宇宙旅行から明治へひとっ跳び 篠田鉱造「明治百話」(下) |
よく言われることだが、そうではないだろう。
覚えていることは覚えている、に過ぎなくて、忘れたことの方がはるかに多いに決まってる。

晩飯が食パンに石鹸のようなマーガリン、砂糖湯、トマトかキューリ、そんなものだったから、昼はお釜からご飯をよそってトマトを齧って、というようなものだったと推理するのだが、もとより水道も冷蔵庫もないのだ。
母が帰宅してからの晩飯とか休日の昼飯とか、母と一緒に食べた場面のイメージはある。
覚えていたいこと、印象の強いことだけを、きっとかなりデフォルメして覚えているのだろう。
子供たちと昔話をしていて、まったく身に覚えのないことを言われてびっくりする(その逆も)こともある。

「散切・ざんぎりを始めた床屋」、「花井お梅の実話」「団十郎の生活」「三越デパートを始めた日比さん」「大丸呉服店」「烏森芸者の西洋旅行談」「巡査の昔話」「文明開化の家庭生活」「憲法発布の日の暗殺(森有礼文部大臣)」「町内歩きの商売」、、ゴシップあり、懐旧談あり、自慢話や経験談、いろんな人たちからの聞き書きだ。
テープレコードのない時代に素晴らしい記録を遺してくれた。
話題自体も面白いが、そのなかに出てくる、今は聞くことのできない昔の言葉、言い回しがタマラン。
栄枯盛衰ということを言いますが、年月の鉞(まさかり)で伐られては、いかに盛んに栄えていても、いつか唐様でかく三代目(廻り髪結いが廻って歩いた大店の噂)
鼻ッ張の強い女房で、どうにもこうにも、アガキがつかない代わり働きもあって、よくやってくれました。マア倅(がき)が生まれても、飢(ひも)じい思いもさせず、五人ばかりの生活(くらし)を立てていますと、ソコで天から湧いたような、幸運(しあわせ)が湧いて来たというものです。(伊藤博文・朝鮮統監邸の惣菜を引き受けた魚源の話)
成田さんの商売屋みたいに並んでいる寿司屋天ぷら屋が、ダの字で今じゃア客種がまったく違っちゃッた。魚河岸(かし)繁盛の時代は、客と来たら一流の料理店(てんや)の主人や板前で、イキの悪い奴なンかつかった日にゃア、横ッ面へ叩きつけられ、大小言(おおかす)を喰ったもンだ。ソレがこの頃じゃア、腰弁や無帽の会社員が腹ふさげの鮨天ぷらなンだから儲け放題サ。
吉原に居つづけして、女郎の湯へ、一番懸けに入り『あぶ玉』(油揚げを細かく切り、油ッ気を抜き、玉子をかけて出す)を取寄せ、土鍋で来る奴を、火鉢にかけて、大根おろしで喫(ぱ)くつく、これがオツなものとされてあったんですが、、、。

労働者の人々は、なおさら胸が黒いのと、エリの黒いのとで、見分けがつくといった、銭湯などでもスグ解る万歩計などは不要、メタボもいない明治だ。
精神のありようもすっきりくっきり、きれいなもんだった。
岩波文庫
(上)の記事も拝読しておりましたのに、この新鮮な驚きはどうでしょう。
ったく信じられません、我ながら。このなんでも忘れてしまうという。
小学校までいた実家で、母が日中家にいたという記憶がほとんどありません。留守番のあいだ、弟妹たちがなんかやらかさないよう緊張していた記憶だけ鮮明ですが、母に甘えたかったんだろうな。
母がセーターを編んでいる。栗を剥いている。
手仕事をしてる母の記憶は鮮明です。
カレーを作ってくれたこと、てんぷらを揚げて少し隣に持っていったこと、いろいろ今日だけでも思い出しました。
肉なしカレーとか馬肉のすき焼とか、今ではご馳走なのかも知れないですね。
母は内職をいろいろしてましたがたいていは私が寝た後でした。
poirierさんの夏休みの憂鬱を拝見し、ずっと昔の懐かしい光景がよみがえりました。
今となっては懐かし思い出ですが、現在進行形の人たちにとってはたいへんなことですね。
あれから20年もたって 戻ってくるとあの時のあれが美味しかったと言われるとあのころの『憂鬱』は吹っ飛んでしまうのですが。
>覚えていたいこと、印象の強いことだけを、きっとかなりデフォルメして覚えているのだろう。
本当にその通りだと思います。
今でも4歳くらいの時のことが夢に出てくるときがありますが、それは私の記憶というよりも、その後写真を見たり、人から話を聞いたりしたことをミックスしてそう思っているような気がします。
いつも思うのですが、 saheiziさんがお母様を思う気持ちは熱いですね。
もっともすき焼とか味噌汁の匂いであの家族そろっての夕食や朝飯も思い出しますが。

祖母が好きだった「アブ卵」は大根おろしでいただくのでなく、甘辛味で煮たものでした。
中学生になってからのお弁当によく使われました。
あの頃は、冷蔵庫はなく、朝近所の豆腐屋に買いに行かされました。
父が飲む日本酒だって、酒屋で秤売りでした。
また、東京はとうぜん「肉といえば豚小間切れ」でした。八百屋、肉屋、豆腐屋、酒屋、床屋、乾物屋、全部健在でした。買い物帰りに寄る本屋での立ち読みが、一番の楽しみでした。
その日に使うものをその日に買う。いい暮らしでした。
母が好きだった食べもの、祖母が好きだった食べもの。
これから思い出し、自分のブログにも残していきたいものです。
最高の朝飯ですね。