男の弱さに妖刀がつけこむ 新治&さん喬 三田落語会
2013年 06月 23日
久しぶりの晴れ間、サンチの散歩、五羽のコガモ健在!
日向ぼっこをしていながら水浴びしているオヤガモの様子が気になる、ときどき一羽が水に降りて、又あがったり。
古代史の世界にひたったあとは三田へ、「三田落語会」。
去年の6月に初めて聴いた露の新治、すっかり夢中になって、今日は4度目かな。
少し早めに着いたので近所をぶらぶら。
最初のオランダ公使宿館にもなったという西應寺など寺が多い町だ。
「芝浜」を思い出すような魚屋、都議選の選挙カーが入ってきて、窓の両側から白い手袋の腕が上下に振られて、千手観音のようだ、ちっとも助けてくれない観音様だけれど。
満員の会場、仏教伝道センター。
前座は、さん坊「子ほめ」
いろいろ自分なりに新しいクスグリをいれて、ゆったりと、ちょっと遅すぎるか。
新治「おおかみ講釈」
丁寧にお辞儀をして、こういう席で噺ができることを感謝して、「さん坊さんの噺を聴いていても、お子様は年上に見られるのがよろしいようです」と、その入り方から温かいさりげなさを感じさせる。
東京風の、ともすれば前に出た前座をいじる(根っこは温かいのだが)やり方に馴れていると、こういう素直にエールを送るやり方が新鮮だ。
何度か聴いているマクラをポンポン、あっという間に会場をつかんでしまう。
「鉄砲」という言葉が上方では「ふぐ=たまに当たる」と「くだらないことをぺらぺら話す」の二つある。
「ちり結んだようなもので」=「つまらないもので」と、もう遣われない言葉。
食い詰めた男が旅先で講釈師だと嘘をついてたらふく飯を食い”ちり結んだような”謝礼にありついたものの、講釈ができるわけもない。
雪隠から逃げ出して、ホイサホイサ、山道に差しかかると、狼たちに囲まれる。
講釈やります、そやから命ばかりは!
苦し紛れに暗い山道で「難波戦記」を始める、
おや、できるやないか、と俺も大阪弁で思っていると、大高源吾に次郎長に那須与一に平手造酒、中山安兵衛、柴又の寅さん、おわけえのお待ちなせえ、血煙荒神山、、柳亭市馬まで講釈・浪曲・歌舞伎・歌謡と切れ目なしにい一気メドレー、聴いてるこっちは笑っていればいいけれど、やってる新治は大変だ。
大変だけれど命にや代えられない。
「今年の阪神、好い調子」で終わると狼たちはいなくなってる。
(稽古帰り)
さん喬「包丁」
いわばホスト役として新治とのつながりなどを紹介、いつもの季語のようなきざっぽい挨拶も抜きで、いい塩梅に力が抜けている。
「包丁」、清元のお師匠さん・おあきに惚れられて小遣いも着物も世話になってる男が、わきに若い子が出来て、世話女房が邪魔になる。
尾羽打ち枯らした弟分・寅さんを唆して、俺の留守に女房を誘惑してくれ、その場に俺がふんごんで出刃包丁を突き付けて女房を離縁、芸者に売ってその半分はお前にやる。
その相談を鰻屋でする時の、寅さんのひがみっぽく、物欲しそうな表情とつまみの食い方が秀逸。
酔ったふりした寅が小唄を歌いながらおあきをくどく(手を出す)がピシャリとやられるところも巧い。
ムリな筋立てをかえって面白く聴かせる。
休憩後、さん喬「ちりとてちん」
金さん、なにを出されても、「灘の生一本てのがあるとは聞いてましたが頂くのは初めて、、うまいものですね」「米の飯というのがあるとは聞いていましたが、、」、ありがたがってうまそうに食うのはお世辞だとわかっていても気持ちがいい。
その反対に、なんでも一家言、薀蓄を傾けちゃあ、食ってやるの六さん。
金さんスタイルで生きてりゃいいものを、わかっちゃいるけど俺も六さん。
ウマく乗せられて逃げ場を失い、腐った酢豆腐を口の中に入れた六さんの顔、福笑い的百面相。
ここで、プフア~っと、吹き出して、旦那がちりとてちんだらけになる。
そんな演出もないものか、と、これは居残り会での俺の鉄砲。
六さんにシンパシーがあるのだ。
(居残り会、店名に惹かれてはいった店、もしもしお母さん詐欺ではなかった)
新治「大丸屋騒動」
今夜も、白の上布に黒の絽、顔つきもさっきと変わって、キリリと登場。
川の流れに名刀二ふり、そこに笹の葉を流すと、五郎正宗は笹の葉が刀をよけて流れ去り、村雨は笹の葉の方から寄っていきスパッと真っ二つになる。
その村雨の妖刀たるゆえんも知らず、身につけたばかりに魂も凍りつく惨劇。
妖刀がその魔力を発揮する呼び水は男と女の情の通いに、ふと開いた傷一つ。
神話の時代から男は身勝手、こらえ性がない。
能で観たことがある、涼やかな座敷から京都の名所を見渡して「あそこが、だんのう法輪寺、、南禅寺、永観堂、蹴上、、」と名指していく趣向、なにを語っても女のいる祇園に近づいてしまう、、途中から、村正が人格を帯びて高座のまわりをうかがっているような気配。
名演と言っていいだろう。
終わった後で、新治が「この噺は下座が大変なのです、たった一度の打ち合わせでようやってくださいました」と賛辞を送られた、太田その。
「京の四季」、よかった、そのさん、前座の諸君にも乾杯!
