なんどでも読み耽りたくなる”ダメな男”の文学談義 車谷長吉「文士の魂」
2013年 09月 14日
年寄りは一年中休んでいる、現役諸侯は休んでなにする?白々しい休日だ。
ラジオで永六輔と美輪明宏が喋っている。
どっちも口跡不明瞭、たどたどしくて相手の若者が聴きとるのにひと苦労。
だいたい俺たち年寄りはたとえシャキッと話せても内容が今の子には通じないんだから困ったものだ。
せんじつはある長寿番組の司会者がスポンサーを間違えて喋っていた。
一方で若い子たちのきゃあきゃあ喋っているのは俺たちには聞き取りにくいし内容と来たら「オイシイ」と「カワイイ」以外はトンと分からん。
よくわかるのは政権のたくらみ。
オリンピックに事寄せて”東京特区”だとか、規制緩和で一儲けしようという黒いたくらみ。
ブラック企業がカネボウの世話にならずに晴れてホワイトになる。
三年ほど前に読んだのに、先月手に取ったら面白くて一気読みした。
今、ブログに書こうと思ったら内容を忘れていて読み始めたら面白くて、イケね、又最後まで読んでしまいそう。
こないだ紹介した加藤周一「高原好日」に出てくる文士たちとはいささか違う、旅館の下足番をやって食いつないだというセリフが決まり文句の車谷長吉の文学談。
近代日本の小説のベスト・スリーは漱石「明暗」、幸田文「流れる」、深澤七郎「楢山節考」だといい、その所以をのべる「三つの小説」以下14のエッセイ、どれも面白くルサンチマンの心をくすぐる。
いや、それだけじゃない、死に物狂いの文士の魂が生きている。
たとえば「大衆小説の読者」という文章、山本周五郎、松本清張、司馬遼太郎が取り上げられる。
周五郎は直木賞、毎日出版文化賞などを固辞している。
車谷は「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受けて
小躍りして喜んだだけに、周五郎という人は何と言う気骨のある人だろうと思うて、しゅんとしてしまった。と書き、
周五郎の世界は基本的に諦めと辛苦の生活の先に、一筋の光を見るものである。そういう世界に共感する者が、周五郎の読者なのである。という。
松本清張の世界は、才能がありながら、学歴がないが故に、世の底に埋(うず)もれて生きざるを得ない人達の、怨みと憤(いきどおり)の文学である。つまり、順調に栄達を遂げた人への反権力の文学である。車谷は”人並みに慶応義塾を出してもらったものの、三十歳の時、東京で無一物になって、以後九年間、風呂敷荷物一つで関西各地のタコ部屋をさ迷い歩く生活をしたせいか”清張の「救いのない」世界が好きである、と、この気持ち、俺は分かるのだ。
俺は無一物にもならなかったしタコ部屋放浪もしなかったが。
清張を耽読し清張のように書くことだけを救いとして生きて来たから
私は相当にちょっと因業な人間になり、周囲の人に憎まれて来たが、併し人に憎悪されることもまた嬉しいことである。因業になり人に憎まれる人間になったところまでは似ているが、それを嬉しいと言い切るまでの達観ができていないのは俺の苦労が足りないからだ。
司馬の小説は日本歴史の、あるいは日本社会の指導層にある人々を描いたものである。それを読むのも、自分が会社の(または社会の)指導層にあるか、あるいは将来自分もそういう立身出世者になりたいと思うている人達ばかりであってと。
そうか、俺にも立身出世の野望はあったのだ。
発病以前より作品の質は格段によくなったと井伏鱒二が評したように「白い屋形船」で読売文学賞、「ブロンズの首」で川端康成賞を受けた。
妹を始め、精神病になり三十八歳で死んだ妻やその子、家族たちを受難者にしてもなおかつ死ぬまで作家であった上林は「七度生まれかわったとしても、文学をやりたい」といい、妹は「二度とお付き合いする気力はない」と書いた。
これが文士の魂である。そう車谷は本書を結ぶ。
魂の抜けたブンガク者たちに読ませたい。
こうして抜き書きをしていると、ああ、イケね、またまた読みふけりそうだ。
「高原好日」で、語られていたリラン(加藤周一さんは、リーラン、と記さねばならぬ、と、リラン著「余白のあるカンヴァス」に、前書きゲストで、主張してらしたのでした)さんの著作が、先程届きました。
池田満寿夫と富岡多恵子とリラン、のあたりから読んでしまい、野次馬くんを自覚した真昼です。
車屋長吉。朝日新聞土曜版の、身の上相談欄での、彼の答えが、富岡多恵子さんの「青春絶望音頭」ではないけれど、“人生絶望音頭”的見地からのコメントで、逆に小気味良く感じたものでした。
・・・どの方も、ぐいぐい読ませる文章を書ける、って、羨ましい限りです。
魂の抜けた文学者!?ですね。どの世界にも魂の抜けた人あり。自分もですけど。
「崩れる」も「番茶菓子」も「できのいい犬・わるい犬」も待機中だっていうのに・・・
昨日までの出張にて、長野・小諸あたりの田んぼの畦で満開のマンジュシャゲと真っ白のソバ畑を盛んに見かけました由。
大林宣彦監督だったか、「リコリス/22歳の別れ・葉を見ず花見ず物語」という映画があったように思いますが、その前作の「なごり雪」があまりパッとしなかったので、映画館まで行く気になりませんでしたものの、「22歳の別れ」の曲(伊勢正三:かぐや姫)だけは、わたし的には、忘れえぬ楽曲にて・・・。
リコリスっていろんな花があるのですね。
私は大した悪党でもないけど。