川崎でキリストが十字架にかけられるのを見てきた 映画「ジーザス・クライスト=スーパースター」
2013年 04月 16日
素直で従順(とくに女性に対して)な俺はさっそく川崎詣で。
横浜にはしょっちゅう行くのに川崎は二三度しか行ったことがない。
多摩川を溝の口の方に越えるのも久しぶり。
天気が良いせいもあって遠足にいくように心が弾む。
ワクワクしたわりに淡々と川崎につく。
それよりもドラッグストアの多いこと!
ツルハ、セガミ、マツキヨ、、一カ所に6店舗くらいが密集している。
あとは、チエーン展開の飲食店とパチンコ屋。
と思って歩いていると、チネチッタの通りに
チネチッタの裏通り(というのか)は新宿二丁目かな。
映画は特別興行につきシニア料金無しで2000円。
春キャベツとなんたらのピッツア580円がチケットの半券提示で10パーセント引き。
警察官と暴徒の乱闘で始まる、ロック・オペラ、アリーナでの公演を映像化した映画。
ユダがキリストの危うさ・リスクを歌う。
長い独唱が迫力満点。
ユダを演じたティム・ミンチンがさいごまで凄かった。
キリストが死が迫って、急に力が衰え自信がなくなるのを感じる。
弟子や民衆からも見捨てられているような寂寥感。
父なる神に問いかける。
私はなぜ死ななければならないのか?なんどもなんども絶叫するキリスト。
私は報われるのか?
知りたい、知りたい、教えてください!
さいごに神の思し召し通りに死ぬことを受け入れる。
決心の変わらぬうちに早く!と。
戦争で死んでいった人、罪無くして縊られた人、はかなくも病に斃れた幼子、、いや、ほとんどの人にとって死は望むものではなく、どうしてこの俺がこの今、死ななければならないのかと思うのだろう。
ふと、革マルのリーダーをやっていた男のことを思いだした。
病気で亡くなった彼は革命で死ななかったことをどう思って死んでいったのだろう。
空海は自分の死をどういう思いで受け止めていたのか。
十字架にかけられるまでの、最後の晩餐、ヘロデの滑稽な裁判、ピラトの審問、むち打ち、息詰まる場面展開に心を奪われながらも、どこかでいろいろな死を想っていた。
「聖書に書かれた通りの男なのか」「あなたが21世紀に生まれてきたら世界を変えていただろう」、キリストに否定的な歌も投げかけられるラスト。
キリストはこの世界をどう観ているのだろうか。
駅前からバスですねん。
行きたくなったな^^;
川崎は未体験ゾーンなり。
オペラファンの友人が知ったら怒りそうです(*へ*);
40年前の騒ぎは少し覚えています。
ヌードの演出もあったような記憶があります。
初夏、風薫る四月でした^^。
そのとき、ロードショウが600円になったばかりで。高いなあ、と思った記憶があります。
チネチッタの裏あたり、たしかに新宿2丁目^^
結局、聖書を書いたんも賢くなれん人間なんよねぇ、
豆太君も一緒かな^^。