長島の前のサードを知ってるかい

24日東京の夕刊に哲学者の梅原猛が「ドラゴンズの不振を嘆く」という文章を書いていた。
落合前監督のフアンに対する無愛想な態度には辟易したけれど、今の高木監督率いる中日のだらしなさを見るにつけ、落合監督が恋しくすら思われる、と書いて、補強のあり方(しなかった)とか、用兵についても具体的に批判している。
選手一人一人の心情を深く洞察して、甚だうまく選手を使うのが名監督である。
高木監督は、野球の戦術ばかりか、選手の心に対する洞察と思いやりを学ぶべきだ、と。

けだし野球ばかりではなくおよそリーダーの要諦だろう。
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老哲学者がプロ野球をよく見ておられるのにびっくりする。
俺は子供のころから野球に興味はあったけれど、試合をじっくり見るということはなく、結果だけ聞いて、一喜一憂していた。
ラジオの実況で小西さんの解説なども聞いた覚えはあるが分析的に聞くというより相槌をきいていたようなもんだ。
「なんと申しましょうか」、懐かしい小西節だ。
「野球界」とか「ベースボールマガジン」などという雑誌を友達から借りてきて眺めたが、それは「明星」でスターの写真を眺めているのと変わらなかった(「明星」はみなかったが)。

せんじつ、居残り会で落語の話から野球の話題になって、驚いたことには俺以外の皆さんが、野球に詳しいのだ。
日本のプロ野球だけでなくメジャーについても個々の監督とか選手の性癖に至るまでよく知っている。
いつもモノゴトの上っ面しか見ていない己が浅薄な生き方を反省させられた次第だ。
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そのとき、こないだの長島・松井ダブル国民栄誉賞はいただけなかったという(これは全員一致)話題から、
長島の前のジャイアンツの三塁手は誰だったか?
という疑問が発せられ(俺から)、千葉茂、川上哲治、平井、、いろんな選手の名前を出して思い出そうとしたけれど、さしもの野球通たちも思い出せないのか、大昔のことじゃん知らないよ、状態だった。

その後、メンバーの一人から「宇野という選手もいたようです」というメールがあった。
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問題提起した責任上、調べてみた。

たしかに宇野は巨人のサードをやった(ベース盤みたいな顔だったような)けれど、肩を壊して一旦新東宝に移籍、ふたたび巨人に復帰したが、1954年に国鉄に移籍している。
長島が巨人に入団したのは1958年、開幕戦で国鉄の金田から4打席連続三振(すべてフルスイング)を喫した。

だから長島直前のサードは、、?
じゃじゃ~ん、土屋正孝選手なのだ。

進学校として我が母校の長野高校と競った松本深志高校出身、投手として巨人に入団したがサードにコンバート、頭脳的な守備と粘り強い打撃で活躍した。
長島が入団したためセカンドにコンバート、その後もベストナインに選ばれるなど巨人の4度のリーグ優勝に貢献した。
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長身で試合中は常にポーカーフェイス、打席ではバットを大きく構えるスタイルが剣豪を髣髴とさせたことから、「眠狂四郎」のニックネームでも親しまれた。しかしこれが川上哲治の気に障り監督就任の年である1961年に国鉄スワローズへトレード移籍させられる。移籍早々3番を打つなど攻守の要として活躍し、同年のチームの球団史上初のAクラス入りの原動力となった。また、この年自身2度目のベストナインも獲得。1965年阪神タイガースに移り、同年限りで現役を退いた。

沢木耕太郎のノンフィクション『敗れざる者たち』の主人公の一人。
と、これはウイキピデイアのコピー。

国鉄時代に巨人戦(ダブルヘッダー)で走者として長島三塁手とクロスプレーになり、2時間近い中断の後、試合再開、ゲームセットは翌日の0時11分だった。

そういえば、我が長野高校からは町田行彦が国鉄に入ってホームラン王になっていた。
上に書いた長島開幕戦で決勝のホームランを打ったのが町田だという。

半世紀も前のことだ。
Commented by kuukau at 2013-06-26 15:39
父も弟も巨人ファンなので、私は阪神ファンになりました。
村山の時代ね。
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-26 16:05
空子さん、村山、江夏、、懐かしい時代です。
あの頃はまだ巨人だったのですが、だんだんアンチになってしまいました。
Commented by tona at 2013-06-26 16:10 x
本当に男性で野球の事を話せない人はめったにいませんね。
国鉄スワローズなんていう懐かしい名前が出てきました。

