一見健全なものこそ危険だ 吉本隆明&辺見庸「夜と女と毛沢東」
2013年 07月 16日
1995年~97年、吉本が71歳から73歳にかけてひとまわりちがう辺見と行った対談4回をまとめた本。
おもろいおっちゃんやないか。
今の保守の人は外国からの侵略があったら、自衛隊が自衛権を発動して、戦争をやって国を守ってくれるという考え方をしていると思うんですが、僕はそういうのはダメなんです。ハードボイルドやねえ。
なぜかと言うと、自分が自衛隊の兵隊になれない限りは、防衛力は必要だとか、自衛権はあるんだなんて言うまい、というのが僕の考え方なんです。どこかの国が日本に攻めてきたとして、俺は何もしないけど、自衛隊が代わりに戦ってくれるだろうというのは、僕は戦中派として絶対に認められないんですね。反対に、自衛隊が戦わなくても、俺は自分で何かするかもしれないぜ、と思うことはあるんです。だから僕は戦後民主主義の人みたいに絶対平和主義ではないんです。やり方はともかく、攻めてきたら、個人の喧嘩を吹っ掛けられたときと同じです。「おう、やってやろうか」って気持ちはあるんです。
そして、
社会が消費者の全能空間に近づけば近づくほど、人間が生きるというあり方の<原型>を考えざるを得なくなってくるのではないか。とも語っている。
ヨーロッパの近代社会というものは、すべてのケースに妥当するようなありうべきモデルではない。むしろ箸にも棒にもかからないアフリカ社会の中にこそ、人類社会の<原型>がありはしないか、と。アフリカは文明の未発達な、そこから脱すべき一段階ではなくて、むしろ現在のアフリカの中に人間のモラルや産業や生活や宗教やそれら一切合切の<原型>が揃っているのではないか、と。
やや硬派向け、ところどころ笑いもあって、溜飲も下がる緑陰読書本。
辺見がまったく自由に納得がいかなければ執拗に食い下がって持論を展開するのも小気味がいい。
あとがきで吉本は、辺見のことを「柄の大きい人」「年齢のない人」だと評し(「わたしなどより年長者だという感じがときどきした」)
辺見さんの自由の概念がひろびろとしていて、どんな主題を持ち出しても待ったをかけられる制約を感じたことがなかった。とても良い印象の対談で、おいしい料理をたくさん食べた気がしている。と書いている。
俺もそういう読後感だ。
文春文庫
吉本隆明のことはこれまでほとんど気にしたことがありませんでしたが、この抜粋部分を読んで興味が出てきました。いつか読んでみようと思います。
詩以外の仕事をほとんど知らないのですが、この本は読んでみたいと思います。(いつ読めるかな^^;)
「すべての明るいものは盲目とおなじに 世界をみることができない」というような(うろ覚え)詩(だったか)の一節を思い出しました。
佐平次さんはどんどん読まれてどんどん書かれて眩しいなあ。いつも刺激をくださってありがとうございます。
読んでみよう。
吉本の詩では「転位のための十篇」がおすすめです。彼の思想の原点のように思われます。
その時にむしろ辺見が盛んに「夜=陰翳」のない現代を憂えているのですね。
お薦めありがとう。図書館に探してみます。
これからもますます、よろしくお願いいたします。
もちろん、寄席評も素敵です。
こはるは、いいですね。
隅に置けないなあ^^。
吉本隆明よんだことありませんが、ちょっとよんでみたいかも、、
そういえば、外国は妙齢の男の子は軍隊にはいるものでしたね。
軍隊にはいればよいとか軍備が必要だとかの話じゃありませんが
そんな国にいるのと日本で軍隊しらずにいるのでは確かに
みんなの意識はちがうのでしょうね。
特に当事者の男性に強いられるものはずいぶんちがうのでしょう。
私の母は私たちが兵隊にとられることを考えたら気が狂いそうになると言ってました。男でなくとも相当なストレスになると思います。
アメリカの徴兵制は1973年に廃止されています。正確には停止といったほうがいいかもしれません。
というのは現在,選抜徴兵登録制があり,18歳〜25歳までの男子について登録が義務づけられています。違反者には罰則もあります。
しかし,これは登録だけであって,なんらかの兵役につくわけではありません。いわば,将来,徴兵制を復活する必要にせまられた時のために,名簿たけは準備しておこうというようなもののようです。
↑のgakis-roomさんのコメントの通り現在のアメリカは徴兵制ではありません。
昔のはなしです。
もっとも応募制であればなおのことかっこいいこと言ってても自分は安全地帯にぬくぬくとしている人が多いのでしょうね。
イラクやアフガニスタンに派兵するなら自分も従軍すべきだと吉本ならいうかな。