上方らしい賑やかで爆笑させる話しぶりから、固唾をのんで聴き入る語りまで、幅広い芸域、ずいぶんなご馳走になったようで、後口がさわやかだから、胸やけもしない。
清風が吹き抜けていくような語り口だ。
日向ぼっこをしていながら水浴びしているオヤガモの様子が気になる、ときどき一羽が水に降りて、又あがったり。
去年の6月に初めて聴いた露の新治、すっかり夢中になって、今日は4度目かな。
少し早めに着いたので近所をぶらぶら。
最初のオランダ公使宿館にもなったという西應寺など寺が多い町だ。
前座は、さん坊「子ほめ」
いろいろ自分なりに新しいクスグリをいれて、ゆったりと、ちょっと遅すぎるか。
新治「おおかみ講釈」
丁寧にお辞儀をして、こういう席で噺ができることを感謝して、「さん坊さんの噺を聴いていても、お子様は年上に見られるのがよろしいようです」と、その入り方から温かいさりげなさを感じさせる。
東京風の、ともすれば前に出た前座をいじる(根っこは温かいのだが)やり方に馴れていると、こういう素直にエールを送るやり方が新鮮だ。
何度か聴いているマクラをポンポン、あっという間に会場をつかんでしまう。
「鉄砲」という言葉が上方では「ふぐ=たまに当たる」と「くだらないことをぺらぺら話す」の二つある。
「ちり結んだようなもので」=「つまらないもので」と、もう遣われない言葉。
食い詰めた男が旅先で講釈師だと嘘をついてたらふく飯を食い”ちり結んだような”謝礼にありついたものの、講釈ができるわけもない。
雪隠から逃げ出して、ホイサホイサ、山道に差しかかると、狼たちに囲まれる。
金がものいう世の中や、狼がものいうたかてええやないか村人を欺いて金や飯をせしめるとは許せないから我々が食ってまう。
講釈やります、そやから命ばかりは!
苦し紛れに暗い山道で「難波戦記」を始める、
おや、できるやないか、と俺も大阪弁で思っていると、大高源吾に次郎長に那須与一に平手造酒、中山安兵衛、柴又の寅さん、おわけえのお待ちなせえ、血煙荒神山、、柳亭市馬まで講釈・浪曲・歌舞伎・歌謡と切れ目なしにい一気メドレー、聴いてるこっちは笑っていればいいけれど、やってる新治は大変だ。
大変だけれど命にや代えられない。
「今年の阪神、好い調子」で終わると狼たちはいなくなってる。
あんなに鉄砲撃ってるのは猟師に違いないでマクラが活きた。
さん喬「包丁」
いわばホスト役として新治とのつながりなどを紹介、いつもの季語のようなきざっぽい挨拶も抜きで、いい塩梅に力が抜けている。
「包丁」、清元のお師匠さん・おあきに惚れられて小遣いも着物も世話になってる男が、わきに若い子が出来て、世話女房が邪魔になる。
尾羽打ち枯らした弟分・寅さんを唆して、俺の留守に女房を誘惑してくれ、その場に俺がふんごんで出刃包丁を突き付けて女房を離縁、芸者に売ってその半分はお前にやる。
その相談を鰻屋でする時の、寅さんのひがみっぽく、物欲しそうな表情とつまみの食い方が秀逸。
酔ったふりした寅が小唄を歌いながらおあきをくどく(手を出す)がピシャリとやられるところも巧い。
ムリな筋立てをかえって面白く聴かせる。
金さん、なにを出されても、「灘の生一本てのがあるとは聞いてましたが頂くのは初めて、、うまいものですね」「米の飯というのがあるとは聞いていましたが、、」、ありがたがってうまそうに食うのはお世辞だとわかっていても気持ちがいい。
その反対に、なんでも一家言、薀蓄を傾けちゃあ、食ってやるの六さん。
金さんスタイルで生きてりゃいいものを、わかっちゃいるけど俺も六さん。
ウマく乗せられて逃げ場を失い、腐った酢豆腐を口の中に入れた六さんの顔、福笑い的百面相。
ここで、プフア~っと、吹き出して、旦那がちりとてちんだらけになる。
そんな演出もないものか、と、これは居残り会での俺の鉄砲。
六さんにシンパシーがあるのだ。
新治「大丸屋騒動」
今夜も、白の上布に黒の絽、顔つきもさっきと変わって、キリリと登場。
川の流れに名刀二ふり、そこに笹の葉を流すと、五郎正宗は笹の葉が刀をよけて流れ去り、村雨は笹の葉の方から寄っていきスパッと真っ二つになる。
その村雨の妖刀たるゆえんも知らず、身につけたばかりに魂も凍りつく惨劇。
妖刀がその魔力を発揮する呼び水は男と女の情の通いに、ふと開いた傷一つ。
神話の時代から男は身勝手、こらえ性がない。
能で観たことがある、涼やかな座敷から京都の名所を見渡して「あそこが、だんのう法輪寺、、南禅寺、永観堂、蹴上、、」と名指していく趣向、なにを語っても女のいる祇園に近づいてしまう、、途中から、村正が人格を帯びて高座のまわりをうかがっているような気配。
名演と言っていいだろう。
終わった後で、新治が「この噺は下座が大変なのです、たった一度の打ち合わせでようやってくださいました」と賛辞を送られた、太田その。
