一茶の故郷から届いた本 新堀邦司「武と愛の人 新島八重の生涯」

NHKFMでシャンソンを聴いたら、「ラララ~ラ~」懐かしいメロデイ―が浮かんできて、鼻歌歌いながら漢方薬を煎じる。
ラララ~のあとが出ない、YOUTUBEであれかこれかと聴いているうちに、最初のラララ~を忘れてしまった。
シャボン玉か、お湯のなかのスカシッペみたいなシャンソン。
四月一日と書いて「わたぬき(綿貫)」と読む苗字の方がいると、東京新聞の「筆洗」が教えてくれたエイプリルフールの朝。
春の衣替えを四月一日(旧暦)にしたからと、ウソじゃない。
久方の光のどけき春の朝、シャンソンが似合う朝だ。
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こんなに桜を堪能した年は初めてだ。
一日一度じゃ飽き足らず、昼に夕べに、桜追い。
照る日曇る日、時の移ろいに表情を変えるさまを追いかける。
昼はピンクの花筏を浮かべた呑川が、夜は白々とミルキーウエイに。
はれ ほろ ひら はれ
しつこころなく しつこころなく
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信州信濃の柏原でまだ咲かぬ桜を待ちわびる友達から本が送られてきた。
畏友新堀邦司君の書いた本、読んでその気になったら梟通信に載せてくれ。
一茶の句を版画にして、きょねんは「3・11以後」を俳句にしてフランスで個展を成功させた池田充君からの便り。
俺のブログなどなんの力になるはずもないとは思うけれど、友達思いの気持ちに感じてさっそく読んだ。
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昼過ぎに読み始めて、桜見物や食事を挟んで読了、読みやすいこともあるけれど、新島八重の人間らしい苦しみと喜びに満ちた力強い生き方に魅せられたのだ。

淡々とした筆致だが、著者の八重と新島襄に対する尊敬・愛情の念が伝わってくる。
八重の兄、山本覚馬の偉さを発見して、
覚馬と出会わなかったとしたら、新島襄の活躍の場は違っていただろうし、同志社ももっと多難な道を経てきたかも知れない。今日の京都の発展もなかったであろう。その意味で、覚馬はもっと、もっと評価されてよい
と書いている。

不肖は覚馬どころか、八重、新島襄の偉さすらほとんど知らなかったのを恥じる。

テレビドラマは見ないので、八重がどのように描かれているのかは分からないが、会津戦争でジャンヌダルクにも比せられる活躍をしたことは、彼女の86年の生涯のほんの序の口で、その後の65年を人間として「武の女」から「愛の女」へと成長していったところを著者は力を入れて書いているし、読んで心打たれる。
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京都で働いている友人が東大を出ていると聞くと「なんで東大なんかにいったのか」とちょっと驚く京都人が一人ならずいるという。
京大ではなく同志社大学、それこそ彼らが認める本当の大学ということらしい。

その噺を本書を読むまでは面白いネタだくらいにしか思っていなかったのを恥じる。
新島襄の建学の精神・苦闘を知った今は。
同志社教育の目的は、神学、政治、文学、自然科学などいずれの分野に従事するにせよ、どれもはつらつたる精神力があって真正の自由を愛し、それによって国家につくすことができる人物の養成に努めること。
いやしくも教職員は学生を丁重に扱うこと。
同志社では倜儻不羈を圧迫しないで、できるだけ彼らの本性にしたがって個性を伸ばすようにして天下の人物を養成すること。
死の二日前、”しっかりした口調で”伝えた遺言を、徳富猪一郎(蘇峰)が、一語一句を漏らさず書き留めた中の10か条に及ぶ同志社に宛てたその一部だ。

倜儻不羈、てきとうふき。
明治の知識人が好んで口にした言葉。
自分の考えをしっかり持ち、他者に御せられない人のことをいう。
人にぬきんでて他人に束縛されず、のびやかな大きな人柄。
リーダーに求められる資質だ。

