天道さまがエライか金がエライか 「ゆうじょこう」その2&「金金節」
2013年 07月 08日
熊本の遊所「女紅場」の鐵子先生は新人の娼妓見習いたちに書き方の勉強の第一回を始める。
黒板に「太陽」と書いて、「たいよう」と読みます。
「どうして太陽が一番なのか、わかりますか?」
明治37年の初秋に親から売られて田舎から出て来たばかりの娘たちは、地球が丸いことも、太陽の光がなければあらゆる生き物が生きていけないことも知ることはなかった。
「天子さまも、えらかっど」とイチが首を伸ばして言い、「おっ父さん」「師匠」「弘法大師」、、口々にいうのだ。
天然の理、科学の世界の一番と、権力の世界の一番と、人倫の世界の一番と、仏の世界の一番を、一緒にして較べることはできまい。鐵子さんが若いときは、天子さまでなく将軍さまが一番だったけど、その将軍さまは家来を見捨てて天子さまに降伏し、見捨てられた大勢の家来たちは自ら戦って死んでいった。
人間は生きものであるから、理科的世界の一番を知っておかねばならないのだ。それをほっぽり出して、父母や天子さまや弘法大師を一番にすると、あちこちで悲劇が起こると鐵子さんは思う。
父母のため、親孝行のためという名目で、娘たちは売られてきたが、お天道のために売られることはない。天子さま、父母、神仏のためには、売られたり、命を落とすことがある。
太陽は人間に何も押しつけず、ただ恵みの光を注ぐだけである。
太陽が一番、ということを知っていれば大丈夫。
こういうものがあるのを世界というのだ。
昨日書いた「ゆうじょこう」のことを考えながら歩いて行くと太陽の光が増すのにつれて雲が消えて青空が広がってくる。
そういえば村田喜代子の「光線」という小説のことも書いた。
さあ、帰ろう、サンチ。
昨日俺が書いた↓ばかり。
多くの人がこの歌のことを思いだす今日この頃なのだ。
小沢昭一が唄ったのも覚えている。
売られてきた娘たちは一番大事なものは「親」「天子さま」「師匠」「弘法大師」、、といったが「金」とは言わなかった(すぐにそういうのだろうが)。
福沢諭吉が人間以外のモノとさげすさんだ娼妓たちも最初は「金が一番」とは言わなかったのだ。
ははのんきだね、いろんな歌詞でエノケンが歌ったような気がする。間違ってるかな。あとで調べてみます。
わたしもお天道様が一番エラいに一票。
そうだ、今週は在外選挙の週なのです。大使館に行かなくちゃ。
心落ち着けて聞かないとダメだから明日聞き直します^^。
根っこは同じなんでしょうがね。