老いて逝く者の送り方 映画「別離」&「桃さんのしあわせ」
2013年 05月 08日
30年も前に窓際族になったときに浅草で3本1500円という、最近つぶれた映画館で時間をつぶした以来かもしれない。
飯田橋・ギンレイホールなら地蔵通りも近い、それならぜひぜひ寄らねばならぬこの店「ソウル」。
1月に来たきり。
ママと顔を合わせると「わ~っ」と歓声をあげて、奥から妹さんも出てきて大騒ぎ、何様だって。
食べたいものばかり、意地汚く「豚キムチ」と「ビビンバ」を頼んだらいろいろつけてくれて、帰りにはお土産もどっさりリュックに背負わせてくれて「おお、かっこいいじゃん」だって、帰省した気分。
道路に面して物販できるようにしてあるのを写真に撮ってここに載せるつもりだったのに、どういうことか写ってない。
地蔵通りから神楽坂を飯田橋までぶらぶら。
学生時代に「佳作座」というのがこの近くにあったけれど今はもうないのだ。
「別離」が始まって、「あ、これ見た」、去年の5月に見ていた。
その時は、あまり面白くなかったような気がする。
それがどういうことなのか、二時間、息を詰めるようにして見たのだ。
サスペンスの面白さを(二度目だというのに)満喫した。
認知症の父親の背中を洗いながら思わず泣いてしまう主人公の姿に亡妻の最期を看取ったオノレの姿を重ねたのは前回も同じだし、どうしても父親のほうに同情してしまうのも同じだったが、こんどは母親や家政婦の気持ちの切実さもよくわかった。
短気で暴力的な家政婦の夫の生活に追われる辛さすら同情できた。
なんといっても離婚する両親の間で、なんとか二人が別れないようにと苦しみ、嘘をつかなければ父を救えないことになる娘、事件のあと不仲がひどくなるだろう家政婦とその夫の幼い娘、二人の娘たちの哀しみが胸を打つ。
母親が娘を連れてアメリカに行きたがった理由にはイランの現状に対する不安と不満がある。
イランという国がこれからどうなっていくのか。
イスラムの教え・戒律が生活のすべてを束縛し、嘘をつかない、侮辱的言辞を弄さないなどの根本的なルールが現代日本では想像できないほど重きをなしているのは、新鮮にも見えるのだけれど、若い人などには息苦しくもあるだろう。
「桃さんのしあわせ」、こっちは初めてだ。
実の母のように育ててくれた家政婦の桃さんが倒れた。
映画プロデユーサーをして多忙なのだがロジャーは、桃さんを老人ホームに入れて、暇を作っては世話をする。
外に連れ出して食事をしたり、自分の映画のプレミアムショーに同伴したり、、なによりも話し相手になってあげるのが桃さんには嬉しい。
実の親子でもこれほどはと思うほど二人の絆は深まっていく。
桃さんというユーモアがあって愛情深い、しかし芯の強いしっかり者の女性がとても魅力的で可愛い。
日本にも昔はいた、敢えて言えば亡母のような女性だ。
心の奥に温かい泉が湧いてくるような映画、だがロジャーにも死の影が漂う、、怖い映画でもある。
「別離」も「桃さんのしあわせ」も老いて行く者の哀しさが扱われている。
「別離」では認知症の父親の存在が息子夫婦の亀裂を生み、家政婦の家庭も崩壊(?)していく。
「桃さん」は脳卒中で倒れたことがロジャーとの愛を深めて桃さんは幸せに死んでいく。
その差はなんだろう。
理屈抜き、バタンキューで逝きたいものだ。
夏には絶対に行きますから,連れててください。
桃さんの育て方も良かったのでしょう。
ぽっくりもいいですけど、死んだことに気がつかないのもねえ・・・(笑)
最近の神楽坂は・・・少し息苦しいです・・・
しかも、ソウルも行きたい!でーす
やはり久しぶりは懐かしかったですよ。
ちょっと疲れますが^^。
お忙しいかな。
行きたい!行きたい!
ご連絡を待ちます^^。