きりはたりちょうちょう 唐織を織るめでたい幽霊たち 能「呉服」
2014年 01月 24日
渋谷駅前では都知事選候補、宇都宮の演説。
先を急いだので立ち止まって聞かずに過ぎたが、ちょっとおとなしい感じがした。
臨済宗相国寺派管長・有馬頼底 「世阿弥の花と禅」
世阿弥のパトロンだった足利義満ゆかりの寺、相国寺、金閣寺、銀閣寺の住職を兼ねている。
義満が将軍になったのは9歳、人間修行のために禅修行をした。
世阿弥は義満に随って名僧知識の話を聴き共に学んだために「風姿花伝」には禅の思想が如実である。
「秘すれば花」、善悪不二邪正一如、これは舞台でも言える。
死して初めて煩悩を解脱して平等になる。
世阿弥の能のほとんどはハッピーエンドだというのも禅の考え方の投影なのだ。
能こそ日本が誇るべき伝統文化だ、650年など短い、千年2千年と能を後世に伝えていこう。
笑顔と柔らかなことばはよかったが高齢ゆえか同じ話の繰り返しが多く、予定時間40分が50分に延びたこともあり居眠りする人多し。
時の帝に仕える臣下(ワキ・福王茂十郎)が、摂津の国住吉に参詣して呉服の里を通りかかったところ、一人は機を織り、一人は糸を引いている二人の女がいる。
その様は普通の里人とも見えないので不審に思って尋ねると、応神天皇の御代に、立派な御衣を織りそめた呉織(くれはとり・シテ・観世清和)、漢織(あやはとり・ツレ・観世芳伸)といい、今まためでたき御代を迎えて、再びここに現れ来たのだと答える。
呉服の里の名も彼女たちにちなんだものだった。
彼女たちは「丑三つの時過ぎ暁の空を待ち給へ。姿をかへて来らん」と言って消えて中入。
里人(アイ・山本東次郎)が彼女たちのことを語る。
後シテは頭に金の飾りをつけ、琴や太鼓などの楽器の模様がある紗の長絹が美しい。
どこか決然とした意思の強さを漂わせながら、舞台におかれた大きな機織り機の前に座り機を織る仕草、
きりはたりちょうちょう機織りの音なのか、しっかりした足踏みをトントントン。
そして立ち上がり天女の舞。
漢織は機織り機の前でときおり機織りの仕草。
前半はロンギばかりでやや退屈だったが、後半のシテの舞は素晴らしくさすが宗家だと思った。
笛・一噌隆之 小鼓・観世新九郎 大鼓・柿原弘和 太鼓・観世元伯
帰りにいつもの店に寄ったらママが「落語ですか?」と訊くから「能」と答えたらカウンターの先客がこもごも驚きの声で
ええーっ!のおお!それって見れるんだ?!どこでみれるんですか?、、そんなに驚かないで皆さんもたまにはどうですか。
いくらでも機会のあった若い頃は、ちっとも見ようとしなかった。・・・もったいなさ過ぎる事ばかりしてきやした。
驚いてしまいます。
言葉の壁もありますがあの空間にゆっくり身をおくのはいい気持ですよ。
私もいぜんは能なんて自分には全く無縁なものだと思っていたのですが、ひょっとした縁で観たのが5年ほど前のこと、時々無性に行きたくなります。
たいていは新聞雑誌の書評が頼り、あとは本屋で観て面白そうなのを図書館に予約しています。
一冊の本が他の本に導いてくれることもままあります。
「能」本物観たいです。
ところでsaheiziさん
↑の金柑を入れてる器、ポーリッシュポタリー?
以前デパートで数点見て、とても惹かれたので帰宅して探したら自由が丘にお店があったのです。
いつか行ってみたいと思っているのですが。