待ってました「百年目」 むかし家今松独演会
2013年 04月 14日
夕方から国立演芸場へ。
リキュウバイ(利休梅)の白い花が黄昏に浮びあがって見える。
時間があるので大劇場の前のベンチに座ってお握りを食いながら眺めていた。
ツツジの白もわるくないなあ。
前座、立川笑二「道具屋」
談笑の弟子、テンポが良い。
いろいろアドバイスしてくれる道具屋の先輩に「道具屋風情が成功者ぶって!」なんて陰口をきく、いささか生意気な与太郎は談志の血が流れている?
本屋で談志の新刊本を立ち読みしたら、落語協会のある人気落語家をくそみそに言ってたのを思い出しながら、まあ、弟子たちが育っていないわけではないのだと、だれのためともなくほっとする。
志遊「権助医者?」
「どういうわけか、笑二についで私も談志の弟子、立川流を二人も呼んでいただけるのは今松師匠の懐の広さと付き合いの狭さを物語る」なんて罰当たりなことを言ったクリクリ坊主。
口入屋にきて「どんなに辛い仕事でもいい、タダ働きでもいい、ただひとつ、仙人にしてくれるところを紹介してくれ、万(よろず)口入屋と看板にあるのだから、それができないなら『万は出来ない口入屋』と書け」と公共広告機構みたいなことを言う権助。
薮井竹庵の妻が「10年働けば仙人にしてやると嘘をいって、ただでこき使って、満期の前日にクビにしてしまえ」と恐ろしいことを考えるのはいつも女だ。
権助は、門前の小僧習わぬ経を読んで自分も勉強するものだから竹庵よりもすぐれた医者になってしまう。
竹庵夫妻は権助に養子になってくれという。
すっかり権助フアンになった妻、女心は変わるのだ。
養子にしてくれる気持ちは嬉しいが私はやっぱり仙人になりたい。
そう言えば、そんな約束してたっけ!
明日で10年という日に、泣く泣くクビにしてしまおうと切りだす竹庵先生。
権助が心変わりをした。
その訳は、、。
という噺なんだけど、題名を知らない初めて聴く噺。
同席した居残り会のメンバーも知らなかった。
誰か教えて下さらんか。
今松「開帳の雪隠」
シブイんです、この師匠。
久しぶりにいい陽気で、、北朝鮮は早いところ打ち上げればいいのに、アメリカ本土に打ち込めば世界中に喜ぶ人は多いだろう、なんてノーム・チョムスキーも言わないようなことを言う。
日本人はおかしい、あんなに政治家失格と批判した安倍をいまや絶賛して、いい加減、こんなんでよく世界二位なんてやってたものだ。
俺も同感ですが、落語を聴くときは安倍のことなど考えたくないのだよ。
ネタは、両国回向院の前の店が出開帳(遠国の秘仏などを江戸に出張御開帳すること・こんど両国に善光寺の阿弥陀様が出張開帳する)で多くの参拝客がトイレを借りに来るので有料にしたら大儲け、喜んでいたら他の人がもっときれいな有料トイレを開設したので客が来なくなってしまう。
さいしょ、無料で貸していて迷惑がって有料にすれば来なくなると思った経緯などなんのその、どうしたら逃げた客を取り戻せるか、秘策があたる。
その秘策とは?