池田君、良い本をありがとう。
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里文出版
Commented at 2013-04-01 12:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by LiberaJoy at 2013-04-01 13:06
少なくとも、これを読んで一人は読者が増えましたよ^^。
Commented by ginsuisen at 2013-04-01 14:26
わがふるさとの「上毛かるた」には「平和の使徒新島襄」というのがあるのですが、ずっと、長いこと??だったのですが、こんどのドラマ関連レ式番組で、新島八重、覚馬のこと、そして、若くしてアメリカへ渡った新島襄のことを知り、なーるほどとおもっているところです。大河ドラマも会津の側からの描きかたなので、こちらもナールです。そう、その歴史番組でも覚馬の存在を高く評価していました。佐久間象山以上の考え方だったようです。それにしても、八重という女傑。たしかにすごいですねー。明治維新という時代のうねりの中で、あたらしい考え方をとりいれていく。なんと!と思います。
Commented by kuukau at 2013-04-01 14:58
京都の人は東京、東大が嫌いよ(笑)
京大より同志社は京都人の矜恃やね。
中高があるので知り合いの誰かが同志社と繋がりをもってるし。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 16:51
鍵コメさん、本を読むと日本のキリスト教会の基礎を造ったような感じがします。
大学も有為な人材を多数輩出してますものね。
佐藤優もそうでした。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 16:52
LJさん、ありがとう^^。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 16:54
ginsuisenさん、安中は夫婦にとって特別な土地だったようで、機会を作っていってみたいと思いました。
「平和の使い、、」のかるたのことも出てきましたよ。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 17:00
空子さん、新島は始めは大阪に大学を創ろうと思ったのですが、時の大阪府知事がキリスト教嫌いで頑強に拒絶したので、京都に行ったそうです。
覚馬が京都知事のブレインをしていて力になったそうです。
八重と再婚させたのも覚馬の働き、その二人が力を合わせて同志社を作り、そこで育った人たちが京都をつくってきた、不思議な縁です。
同志社もはじめは優秀な生徒が集まらなかったけれど、熊本から熊本バンドといわれる意思堅固なキリスト教学生が集団でやってきて基礎が固まったようです。
会津など全国から人材が集まった、それも意思のある人たち、そこが権力志向の学生が主体の東大とは違うのではないかな。
Commented by c-khan7 at 2013-04-01 18:18
シャンソン、、シャンソン。。すぐに思い付く唄といえば「愛の賛歌」かなぁ〜。ジルベールベコ〜の「そして今は」ってのもシャンソンかぁ〜。saheiziさんの鼻歌の原曲が気になります。
Commented by たま at 2013-04-01 19:43 x
ひょっとして、『パリの空の下セーヌは流れる』かしら?
(これだと「ララララ~ラ ラララ」か)
それとも、『ブーベの恋人』、または、はたして、季節はずれの『枯葉』・・・?
Commented by 小言幸兵衛 at 2013-04-01 21:09 x
「八重の桜」を放送中とはいえ、母校のことを褒めていただき、感謝です。(あら、カミングアウト^^)
「良心の全身に充満したる丈夫の起こり来たらんことを」という言葉は、今でも忘れません。
あの大学の運動部には暴力は、ほぼ皆無です。
「ならぬものはならぬ」のです。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 21:10
c-khan7 さん、たまさん、だから分からなくなっちゃったんですって。
パリの空の下、パリの屋根の下、いろいろあるし、似てるのが多いんですよ。
フランス人は歌謡曲や民謡はみんな同じに聞えるんじゃないかな。
それと似てる?^^・。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 21:12
小言幸兵衛さん、そうだったんですか!
ますます尊敬の念が増しますよ。
Commented by 熊伍朗 at 2013-04-01 21:19 x
シャンソン好きだったなあ・・・。
若い頃、よく銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に行ったものです。
三輪明宏や金子由香利、北原ミレイといった、今や大物歌手が歌ってました。
山口百恵もよく通っていたそうです。

