ナニ考えてるの? 駄目な店の特徴 独りよがり またはナアンも考えてない
2005年 11月 23日
さっき、散歩の途中に寄った店。いわゆる小粋な小料理屋、靴を脱いであがる。入って右側にカウンター、廊下を挟んで部屋がいくつか。割烹といってもいいくらい。
カウンターの中には職人が3人。愛想なし。割烹風のきちんと書いたお品書きのほかに「呑み放題メニュー」などというのがPC手作りでケースに入って出てくる。要するに気取った店を出したもののどうにもならなくて、もがいているってわけ。
かなり強気な値段のいろいろと何とか御膳みたいなのがあって、「焼き魚御膳」2500円と言うのを頼んだ。
見た目それっぽくまとめて味もソコソコではあるが、チョコチョコ出てくる、そのどれひとつとしてウマイ!というものはない。住宅街の駅そばで一体どういう人がこういう食事をするのだろう。家族?接待?3000円を超えても料理のレベルを上げて(それが出来るような感じはしなかったけれど)わざわざ来たくなるような店にするか、逆に刺身の品数を落とすとか美味しくもないアンキモなどメニューの格好付けを辞めて(要するに実質主義にして)2000円を切って出すとか。どっちかにしないと。
もっとも店のつくりは大衆路線とは言いかねるなあ。近所にいわゆる定食屋の傑作があっていつも老若男女を問わず個人、夫婦、家族でにぎわっているのと対照的だ。そこは1000円出せばかなり豪勢な定食プラス二品くらいは食べられる。何よりご飯がこの店よりハルカにうまい。
何となく”ソコソコの店”を作ってしまう。誰を・どういう客を選ぶかについて考えてない。お客の目を勉強していない。遊んだこともないのかも。自分の料理の実力も自覚していない。こういうどっちつかずの店が実に多い。一品づつのグレードとか出し方、メニュー構成、プライス、インテリア、接客・・全てが銀座でも新宿でもない、かといって住宅街や郊外でもない。何となくそこそこ。結局どの客も来ない。呑み放題などの営業努力をすればするほどメチャクチャになっていく。荒れた店になりやがてつぶれる。
写真のブリ大根は、関内「山田屋」。これは立地条件とマッチするギリギリのところでバランスのいい店だ。撮ったはずの写真が消えたので携帯が食ってしまったかと食いしん坊!と文句を言ったら反省したらしく一枚だけ返してよこした。可愛いところもある携帯だ。
カウンターの中には職人が3人。愛想なし。割烹風のきちんと書いたお品書きのほかに「呑み放題メニュー」などというのがPC手作りでケースに入って出てくる。要するに気取った店を出したもののどうにもならなくて、もがいているってわけ。
かなり強気な値段のいろいろと何とか御膳みたいなのがあって、「焼き魚御膳」2500円と言うのを頼んだ。
見た目それっぽくまとめて味もソコソコではあるが、チョコチョコ出てくる、そのどれひとつとしてウマイ!というものはない。住宅街の駅そばで一体どういう人がこういう食事をするのだろう。家族?接待?3000円を超えても料理のレベルを上げて(それが出来るような感じはしなかったけれど)わざわざ来たくなるような店にするか、逆に刺身の品数を落とすとか美味しくもないアンキモなどメニューの格好付けを辞めて(要するに実質主義にして)2000円を切って出すとか。どっちかにしないと。
もっとも店のつくりは大衆路線とは言いかねるなあ。近所にいわゆる定食屋の傑作があっていつも老若男女を問わず個人、夫婦、家族でにぎわっているのと対照的だ。そこは1000円出せばかなり豪勢な定食プラス二品くらいは食べられる。何よりご飯がこの店よりハルカにうまい。
何となく”ソコソコの店”を作ってしまう。誰を・どういう客を選ぶかについて考えてない。お客の目を勉強していない。遊んだこともないのかも。自分の料理の実力も自覚していない。こういうどっちつかずの店が実に多い。一品づつのグレードとか出し方、メニュー構成、プライス、インテリア、接客・・全てが銀座でも新宿でもない、かといって住宅街や郊外でもない。何となくそこそこ。結局どの客も来ない。呑み放題などの営業努力をすればするほどメチャクチャになっていく。荒れた店になりやがてつぶれる。
写真のブリ大根は、関内「山田屋」。これは立地条件とマッチするギリギリのところでバランスのいい店だ。撮ったはずの写真が消えたので携帯が食ってしまったかと食いしん坊!と文句を言ったら反省したらしく一枚だけ返してよこした。可愛いところもある携帯だ。
食いしん坊の携帯くん。持ち主に似たのかな?(笑)
小賢しいことを考えるより、感じることが大事だよってカーサカエルくんも言ってますよね~。そこに答えがあるように感じる今日この頃(*^_^*)
小賢しいことを考えるより、感じることが大事だよってカーサカエルくんも言ってますよね~。そこに答えがあるように感じる今日この頃(*^_^*)
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saheizi-inokori at 2005-11-24 10:11
でもやはり考えてしまうんですね。考えてもしょうがない、どこかで神様というか誰かがアンジョーしてくれるはず、と思っても考えてしまう。クリスチャンなら「祈りなさい」というのでしょうが。そらさんも一生懸命考えたから"感じる”ことの大事さに行きついた?ジョンの軽井沢フントウ物語、面白かった。実物のジョンも軽井沢の、隠棲を経て大きく変わったようですね。やはり"感じる”ことがあったのかも。
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そら
at 2005-11-25 09:07
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あら、読んでくださったのね。ありがとう♪
うんうん、考えてしまうんですよね。
私が「小賢しいこと」と書いたのは、付け焼き刃的に飲み放題にしようとすることとか、そういうことを指していたのでありまして、梟さんのようにまっとうなことを真っすぐに考えることでは全然ないの。考えるにしても、まず感じなければ、目先の事象から考えていてはどこにもたどり着けないんだろうな~なんて思ったの。じゃあ私は?ってね。ごめんね、言葉が足りなくて。
うんうん、考えてしまうんですよね。
私が「小賢しいこと」と書いたのは、付け焼き刃的に飲み放題にしようとすることとか、そういうことを指していたのでありまして、梟さんのようにまっとうなことを真っすぐに考えることでは全然ないの。考えるにしても、まず感じなければ、目先の事象から考えていてはどこにもたどり着けないんだろうな~なんて思ったの。じゃあ私は?ってね。ごめんね、言葉が足りなくて。
by saheizi-inokori
| 2005-11-23 22:46
| 梟のゴタク
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