「京の四季」、よかった、そのさん、前座の諸君にも乾杯!
上方らしい賑やかで爆笑させる話しぶりから、固唾をのんで聴き入る語りまで、幅広い芸域、ずいぶんなご馳走になったようで、後口がさわやかだから、胸やけもしない。
清風が吹き抜けていくような語り口だ。
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kuukau at 2013-06-23 12:41
左甚五郎の眠り猫だ!!目開けてるけど。
コガモ元気に育ってて良かった~。
コガモ元気に育ってて良かった~。
0
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saheizi-inokori at 2013-06-23 12:50
空子さん、狸寝入りならぬ、猫寝入りです。
甚五郎より”生きてるよう”です。
甚五郎より”生きてるよう”です。
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かおる
at 2013-06-23 13:38
x
これまた見事なレポートありがとうございます(^^)
新治師匠はお囃子だけでなく、下座の皆さんに賛辞を送られたんですよ。
ツケ、太鼓、銅鑼…すべてタイミングが命です。
上方のハメモノ慣れした下座でもこのくらいのネタになると念入りに打ち合わせをしたいもの。
下座をフル稼働するのは、いかにも上方らしく、本当に芝居を見ているかのようでしたね。
とても一人が演じているようには思えません。芸者の総踊りが見えました。
新治師匠の落語は光の明暗も見えてくる素晴らしいものだと思います(^^)
私は明日もかもめ亭へ参戦予定。
喜多八師匠とは初の組み合わせなので、どんな化学反応が起きるか楽しみです☆
新治師匠はお囃子だけでなく、下座の皆さんに賛辞を送られたんですよ。
ツケ、太鼓、銅鑼…すべてタイミングが命です。
上方のハメモノ慣れした下座でもこのくらいのネタになると念入りに打ち合わせをしたいもの。
下座をフル稼働するのは、いかにも上方らしく、本当に芝居を見ているかのようでしたね。
とても一人が演じているようには思えません。芸者の総踊りが見えました。
新治師匠の落語は光の明暗も見えてくる素晴らしいものだと思います(^^)
私は明日もかもめ亭へ参戦予定。
喜多八師匠とは初の組み合わせなので、どんな化学反応が起きるか楽しみです☆
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kanekatu at 2013-06-23 15:27
ウン、ウンと頷きながら読んでしまいましたよ。いつもながら佐平次さんの講評は臨場感が溢れています。
この日のさん喬は付添人みたいな役割でした。
この日のさん喬は付添人みたいな役割でした。
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創塁パパ
at 2013-06-23 19:18
x
いやあ。すばらしかった。米二・新治上方はいいですね(笑)
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saheizi-inokori at 2013-06-23 20:49
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saheizi-inokori at 2013-06-23 20:51
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saheizi-inokori at 2013-06-23 20:51
創塁パパ さん、上方バンザイ?^^。
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c-khan7 at 2013-06-23 22:38
今年の阪神、良い調子。。だと思っていたら
いつの間にやら3ゲームも離されてました。
いつの間にやら3ゲームも離されてました。
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saheizi-inokori at 2013-06-24 08:57
c-khan7 さん、まあ、2強ですから^^。
by saheizi-inokori
| 2013-06-23 12:21
| 落語・寄席
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