京都人は、東京人を上から目線でみてますよね(笑)
でも、歴史が違いすぎますから仕方ありません。
私の出た大学も、もともと京都御所にありましたんえ~。跡地だけはまだ残ってはります~(いい加減な京ことばどす)(^^;
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-01 21:33
熊伍朗さん、天皇はちょっと東京に行ってはるだけやもんね^^。
シャンソン、「急流」というのが好きです。
唄ったことすらありますえ、歌になっていたかどうかは知らしまへんどすが。
Commented by hanamomo06 at 2013-04-01 21:52
ここで紹介くださる本は本当に読みたくなってしまいます。
本そのものがいい本だと言うほかに saheizさんの紹介がまた素晴らしい。
八重の桜毎回録画して一人でじっくり見ています。
八重さんのあんつぁま(山本覚馬)は偉大ですね。
NHKで襄と八重が暮らした家など紹介しておりました。
洋館の中にも和のエッセンスがちりばめられた素敵な住まいでした。
>今日の京都の発展もなかったであろう。その意味で、覚馬はもっと、もっと評価されてよい
本当にそうだと思います。京都大好きで若いころは何度も行きました。
Commented by at 2013-04-01 22:11 x
三つ葉ツツジにヤマツツジじゃないのかな?
懐かしいな、今、木の香りが蘇ったさ、
ありがとぉ!
Commented by silku928 at 2013-04-01 22:19
こんばんは。連日見事な桜ですね。眼福なり。

同志社のチャペルもまた見事です。
従妹の結婚式で歌った讃美歌、忘れません。
八重さん、生き方、心根、まさにハンサムウーマン!!です。
Commented by haru_rara at 2013-04-02 08:34
会津では山本(新島)八重はこれまで殆ど取り上げられることのない人物だったようです。ほかにも傑出した女性が何人も出ていますから、なぜ八重?と。今や観光客においでいただけるならなんでも!と俄か八重ブームで湧いておりますけれども。
ですが、今回のドラマを機に初めて八重とその周辺の人達のことを私も少し知り始め、こういう人たちを輩出した会津という土地を改めて見直しています。戊辰の影にいまだ引きずられイヤだなあとばかり思っていましたが。。。八重は愛情深く、凛とした女性ですね。
信州は会津と縁の深い土地です。いいご本をご紹介いただきありがとうございました。きっとドラマなどより、深く伝わるものがあるはずですね。読んでみたいです。柏原も懐かしい思い出の地です。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-02 10:19
hanamomo06さん、男女同権そのもの、今の時代でも先端を行く生き方ですね。
こういう本を読むと京都の歩き方も変わりそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-02 10:20
蛸さん、私は花の名を知らない、訊いても忘れるから聴かなくなってしまいました。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-02 10:23
silku928 さん、外見というよりも心の美しい人です!
それを見ぬき愛した襄も素晴らしいですね。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-02 10:26
haru_raraさん、わずか1年とちょっとの会津体験で知り合った人たちの横顔はどこか八重が愛した人々のそれに通じているような気がします。
信州と会津の関係、知りませんでしたよ。
教えてください。
Commented by ほめ・く at 2013-04-02 13:30 x
海外旅行で郷土史家の方とご一緒したことがあります。八戸の人でしたが、幕末から明治維新にかけての薩長の横暴と、会津に対する評価がいかに不当かをコンコンと説かれました。どうやら私たちは薩長史観に染められているらしい。
戊辰戦争も会津側から描かれると、私たちの認識とはだいぶ異なるようです。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-02 18:17
ほめ・くさん、私も好き嫌いでいえば断然会津派です。
しかし歴史を動かしたのは薩長でしょうね、残念というかなんというか^^。
Commented by gakis-room at 2013-04-02 18:48
良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ

あの時代に学問の礎を良心とした新島襄は希有な思想家だと思っています。今の時代でも,いいえ,今の時代だからこそなお光彩を放っているように思われます。
Commented by saheizi-inokori at 2013-04-02 20:32
gakis-roomさん、同感です。
今一番欠けているのが、それだと思います。
政治、経済、教育、すべてに。
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by saheizi-inokori | 2013-04-01 12:00 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(27)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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