事があります。
久しぶりに能舞台を訪ねたくなりました。
Commented by saheizi-inokori at 2014-01-31 16:45
mother-of-pearl さん、能は何事か心の底に潜んでいたものを喚起しますね。
Commented by hanamomo06 at 2014-01-31 17:40
先日デパートの便箋売り場に行ったら全部桜の模様になっていました。
こちらは吹雪ですが、立春が近づいてもう桜なんですね。
西行の歌は大好きです。
お能も見てみたいものです。
↑motherさんのお名前が!とても素敵な方なんです。
Commented by saheizi-inokori at 2014-01-31 21:10
hanamomo06 さん、昨日は西行桜と実方と両方とも西行が出てくるのでした。
彼は思いのほか活動的な男だったのですね(「西行花伝」によると)。
Commented by sweetmitsuki at 2014-02-01 06:00
中学校の卒業式の時、男子がガラス窓の向こうに学生帽をかざして、それを鏡の代わりにして身だしなみを整えてるのを思い出しました。
今どきの男の子はそんなことしないでちゃんと鏡を携帯してるんでしょうね。
Commented by ikuohasegawa at 2014-02-01 08:17
桜新町はご近所のようですね。波平さん?のご冥福をお祈りたします。
Commented by saheizi-inokori at 2014-02-01 09:37
sweetmitsuki さん、私のころは高校三年の修学旅行を機に頭を伸ばす人が多く、そのころから櫛をポケットに忍ばせるやつが一人や二人はいました。
髪型というほどのものでもないのにね^^。
Commented by saheizi-inokori at 2014-02-01 09:38
ikuohasegawaさん、地下鉄の出口にあるのです。
私も一緒に生きた口です。
Commented by waku2-tuduri at 2014-02-01 10:12
北信地方では宴席の途中で、杯を差し上げる人、受ける人、お肴(謡)を出す人が一列に並んで行う儀式があります。新年会では今も長老が先立ちで音頭をとります。謡は「高砂」「鶴亀」が主です。一般庶民も能を楽しんだ名残なのでしょうかね?。 結婚などで新しく親戚となった方には吃驚されますよ。
Commented by saheizi-inokori at 2014-02-01 10:20
waku2-tuduri さん、「高砂や」という落語は仲人になった男が謡の文句を忘れて泣きそうになる噺です。
私は高校で長野を離れましたが友人から「北信流」ということをききました。転勤した人は驚いたりり困惑したりのようです。
Commented by LiberaJoy at 2014-02-01 11:01
最後の二行がピリッと、この文章を生き返らせています。

今日、神田川の桜の蕾が心持ちふくらんでみえました。
何か、昨年より早い気がします。
立春前ですが、春は本当にそこまで来ています。
この仕事に就いて、季節の変化に敏感になったような。
それだけ爺さんになったということか!!
Commented by saheizi-inokori at 2014-02-01 11:11
LiberaJoy さん、敏感になって月日はどんどん過ぎていきますね。
昨日よく見ると確かに桜の枝先にぽつっと何かがありました。
Commented by LiberaJoy at 2014-02-01 11:30
岳父が晩年、小さな庭を丹念に歩き、蕗の薹を見つけたり、薔薇の手入れを丹念にしたり、犬の散歩をしてくれたり、丁寧に生きたことを思い出しています。
爺さんの存在って家族形成に大きな意味がありますね。
Commented by saheizi-inokori at 2014-02-01 12:01
LiberaJoy さん、サザエさん一家がそうですね。
波平さんは父であり祖父です。
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by saheizi-inokori | 2014-01-31 11:59 | 能・芝居 | Trackback | Comments(14)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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