首斬朝右衛門はどうやって高橋おでんを斬ったか 篠田鉱造「明治百話」(上)
2013年 05月 22日
篠田鉱造、1872(明治4年)~1965(昭和40年)、報知新聞記者・風俗研究家。
この人が新聞記者時代に古老たちから聞き書きをした記事を連載した。
その成果が世に名高い本書と「幕末百話」、実に面白い。
子供の頃に浮世床に預けられ、壁一重隔てた隣から聞えてくる世間噺、浮世話の面白さの虜になったという。
しかも、語られる内容が、激動の明治初年に生きた東京の庶民たちの生活、ときたら読んで面白くないはずがない。
12歳の時から父と共に刑場に行き17年間首斬りをしたという首斬朝右衛門の話、
用意万端整うと、
(ウンカリーナ・レアンドリイ マダガスカルの花 東京農大博物館で)
冒頭に殺伐たる語りが載っているが、次は館林藩から浜田藩にお国替えになった殿様についていく家来衆の悲しみ情けなさについての語り、ついで浅草紅勘の若旦那のお噂、寄席の木戸銭の話、、区役所の前身の予算、刑事の探偵物語、道楽者の身過ぎ世過ぎ、芸者の生活、遺っていた江戸っ子気質、子供の遊戯、掏摸の話、上野の鐘撞きの話、、、いろいろあって最後は寄席と浮世床の話、順に読んでも良し、とびとびに読んでも良し、50話が上巻。
旧幕の武家時代の家風が明治の家風に伝わって、便所の落し紙の使い方まで厳しく躾けられるような質素倹約を旨とした様子。
俺だってそういう言葉を遣ったわけじゃないけど、育ったまわりにはまだ言葉の名残りがあったのだ。
さっき、テレビで「アザザア~!」という言葉が発せられたので何ごとかと思ったら「ありがとうございます」といったらしい、ヤレヤレだ。
(モロヘイヤのスープ&ヨーグルト・イチゴ・アーモンド・アサイー・小麦胚芽・シリアル)
言葉といえば漢語が普及し始めた頃だったから、御家中から長屋のオカミサンになったお母さんが子供に「勉強しなさい」なんて言うと、変な女だと思われたという話も載っている。
「学問」とか「稽古」しなさい、というのが普通だったという。
雲助とか扇辰がこの中の話を高座にかけたら面白いんじゃないかな。
岩波文庫
この人が新聞記者時代に古老たちから聞き書きをした記事を連載した。
その成果が世に名高い本書と「幕末百話」、実に面白い。
子供の頃に浮世床に預けられ、壁一重隔てた隣から聞えてくる世間噺、浮世話の面白さの虜になったという。
浮世床のピンピンした活きた話、イキのいいナマの話、名づけて『実話』という興味が、この時から忘れんとしても忘れられず、深くも私の鼓膜に、こびりついてしまったのでありました。しゃべっている話の場所環境が、自然と耳から入って眼へ展開する、そうなるほどに聞き出し、その上でその気分を読者に以心伝心するように書く。
しかも、語られる内容が、激動の明治初年に生きた東京の庶民たちの生活、ときたら読んで面白くないはずがない。
ここでちょっとお話したいのですが、人を斬る呼吸ですな。これはとても一朝一夕にお話は出来ませんし、先祖伝来の秘伝もありますが、素より万物の霊長の首を斬るんですから、気合呼吸、こいつに真念覚悟という事が何より大事なのです。刑場に行くと、いよいよ斬る時までは罪人の方を見ない。
用意万端整うと、
いきなり罪人の側へ出まして、ハッタと睨み付け「汝は国賊なるぞッ」といって一歩進める、途端に柄に右手をかけます。コレは今まで誰にも口外しませんでしたが、この時涅槃経の四句を心の中で誦むのです。第一柄に手をかけ、右手の人差し指を下す時「諸行無常」中指を下す時「是生滅法」無名指(くすりゆび)を下す時「生滅滅已」小指を下すが早いか「寂滅為楽」という途端に首が落ちるんです。、、(略)実をいいますと、始めのうちは斬り(やり)ます時には眼が眩んで四辺(あたり)が真暗になり唯一筋の刀光がキラリと閃いて斬った時始めて眼が醒めます。三人四人と数を重ねて参りますと、今度は四辺もはっきりして、罪人が女だと後れ毛が風にゆらいでいるのまでよく見えて来ます。雲井竜雄、高橋おでん、島田一郎などを斬った時のことを話す。
冒頭に殺伐たる語りが載っているが、次は館林藩から浜田藩にお国替えになった殿様についていく家来衆の悲しみ情けなさについての語り、ついで浅草紅勘の若旦那のお噂、寄席の木戸銭の話、、区役所の前身の予算、刑事の探偵物語、道楽者の身過ぎ世過ぎ、芸者の生活、遺っていた江戸っ子気質、子供の遊戯、掏摸の話、上野の鐘撞きの話、、、いろいろあって最後は寄席と浮世床の話、順に読んでも良し、とびとびに読んでも良し、50話が上巻。
