絶望するのはまだ早いのか 復興予算のスバラシイ使い方&神門善久「日本農業への正しい絶望法」
2012年 10月 17日
政治主導、前原のごときは予算について一件づつチエックするなどといったそうだがそれは無理、予算書がどういう手続きで出来上がっているかを知らぬ者のいうことだ。
PTAやマンションの予算だって細部にわたって妥当性・必要性のチエックをするのは結構大変だろう。
企業における工事予算などもちょっと中身を突っ込んで見れば信じられないようなインチキ積算がまかりとおっている。
大手ゼネコン自体がきちんとした積算をしていないし、出来る人が少ないのが実情だ。
官僚、とくにエリート官僚がその待遇にふさわしいだけの使命感をもってことにあたらなければどうにもならない。
そういう官僚が輩出する社会を政治家どもは志向して奮励努力すべし!
だが、、。
すぐにも世間は大騒ぎになるかと思ったら、静かなもので、ああ、これも毒が回っているんだ、と思っていたら、10月に入ってあちこちで騒ぎだし、あの土建国家・利権行政の創始者にして復興基本法に予算流用の道を開く条文を突っ込んだ自民党さえもが恥知らずにも騒ぎ出す始末。
まあ、騒がないよりマシだが、この期に及んでも閣僚・官僚たちの言い分は盗人猛々しいというか、反省の色など微塵もない。
みんなで渡れば怖くないの典型。
非常事態ともいうべき日本の現状において、なお省益・保身に走る官僚・閣僚たちの姿を見せつけられると、いよいよこの国もギリシャ化への道をまっしぐらに進んでいるかと思う。
これもNHKでギリシャの国家破綻に至る財政赤字の原因、どういうことにどのように金が使われたか、が明らかにされていない惨状を見て、ああ、日本はまだマシかと思ったばかりなのに。
その原因は?
せっかくうまい農産物を作っても消費者の舌が愚鈍化したから、技能の良しあしが評価されない。
都市部・農村部における土地利用規制の骨抜きが進み、地力投資への意欲が殺がれる。
周辺の農地が無計画に転用されれば、作物の生育環境は冒される。
追い打ちをかけたのが、福島原発事故による放射能漏れ。
選挙目当てで民主党、自民党が競って農業補助金のバラマキ。
メデイア、学者、経営者が”農業ブーム”を煽るのは為にする議論か、さもなくば実情を知らない幻想ゆえ。
筆者は今の農業ブームは、経済の長期的不振に絶望した社会が逃避的に夢を見るという意味で、戦前の満州ブームに類似しているという。
日本農業で耕作技能が衰退していくプロセスは、人間の愚かさの凝縮だ。農地利用の乱れとか、農業政策に地方行政の崩壊とか、消費者の舌の劣化とか、それぞれの問題に、自堕落で大事なものを失うという人間の「粗忽さ」がある。私はそれを批判するのではなく、ありのままに描いて、詠歎をしたい。前に紹介した「さよならニッポン農業」、「日本の食と農」などにおいて、目の鱗を払ってくれた筆者が、ついにこういう”絶望の勧め”を上梓するとは、なんともカナシイ。
毎朝食べる、生の人参、今朝のは甘さもなく、スカスカでみずみずしさもない。
訊けば広尾の明治屋で”有機栽培”としてエラそうに売っていたという。
そういえば夏、野辺山で山盛りのトマトを見て、子供の頃食ったトマトを想って齧ったときの幻滅、衝撃のマズサ。
絶望はしたくないと思うけれど、、世の中救いがなさすぎないか。
新潮新書
ブラザーは台湾に身売りして,技術はなんとか生きている。
こんなに素晴らしい技術を日本は作ったのに、
人は大事にする物を見失ったのか?
でも、世界中でまだ細々と使われている。救われる。
農業は作業自体、いまや日本人では務まらず外国留学生などに頼っているそうです。
ニンジンはミニニンジンならプランターでも栽培でき、70日ぐらいで収穫できるそうですから、今からなら今年ギリギリで間に合いそうなので、今度栽培してみます。
日光の恵みをたくさん取り入れて作ってやってくだされ^^。
私も逃げ出したいけれど、けっきょく戻ってこなきゃならないんです。
同感、同感
救いがない
情けなさすぎ
毒は政会だけでなく、あらゆるところに回ってます
毒というか...むしろ麻痺
麻痺って一番怖いことだと思うんですよね
痛みがわかるから、人間は危険を回避でき、生き残れるのですから
思いがないです
政界にも社会にも
お金は所詮手段であるので、思いがあるからそれが生きる
思いがないから無駄金になるのでは?
なんかねえ―これもアメリカの戦後教育の成果かなあ なんても思うのですよ
肝を見事に抜かれた日本人....