昔、植木等の映画で、ビルのトイレに金魚を放すギャグがあった。
それはたしかフランスイタズラ辞典みたいな本に載っている話でもあった。
そんなことを思いだした。
(国立演芸場展示室・ニューマリオネットの人形展)
つづけて今松「締め込み」
ダメな泥棒が空き巣かどうかを確かめるために「こんちは!」「ハイ」「このあたりにクサイヘイサクさんはいませんか」などといい加減なことを訊きながら歩くのが面白くなって何軒も訪ねるところをたっぷりやって空き巣に入る。
お約束のカミさんの「ウンか出刃か、ウンデバか」のくだりが一本調子だったが泥棒の悪びれない軽さは賞すべきだ。
(操り人形の部品)
あした順子「漫談」
81歳になったばかりの順子さん、91歳のひろしがいないのは寂しいけれど、元気いっぱい、爆笑の渦。
「ひろしの代役をして踊ってくれたら、帰るときに粗品か私をあげる」「粗品がいい!」
お約束のギャグの応酬も楽しい。
「竜馬が行く」だったかをみごとに踊って見せてテープから流れるナレーションはひろし。
もう一度、ただ一度でいいから、ふたりの「ヒロシ、ジュンコ」のダンスをみたい。
今松「百年目」
待ってました春の定番。
マジメな国からマジメを広めにやってきたような大番頭の隠された私生活。
小言幸兵衛も顔負けの小言の連発、その番頭が隠れ部屋に上がると押しも押されぬ粋な大旦那にヘンシン。
さいしょは旦那にめっからないようにと船の窓をきちっと締めて花見とはサラリーマンは辛いね。
酒は怖い、酔って陸に上がって扇で顔を隠して芸者たちと鬼ごっこ。
俺もそんな遊びをしてみたかった。
間が悪いことには鬼より怖い旦那も花見にやってきて、そうすりゃこうなる、二人はガツンとぶつかる。
ああ、もうだめだ、間違いなくクビになる。
寝もやらず怯え悔いている番頭。
翌朝、定吉がやってきていうには旦那がちょっと来てくれ。
さすが旦那のお諭しが又ヨロシイ。
番頭さん、晴れてオユルシどころかお褒めの言葉にもあずかってめでたしめでたし。
毎年、この季節には誰かの「百年目」を聴くのが楽しみだ。
シブイ今松、この噺も大仰な起伏を避けて淡々と語った。
淡々ではあってもこの噺の面白味は確実に伝わる。
惜しむらくは大旦那や番頭がお江戸の大店というよりもちょっと鄙に寄った所の大店のような感じがした。
でもそういうちょっと骨太の旦那というのも又好いものだ。
それが今松の持ち味。
今松の強烈なフアンたちが組織した「むかし家今松独演会 実行委員会」が平成9年以来、最初は秋一回だけ、やがて春も一回、”今松で聴きた~い噺”を注文して開催してる。
他の落語会でよく見かける落語フアンは見当たらない、独特の熱い空間だった。
居残り会は今日も。
いつもの店が閉店間際だというのでとなりの店に。
イワシの唐揚げ、頭からばりぼり、落語の話もぺちゃくちゃ、今夜も春宵一刻値千金、俺明日休み、みんなも明日休み!
リキュウバイ(利休梅)の白い花が黄昏に浮びあがって見える。
時間があるので大劇場の前のベンチに座ってお握りを食いながら眺めていた。
ツツジの白もわるくないなあ。
談笑の弟子、テンポが良い。
いろいろアドバイスしてくれる道具屋の先輩に「道具屋風情が成功者ぶって!」なんて陰口をきく、いささか生意気な与太郎は談志の血が流れている?
本屋で談志の新刊本を立ち読みしたら、落語協会のある人気落語家をくそみそに言ってたのを思い出しながら、まあ、弟子たちが育っていないわけではないのだと、だれのためともなくほっとする。
志遊「権助医者?」
「どういうわけか、笑二についで私も談志の弟子、立川流を二人も呼んでいただけるのは今松師匠の懐の広さと付き合いの狭さを物語る」なんて罰当たりなことを言ったクリクリ坊主。
口入屋にきて「どんなに辛い仕事でもいい、タダ働きでもいい、ただひとつ、仙人にしてくれるところを紹介してくれ、万(よろず)口入屋と看板にあるのだから、それができないなら『万は出来ない口入屋』と書け」と公共広告機構みたいなことを言う権助。
薮井竹庵の妻が「10年働けば仙人にしてやると嘘をいって、ただでこき使って、満期の前日にクビにしてしまえ」と恐ろしいことを考えるのはいつも女だ。
権助は、門前の小僧習わぬ経を読んで自分も勉強するものだから竹庵よりもすぐれた医者になってしまう。
竹庵夫妻は権助に養子になってくれという。
すっかり権助フアンになった妻、女心は変わるのだ。
養子にしてくれる気持ちは嬉しいが私はやっぱり仙人になりたい。
そう言えば、そんな約束してたっけ!