旧幕の武家時代の家風が明治の家風に伝わって、便所の落し紙の使い方まで厳しく躾けられるような質素倹約を旨とした様子。
冗(むだ)を省き贅を憎んだ武家風、町家風が沈んで、欧米の流行というものが鎌首をもたげて、とうとう奢侈の方向へヒタムキ奔(はし)ってしまったものと思われます。そういうのを古くは『文明開化』といっていました。贅沢にするのを『文明開化』と勘違いしていた老人もありました。今や死語となった町の言葉遣いも懐かしい。
俺だってそういう言葉を遣ったわけじゃないけど、育ったまわりにはまだ言葉の名残りがあったのだ。
さっき、テレビで「アザザア~!」という言葉が発せられたので何ごとかと思ったら「ありがとうございます」といったらしい、ヤレヤレだ。
言葉といえば漢語が普及し始めた頃だったから、御家中から長屋のオカミサンになったお母さんが子供に「勉強しなさい」なんて言うと、変な女だと思われたという話も載っている。
「学問」とか「稽古」しなさい、というのが普通だったという。
雲助とか扇辰がこの中の話を高座にかけたら面白いんじゃないかな。
岩波文庫
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poirier_AAA at 2013-05-22 18:10
いま他の本を読んでいて、ちょうどこの時代のことがすごく気になっていたところでした。すごく面白そうですね。読んでみたいなぁ。メモメモ。。。。
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kuukau at 2013-05-22 18:25
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たま
at 2013-05-22 22:06
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「おでんや」にて「きちがい水」をたしなむ(他死なぬ)たびに、いまだ「(高橋)おでん」と「あべ定」の違いを思い起こしつつ・・・。
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saheizi-inokori at 2013-05-22 22:16
poirier_AAAさん、そんなに昔のことじゃないのですよね^^。
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saheizi-inokori at 2013-05-22 22:18
空子さん、勉強はそのころ作られたことばなんです。
インテリだけが使っていた、今の業界言葉と似て非なり。
インテリだけが使っていた、今の業界言葉と似て非なり。
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saheizi-inokori at 2013-05-22 22:19
たまさん、そうそう私もついつい一緒になっちゃいます。
夏のおでんもいいですねえ。
夏のおでんもいいですねえ。
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maru33340 at 2013-05-23 06:46
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saheizi-inokori at 2013-05-23 08:47
maru33340さん、私は朝の海外ニュースを見ながらストレッチ(まがい)をします。
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散歩好き
at 2013-06-08 11:31
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雲井龍雄から藤沢周平の「雲奔る」を読み憂米沢藩の志士を知りました。志が権力に沿わない偉人は一杯居るのでしょう。
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saheizi-inokori at 2013-06-08 20:25
by saheizi-inokori
| 2013-05-22 12:11
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(10)