ぜひ再訪したい小浜の古刹 越前の古い町
2013年 03月 14日
一粒でなんどもうまいのじゃ。
宗教だって生き延びていくためにはマーケティングが必要、人々の尊崇をあつめるためにはびっくりするような大伽藍も必要だったのかもしれないけれど。
もっともそういう発想ではなく、ひたすら座禅によって悟りを求めるというのが道元、人々の尊崇などは迷惑だったかもしれない。
建物を支配するのは大きさ、ただそれだけのような感じを受けたと言ったら言い過ぎだろうか。
寺の前の商店街で、新入生らしい僧が幼い屈託のない顔をして親と記念写真を撮っている。
先輩らしい僧たちが何人か、一緒に並んで、店の人がシャッターを押している。
別に悪いとは言わないけれどなあ。
美しい浜にみんな平和に暮らしていたんですよ「水晶浜」、若狭国定公園の看板もあった。
ここから昨日の店まで15キロくらいか。
堀江邦夫「原発ジプシー」に出てくる美浜原発だ。
ここで下請け労働者として働いた堀江が泊ったような宿が、寂しげに佇立している。
716年創建の古寺、長く秘仏とされていた十一面観音↑、彩色も残っていて、ひざ下まで伸ばした右腕が印象的だ。
始めは永平寺のあと、三国港の民宿に行ってウマイ肴でも食うかと思ったら金曜日が満員、それで方向転換して小浜に来たので、ここがこんなに素晴らしい仏たちの故郷とは知らなかったのだ。
”名園”などはなく、むしろ無造作に剥き出しの”村の寺”の佇まい。
お堂の中は薄暗いけれどじっと間近に仏像に対していると、慈しみに満ちたお顔・姿が浮かび上がってくる。
驕り高ぶり、貪り、不平不満、、俺の心にたまった垢が溶けて流れていくようだ、一瞬だけだが。
自然にこうべを垂れて、だれにともなく謝りたくなる、傲慢・貪欲な自分を。
二月堂で大仏開眼のために修二会を行った際、全国から招かれた神々のうち、若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅参した。
それでお詫びのしるしに、以後閼伽水を送る約束をして、二羽の鵜に地下水道を作らせたというのだ。
魚取りに夢中になって遅参!神様もいいとこあるじゃん。
規模の大きさを競うのではなく、救いを求めてくる衆生の心に向かい合うことを大事にしているような寺と仏様たち。
参るのは俺たちだけ、ゆっくりしたければいくらでもそうしていなさい、といわんばかり。
ま、神社仏閣と観光客もミスマッチだけど・・信者だけでは食えない時代だから仕方ないけど。
その風情が好いと思う罰当たりな隠居でした^^。
娘さんと一緒に東京からいかれたらいいですね、
でも親しさを感じる良い町でした。
日本の原風景、という気がします。
フーテンのようにあちこちさ迷い歩くのも又楽しからずや^^。