喜多八、絶品の「二番煎じ」、細川殿も顔を見せた 第547回落語研究会
2014年 01月 22日
名護市の民意を無視する政府とそれを煽る産経のことを書いて↓口の中が苦くなったのでお口直しに。
国立小劇場の前に積まれた「末廣」、以前紹介した中村彰彦「花ならば花咲かん 会津藩家老 田中玄宰」 のなかで家老・玄宰が藩の立て直し・会津殖産のために酒作りを始めたときの酒だ。
ここには「玄宰」という大吟醸もあるのだが未体験ゾーン。
「末廣」は会津にいる頃も飲んだし、俺のいた会津坂下には「飛露喜」という有名な酒もあるのだが、その頃の仲間たちは「榮川(えいせん)」の二級が一番うまいといったものだ。
若宮にあった崩れ落ちそうな家、その二階に上がってボロボロの畳に桟ばかりになったようなフスマの部屋で朝鮮人が出してくれる豚のモツを生で食い七輪で焼いて食い濁酒を飲み飽きたら持ち込んだ二級の名酒をかっ喰らう。
あれが再現できたら!
国立小劇場は落語研究会だった。
志ん公「風呂敷」
志ん生の後を一生懸命なぞっている。
がんばれよ。
龍馬「湯屋番」
道楽のあげく勘当になった若旦那、居候先でももてあまされて働こう、ついては銭湯の番台がいい。
番台の上で来るであろう好い女の客と好い仲になるのを妄想する。
雷で失神した女に口移しで盃洗の水を飲ませると、気がついた女が「今の水のうまかったこと!」、やっぱり「おいしい」じゃないね。
白酒「井戸の茶碗」
龍馬が5分以上も予定をオーバーしたからか、マクラもそこそこにネタに入ったのだが、しょっちゅう舌をかみそうな塩梅で調子に乗らないまま終わった。
千代田卜斎が20両の代わりに茶碗を高木にやるときに名代として娘に持って行かせる。
そこで二人が一目ぼれ、相思相愛になるという工夫。
たしかに逢ったこともない男女を結婚させようとし、それを二人が受けるというのは今の感覚からすると無理かも。
高木は細川家の家来、卜斎から譲られた茶碗を、細川様が「選挙で忙しかったけれど」わざわざ観てその値打ちを見抜く。
その結果、高木君と卜斎の娘が結婚できたのだから殿も好いことをした。
目白台にある永青文庫は細川家の宝物が展示されている。
俺もなんどか行ってみたが、井戸の茶碗は見かけなかったようだ。
扇遊「一分茶番」
落語研究会という場はなかなか盛り上がらない。
噺家が緊張する、両々あいまってますます盛り上がらない。
中入後の会場を温めるべく扇遊、「このようなシーンとしている、緊張感のある、生はいいですね」などとくすぐる。
さすがに少しほぐれたところで、権助の芝居噺。
まずまずか。
喜多八「二番煎じ」
また少し痩せたかと見えたが口跡はしっかり元気。
月番さんが絶妙な語りで前半の夜回りを活写(寒さが伝わってくる)、とくに”お若い方”(ほかの人だと辰ッあん、喜多八は無名とした)が吉原時代を追憶するところは哀愁もあり絶品、後半も名調子は途切れることなく番小屋の猪鍋宴会へとなだれ込む。
酒の肴にと猪鍋の用意をしてきた男に
ところどころ小三治の間を感じさせる。
何人かの飲み方食い方をそれぞれさりげなく演じ分ける。
気取りなく、わかりやすく、品もあり、江戸落語の一典型と感じた。
ここには「玄宰」という大吟醸もあるのだが未体験ゾーン。
「末廣」は会津にいる頃も飲んだし、俺のいた会津坂下には「飛露喜」という有名な酒もあるのだが、その頃の仲間たちは「榮川(えいせん)」の二級が一番うまいといったものだ。
若宮にあった崩れ落ちそうな家、その二階に上がってボロボロの畳に桟ばかりになったようなフスマの部屋で朝鮮人が出してくれる豚のモツを生で食い七輪で焼いて食い濁酒を飲み飽きたら持ち込んだ二級の名酒をかっ喰らう。
あれが再現できたら!