明日で10年という日に、泣く泣くクビにしてしまおうと切りだす竹庵先生。
権助が心変わりをした。
その訳は、、。
という噺なんだけど、題名を知らない初めて聴く噺。
同席した居残り会のメンバーも知らなかった。
誰か教えて下さらんか。
シブイんです、この師匠。
久しぶりにいい陽気で、、北朝鮮は早いところ打ち上げればいいのに、アメリカ本土に打ち込めば世界中に喜ぶ人は多いだろう、なんてノーム・チョムスキーも言わないようなことを言う。
日本人はおかしい、あんなに政治家失格と批判した安倍をいまや絶賛して、いい加減、こんなんでよく世界二位なんてやってたものだ。
俺も同感ですが、落語を聴くときは安倍のことなど考えたくないのだよ。
ネタは、両国回向院の前の店が出開帳(遠国の秘仏などを江戸に出張御開帳すること・こんど両国に善光寺の阿弥陀様が出張開帳する)で多くの参拝客がトイレを借りに来るので有料にしたら大儲け、喜んでいたら他の人がもっときれいな有料トイレを開設したので客が来なくなってしまう。
さいしょ、無料で貸していて迷惑がって有料にすれば来なくなると思った経緯などなんのその、どうしたら逃げた客を取り戻せるか、秘策があたる。
その秘策とは?
昔、植木等の映画で、ビルのトイレに金魚を放すギャグがあった。
それはたしかフランスイタズラ辞典みたいな本に載っている話でもあった。
そんなことを思いだした。
つづけて今松「締め込み」
ダメな泥棒が空き巣かどうかを確かめるために「こんちは!」「ハイ」「このあたりにクサイヘイサクさんはいませんか」などといい加減なことを訊きながら歩くのが面白くなって何軒も訪ねるところをたっぷりやって空き巣に入る。
お約束のカミさんの「ウンか出刃か、ウンデバか」のくだりが一本調子だったが泥棒の悪びれない軽さは賞すべきだ。
あした順子「漫談」
81歳になったばかりの順子さん、91歳のひろしがいないのは寂しいけれど、元気いっぱい、爆笑の渦。
「ひろしの代役をして踊ってくれたら、帰るときに粗品か私をあげる」「粗品がいい!」
お約束のギャグの応酬も楽しい。
「竜馬が行く」だったかをみごとに踊って見せてテープから流れるナレーションはひろし。
もう一度、ただ一度でいいから、ふたりの「ヒロシ、ジュンコ」のダンスをみたい。
今松「百年目」
待ってました春の定番。
マジメな国からマジメを広めにやってきたような大番頭の隠された私生活。
小言幸兵衛も顔負けの小言の連発、その番頭が隠れ部屋に上がると押しも押されぬ粋な大旦那にヘンシン。
さいしょは旦那にめっからないようにと船の窓をきちっと締めて花見とはサラリーマンは辛いね。
酒は怖い、酔って陸に上がって扇で顔を隠して芸者たちと鬼ごっこ。
俺もそんな遊びをしてみたかった。
間が悪いことには鬼より怖い旦那も花見にやってきて、そうすりゃこうなる、二人はガツンとぶつかる。
ああ、もうだめだ、間違いなくクビになる。
寝もやらず怯え悔いている番頭。
翌朝、定吉がやってきていうには旦那がちょっと来てくれ。
さすが旦那のお諭しが又ヨロシイ。
番頭さん、晴れてオユルシどころかお褒めの言葉にもあずかってめでたしめでたし。
シブイ今松、この噺も大仰な起伏を避けて淡々と語った。
淡々ではあってもこの噺の面白味は確実に伝わる。
惜しむらくは大旦那や番頭がお江戸の大店というよりもちょっと鄙に寄った所の大店のような感じがした。
でもそういうちょっと骨太の旦那というのも又好いものだ。
それが今松の持ち味。
今松の強烈なフアンたちが組織した「むかし家今松独演会 実行委員会」が平成9年以来、最初は秋一回だけ、やがて春も一回、”今松で聴きた~い噺”を注文して開催してる。
他の落語会でよく見かける落語フアンは見当たらない、独特の熱い空間だった。
いつもの店が閉店間際だというのでとなりの店に。
イワシの唐揚げ、頭からばりぼり、落語の話もぺちゃくちゃ、今夜も春宵一刻値千金、俺明日休み、みんなも明日休み!
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kuukau at 2013-04-14 16:22
私は昨夜が春宵値千金でした。何をしゃべったか忘れるほど話題はあっちへ飛びこっちへ飛び。
心地よい酔いだけが残りました。私、明日はホントの休み!!
心地よい酔いだけが残りました。私、明日はホントの休み!!
