一茶の故郷から届いた本 新堀邦司「武と愛の人 新島八重の生涯」
2013年 04月 01日
ラララ~のあとが出ない、YOUTUBEであれかこれかと聴いているうちに、最初のラララ~を忘れてしまった。
シャボン玉か、お湯のなかのスカシッペみたいなシャンソン。
四月一日と書いて「わたぬき(綿貫)」と読む苗字の方がいると、東京新聞の「筆洗」が教えてくれたエイプリルフールの朝。
春の衣替えを四月一日(旧暦)にしたからと、ウソじゃない。
久方の光のどけき春の朝、シャンソンが似合う朝だ。
一日一度じゃ飽き足らず、昼に夕べに、桜追い。
照る日曇る日、時の移ろいに表情を変えるさまを追いかける。
昼はピンクの花筏を浮かべた呑川が、夜は白々とミルキーウエイに。
はれ ほろ ひら はれ
しつこころなく しつこころなく
畏友新堀邦司君の書いた本、読んでその気になったら梟通信に載せてくれ。
一茶の句を版画にして、きょねんは「3・11以後」を俳句にしてフランスで個展を成功させた池田充君からの便り。
俺のブログなどなんの力になるはずもないとは思うけれど、友達思いの気持ちに感じてさっそく読んだ。
淡々とした筆致だが、著者の八重と新島襄に対する尊敬・愛情の念が伝わってくる。
八重の兄、山本覚馬の偉さを発見して、
覚馬と出会わなかったとしたら、新島襄の活躍の場は違っていただろうし、同志社ももっと多難な道を経てきたかも知れない。今日の京都の発展もなかったであろう。その意味で、覚馬はもっと、もっと評価されてよいと書いている。
不肖は覚馬どころか、八重、新島襄の偉さすらほとんど知らなかったのを恥じる。
テレビドラマは見ないので、八重がどのように描かれているのかは分からないが、会津戦争でジャンヌダルクにも比せられる活躍をしたことは、彼女の86年の生涯のほんの序の口で、その後の65年を人間として「武の女」から「愛の女」へと成長していったところを著者は力を入れて書いているし、読んで心打たれる。
京大ではなく同志社大学、それこそ彼らが認める本当の大学ということらしい。
その噺を本書を読むまでは面白いネタだくらいにしか思っていなかったのを恥じる。
新島襄の建学の精神・苦闘を知った今は。
同志社教育の目的は、神学、政治、文学、自然科学などいずれの分野に従事するにせよ、どれもはつらつたる精神力があって真正の自由を愛し、それによって国家につくすことができる人物の養成に努めること。死の二日前、”しっかりした口調で”伝えた遺言を、徳富猪一郎(蘇峰)が、一語一句を漏らさず書き留めた中の10か条に及ぶ同志社に宛てたその一部だ。
いやしくも教職員は学生を丁重に扱うこと。
同志社では倜儻不羈を圧迫しないで、できるだけ彼らの本性にしたがって個性を伸ばすようにして天下の人物を養成すること。
倜儻不羈、てきとうふき。
明治の知識人が好んで口にした言葉。
自分の考えをしっかり持ち、他者に御せられない人のことをいう。
人にぬきんでて他人に束縛されず、のびやかな大きな人柄。
リーダーに求められる資質だ。
池田君、良い本をありがとう。
「平和の使い、、」のかるたのことも出てきましたよ。
覚馬が京都知事のブレインをしていて力になったそうです。
八重と再婚させたのも覚馬の働き、その二人が力を合わせて同志社を作り、そこで育った人たちが京都をつくってきた、不思議な縁です。
同志社もはじめは優秀な生徒が集まらなかったけれど、熊本から熊本バンドといわれる意思堅固なキリスト教学生が集団でやってきて基礎が固まったようです。
会津など全国から人材が集まった、それも意思のある人たち、そこが権力志向の学生が主体の東大とは違うのではないかな。
「良心の全身に充満したる丈夫の起こり来たらんことを」という言葉は、今でも忘れません。
あの大学の運動部には暴力は、ほぼ皆無です。
「ならぬものはならぬ」のです。
パリの空の下、パリの屋根の下、いろいろあるし、似てるのが多いんですよ。
フランス人は歌謡曲や民謡はみんな同じに聞えるんじゃないかな。
それと似てる?^^・。
ますます尊敬の念が増しますよ。
若い頃、よく銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に行ったものです。
三輪明宏や金子由香利、北原ミレイといった、今や大物歌手が歌ってました。
山口百恵もよく通っていたそうです。
京都人は、東京人を上から目線でみてますよね(笑)
でも、歴史が違いすぎますから仕方ありません。
私の出た大学も、もともと京都御所にありましたんえ~。跡地だけはまだ残ってはります~(いい加減な京ことばどす)(^^;
本そのものがいい本だと言うほかに saheizさんの紹介がまた素晴らしい。
八重の桜毎回録画して一人でじっくり見ています。
八重さんのあんつぁま(山本覚馬)は偉大ですね。
NHKで襄と八重が暮らした家など紹介しておりました。
洋館の中にも和のエッセンスがちりばめられた素敵な住まいでした。
>今日の京都の発展もなかったであろう。その意味で、覚馬はもっと、もっと評価されてよい
本当にそうだと思います。京都大好きで若いころは何度も行きました。
ですが、今回のドラマを機に初めて八重とその周辺の人達のことを私も少し知り始め、こういう人たちを輩出した会津という土地を改めて見直しています。戊辰の影にいまだ引きずられイヤだなあとばかり思っていましたが。。。八重は愛情深く、凛とした女性ですね。
信州は会津と縁の深い土地です。いいご本をご紹介いただきありがとうございました。きっとドラマなどより、深く伝わるものがあるはずですね。読んでみたいです。柏原も懐かしい思い出の地です。
こういう本を読むと京都の歩き方も変わりそうです。
それを見ぬき愛した襄も素晴らしいですね。
信州と会津の関係、知りませんでしたよ。
教えてください。
戊辰戦争も会津側から描かれると、私たちの認識とはだいぶ異なるようです。
しかし歴史を動かしたのは薩長でしょうね、残念というかなんというか^^。