志ん公「風呂敷」
志ん生の後を一生懸命なぞっている。
がんばれよ。
龍馬「湯屋番」
道楽のあげく勘当になった若旦那、居候先でももてあまされて働こう、ついては銭湯の番台がいい。
番台の上で来るであろう好い女の客と好い仲になるのを妄想する。
雷で失神した女に口移しで盃洗の水を飲ませると、気がついた女が「今の水のうまかったこと!」、やっぱり「おいしい」じゃないね。
白酒「井戸の茶碗」
龍馬が5分以上も予定をオーバーしたからか、マクラもそこそこにネタに入ったのだが、しょっちゅう舌をかみそうな塩梅で調子に乗らないまま終わった。
千代田卜斎が20両の代わりに茶碗を高木にやるときに名代として娘に持って行かせる。
そこで二人が一目ぼれ、相思相愛になるという工夫。
たしかに逢ったこともない男女を結婚させようとし、それを二人が受けるというのは今の感覚からすると無理かも。
高木は細川家の家来、卜斎から譲られた茶碗を、細川様が「選挙で忙しかったけれど」わざわざ観てその値打ちを見抜く。
その結果、高木君と卜斎の娘が結婚できたのだから殿も好いことをした。
目白台にある永青文庫は細川家の宝物が展示されている。
俺もなんどか行ってみたが、井戸の茶碗は見かけなかったようだ。
落語研究会という場はなかなか盛り上がらない。
噺家が緊張する、両々あいまってますます盛り上がらない。
中入後の会場を温めるべく扇遊、「このようなシーンとしている、緊張感のある、生はいいですね」などとくすぐる。
さすがに少しほぐれたところで、権助の芝居噺。
まずまずか。
喜多八「二番煎じ」
また少し痩せたかと見えたが口跡はしっかり元気。
月番さんが絶妙な語りで前半の夜回りを活写(寒さが伝わってくる)、とくに”お若い方”(ほかの人だと辰ッあん、喜多八は無名とした)が吉原時代を追憶するところは哀愁もあり絶品、後半も名調子は途切れることなく番小屋の猪鍋宴会へとなだれ込む。
酒の肴にと猪鍋の用意をしてきた男に
夜回りの鏡だね、この人ァいい間だ。
ところどころ小三治の間を感じさせる。
何人かの飲み方食い方をそれぞれさりげなく演じ分ける。
気取りなく、わかりやすく、品もあり、江戸落語の一典型と感じた。
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chaiyachaiya at 2014-01-22 19:08
TVを見ていて、たまたま井戸茶碗、というものの存在を知ったのは、恥ずかしながら、この頃です。
虹色に透ける硝子だけを好んできましたが、焼き物も、いい感じなのですね。
虹色に透ける硝子だけを好んできましたが、焼き物も、いい感じなのですね。
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旭のキューです。
at 2014-01-22 19:38
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榮川は、有名ですね。でも2級とは、知りませんでした。
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saheizi-inokori at 2014-01-22 22:16
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saheizi-inokori at 2014-01-22 22:20
旭のキューです。 さん、あのころは日本酒を特級、一級、二級と分けていました。
それぞれ酒税が違うのです。
地方の小さな酒蔵は税金を納めるのが辛いから二級酒を主体に作っていたのです。
榮川には一級もあったと思うけれど値段の割には二級がうまいと思った仲間たちです。
それぞれ酒税が違うのです。
地方の小さな酒蔵は税金を納めるのが辛いから二級酒を主体に作っていたのです。
榮川には一級もあったと思うけれど値段の割には二級がうまいと思った仲間たちです。
昨夜は、隼町では親方衆が猪鍋をつつきながら酒を飲み、麻布では神田川の金が酒に飲まれていた、ということですね。
産経も読売も、すでに本来の新聞の体をなしていません。
産経も読売も、すでに本来の新聞の体をなしていません。
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saheizi-inokori at 2014-01-22 23:02
小言幸兵衛さん、私は飲みたくて飲みたくてしょうがなくなってカフエの付き合いも断って一人帰ったのですが、ふと正気に戻ってまっすぐ帰宅しました。年のせいかな。
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chaiyachaiya at 2014-01-22 23:12
砂漠(リビア砂漠とか)にて、ごく稀に見つかる天然の硝子、素朴でロマンがあります。カタログ雑誌で見たきりですが。
チェコガラスには、製法の途絶えたガラスがあり、奥深い色と輝きにうっとりです。(これも、TVの映像でしか見たことが・・・^^;)
そして、スワロフスキー社の、いかにも人造的なキラキラを見てると、懸念事項からいっとき逃れて、気分が楽になる自分は、なんなんだろ!と思うであります。
チェコガラスには、製法の途絶えたガラスがあり、奥深い色と輝きにうっとりです。(これも、TVの映像でしか見たことが・・・^^;)
そして、スワロフスキー社の、いかにも人造的なキラキラを見てると、懸念事項からいっとき逃れて、気分が楽になる自分は、なんなんだろ!と思うであります。
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saheizi-inokori at 2014-01-22 23:30
chaiyachaiyaさん、ペルシャだったかのターコイズブルーを思い出します。仙台で一度きり行ったバーがブルーのグラスばかりを揃えていたのです。
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ikuohasegawa at 2014-01-23 05:33
喜多八さんは独り身なのだから、人一倍健康には気を配って欲しいものです。
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福
at 2014-01-23 07:08
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志ん生の「風呂敷」は絶品です。
世間話をしているふりをして、難局を打開しようとするとんちが利いています。
志ん公さんは苦闘していたんでしょうか。
最近、CDで談志の「風呂敷」を聴いたら、志ん生とは異なり、
後半になだれ込むようなスピードで、難局打開に至ったのに一寸吃驚しました。
世間話をしているふりをして、難局を打開しようとするとんちが利いています。
志ん公さんは苦闘していたんでしょうか。
最近、CDで談志の「風呂敷」を聴いたら、志ん生とは異なり、
後半になだれ込むようなスピードで、難局打開に至ったのに一寸吃驚しました。
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saheizi-inokori at 2014-01-23 09:43
ikuohasegawa さん、ほんとに、見るたびに顔色を気にしています。
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saheizi-inokori at 2014-01-23 09:48
福さん、女は三界に家なし、から始まって何の脈絡もない成句を珍解釈していくのが前後の噺と一体になって不自然じゃない、旦那の世界になっているのが志ん生ですが、志ん公はそこに全力投球するから際立ってしまうのです。
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豆ママ
at 2014-01-23 12:46
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この晩は、人形町で一か月お先に「鰍沢」を聴きました。よかったです!
by saheizi-inokori
| 2014-01-22 15:05
| 落語・寄席
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Comments(13)