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sweetmitsuki at 2013-04-14 17:35
「杜子春」によく似てると思って調べてみたら、芥川龍之介の作品に「仙人」という、まったく同じ筋の話がありました。
オチは違うようで、医者の女房は満期のその日に権助が死んでしまうようなことを「仙人になる術」として教え(最後まで恐ろしいことを考えるのです)、迷わず実行した権助は死なずに仙人になる、というお話です。
落語ではどうアレンジされてるのか、すごく気になります。
オチは違うようで、医者の女房は満期のその日に権助が死んでしまうようなことを「仙人になる術」として教え(最後まで恐ろしいことを考えるのです)、迷わず実行した権助は死なずに仙人になる、というお話です。
落語ではどうアレンジされてるのか、すごく気になります。
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saheizi-inokori at 2013-04-14 18:37
空子さん、酔う、ってすばらしいですね。
酒に酔い、噺に酔い、人に酔い、ご馳走に酔い、世界に酔って、寝てしまう。ああ、極楽!
酒に酔い、噺に酔い、人に酔い、ご馳走に酔い、世界に酔って、寝てしまう。ああ、極楽!
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saheizi-inokori at 2013-04-14 18:42
sweetmitsukiさん、女房は可哀そうだから引導を渡せないと箱根の山の温泉に逃げてしまうのです。
権助が仙人になれないというのは、近所のお花(だったかな)に俺が必ず病気を治してやると約束したのにまだ治っていないから、ウソをつくのは絶対にイヤだから。
仙人になれるのは10年目の今日かぎり、早くとも遅くともダメと言われていたのですよ。
なかなか、泣かせる噺になってました。
「仙人」とでもいうのかな。
権助が仙人になれないというのは、近所のお花(だったかな)に俺が必ず病気を治してやると約束したのにまだ治っていないから、ウソをつくのは絶対にイヤだから。
仙人になれるのは10年目の今日かぎり、早くとも遅くともダメと言われていたのですよ。
なかなか、泣かせる噺になってました。
「仙人」とでもいうのかな。
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saheizi-inokori at 2013-04-14 18:43
sweetmitsukiさん、追って、女房が箱根の山に雲隠れしたと聞いた権助が「おかみさんが仙人になってしまった」とサゲルのです。
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sweetmitsuki at 2013-04-14 20:10
「杜子春」は中国に原作があるのだそうですが、それはただ不思議なだけの怪奇譚で、それを不服とした芥川龍之介が「杜子春」を泣かせる話としてリメイクしたのだそうです。
「仙人」の原作はどこだかわかりませんが、芥川作品の「仙人」はただ不思議なだけの怪奇譚で、それを泣かせる話にリメイクしたのは噺家さんの思い入れがあったのでしょうね。
「仙人」の原作はどこだかわかりませんが、芥川作品の「仙人」はただ不思議なだけの怪奇譚で、それを泣かせる話にリメイクしたのは噺家さんの思い入れがあったのでしょうね。
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saheizi-inokori at 2013-04-14 20:55
sweetmitsukiさん、「泣かせる」と書きましたが、まあ、「ナカセル」ぐらいでしょうか。
彼の自作自演のようです。
彼の自作自演のようです。
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たま
at 2013-04-14 22:34
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拙宅の庭の「利休梅」(リキュウバイ)も今日の強風に「最後の晴れ姿」だったのでしょうか。
拙宅の「出戻り娘」にも今日は精一杯の晴れ姿だったのでしょう。
新たな伴侶となるべき「バツイチ男」のご両親との顔合わせ会にて、相手方のお父上と意気投合し、べろんべろん寸前でした由。
来週から古相方と2人家族にて、「リキュール BY!」は困難かしら・・・?
拙宅の「出戻り娘」にも今日は精一杯の晴れ姿だったのでしょう。
新たな伴侶となるべき「バツイチ男」のご両親との顔合わせ会にて、相手方のお父上と意気投合し、べろんべろん寸前でした由。
来週から古相方と2人家族にて、「リキュール BY!」は困難かしら・・・?
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keiko_52 at 2013-04-14 23:28
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蛸
at 2013-04-15 00:25
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耳から目から口から、ご馳走だらけ、よろしいなぁ、
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saheizi-inokori at 2013-04-15 09:09
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saheizi-inokori at 2013-04-15 09:11
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saheizi-inokori at 2013-04-15 09:13
熊伍朗さん、毎日休日の身からすると仕事に出かける人がちょっとうらやましいですよ。
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saheizi-inokori at 2013-04-15 09:13
蛸さん、ご馳走は待っていてもこないから探し歩きます^^。
by saheizi-inokori
| 2013-04-14 14:13
| 落語・寄席
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