咲く所には咲いているものです、ノウゼンカズラ。家はモッコウバラに栄養取られ過ぎです。
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-26 16:53
tonaさん、それがね、女性も詳しいのです。一番疎いのが私でした。
椿、桜、ツツジ、紫陽花、半夏生、梔子、薔薇、、四季折々に皆さんが丹精した花を堪能できる、本当にありがたいことです。
Commented by at 2013-06-26 17:42 x
阪神が強かったその昔、皆が熱狂するのを見て冷めた覚えがある。
そのとき私は隠れ巨人、大阪ではそれが許されなかった。
Commented by gakis-room at 2013-06-26 19:03
タイトルを見て,長島の前は宇野だと思ったのですが,間違っていました。
土屋正孝,初めて知りました。
Commented by たま at 2013-06-26 22:15 x
わたしの花事典的には、サクラとツツジの直前か中間に「ユスラウメの薄桃色」の栞を挿入していただきたいところです由。
オオ・金ダ・拾オカ ⇒ タマゴヤキ・タイホウ・・・?
西鉄が是非とも堤さん一家相続人からライオンズ株式を買い戻し、博多の今はなき「平和台球場」に戻らんことを夢見つつ・・・。
Commented by 小言幸兵衛 at 2013-06-26 22:25 x
なぜ、あの時思い出せなかったのでしょう?
沢木の『敗れざる者たち』の「三人の三塁手」ですよ。
もちろん、生では見ていませんよ。
この本でしか知らないのです。
長嶋、土屋、そして関西大学の難波昭二郎。長嶋は南海に行くだろうということで、巨人は難波を強引に入団させた。
しかし・・・・・・。

実は、田園都市線沿線の駅の近くにあった難波さんの奥さんのスナックに行ったことがあり、難波さんのことをお聞きしていたのですが・・・・・・。

さすが佐平次さん、疑問はほうっておけない^^
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-26 22:30
蛸さん、けっこう大阪にもジャイアンツがいるそうですがね。
名古屋にも。
でも大声で応援しにくい場所はあったなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-26 22:32
gakis-room さん、私も宇野の名前の方は覚えていました。
土屋は地味だったのかな。
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-26 22:33
たまさん、ソフトバンクじゃだめですか。
稲尾に中西に、、強いチームでしたね。
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-26 22:38
小言幸兵衛さん、私も「敗れざる者」は読んでいるはずなんですがねえ。
難波も悲劇でしたね。
人生は図ったようにはいかない?
疑問を解決することは幸兵衛さんに刺激されてでしょう^^。
Commented by keiko_52 at 2013-06-27 00:42
巨人大鵬卵焼きの時代でしたからね~

北海道の人は巨人ファンが多かった。
巡業に毎年来ていたからです。
姉は巨人が負けると機嫌がわるかったなぁ~

中西さんというおんなのこが中西ふとしっとからかわれていました。
Commented by 創塁パパ at 2013-06-27 05:37 x
土屋でしたか。このころは国鉄があったので、よく巨人と国鉄のトレードは頻繁でしたね。金田もしかり(笑)
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-27 10:16
keiko_さん、地方はほとんど巨人でしたね、あとは国鉄かな。
今、当時の巨人フアンが離れていくのは正力とナベツネの差がでてるかもしれない。
中西太、太かったなあ^^。
Commented by saheizi-inokori at 2013-06-27 10:18
創塁パパ さん、長野市営球場で国鉄対どこだったか忘れましたが、金田が人気者でした。奥さんの榎本美佐江の歌がガンガンかかっていたなあ、試合開始2時間も前から^^。
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by saheizi-inokori | 2013-06-26 12:12 | よしなしごと | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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