ありがとう!扇辰&つのだたかし 今夜は最高! 横浜にぎわい座「扇辰日和」
2012年 10月 13日
横浜にぎわい座、お囃子に乗って現れたつのだたかし、柔和な髭面、丸いメガネ、丁寧に一礼してにぎわい座の法被を脱ぎ、これまた丁寧に畳んで下に置いて椅子に座る。
静かなリュートの音が会場の空気を変えていく。
リュートの説明、400年前のヨーロッパ、ダヴィンチやフェルメールの時代の楽器、一度亡くなったのが20世紀になって復活、19弦、源流を探ると琵琶にぶつかるという。
シシリアの舞曲↑、俺は先日自由が丘女神祭りで買ったシシリアのオリーブオイルとマンゴービネガー(これはドイツ産)のことも思い出しながら聴く。
フランスの農民の踊り、なんと可愛らしくつつましい喜びに満ちていることか。
松たか子の「十二夜」でずっと弾いていたというイギリスの道化の歌や、よく知っている懐かしい歌なのに名前が思い出せない、そのことさえもある種の懐かしさを感じさせる詠歎の曲。
はっきり言いますが今日来なかった人はバカだね扇辰が入りの悪い客席に言ったけれど、行った俺は凄い出会いに大感激!
にぎわい座では初めての扇辰日和、なんでこんなに空いているのだろう。
開口一番辰じん「鈴ヶ森」
横浜初回、ゲンを担いで泥棒の噺(取り込むの意味あり)。
一生懸命にやっているうちに間抜けな新米泥棒とそのカシラのやり取り、間抜けのとんまな口移しが調子に乗ってきて会場が湧く。
深夜の鈴ヶ森で心細くなった新米が
手ェつないでもらっていいすか現代っ子ぶりが愉快だ。
扇辰「野ざらし」
先日、ほかの人の同じ噺を聴いたばかり、「この噺は八五郎が自分も隠居にあやかっていい女の骨を釣ろうと出かけて傍の迷惑も顧みずに大騒ぎをするところが好きなんだが」、そのときはあまり面白くなかったようなことを書いたが、今日はその前の八ツアンが清十郎から前夜の骨女とのイクタテを訊きだす問答でなんど笑ったか。
ましておいておや、そのあとの他の釣り客とのやり取り、年増骨とのいちゃつき幻想、野太鼓の”文化遺産的”くっちゃべり、百面相と相まってすこぶるスコブル愉快也。
仲入り後
つのだたかしがゲスト出演、とこういうわけ↑だ。
粋だね、やることが。
しかし!つのだたかしも感動だったが、今夜は更に!
このあとの扇辰が最高だったのだ。
扇辰「竹の水仙」
扇辰のマクラはいつもさりげなくて好きだ。
前の出演者をいい感じで(温かみのある)冷やかしたり(今日はつのだを絶賛)、弟子の辰じんの二つ目昇進のこと、新しい弟子辰まきの紹介など、あっさりやってすぐにネタ。
小さな旅館の夫婦の会話から始まって、「抜け雀」かな、それにしては愛知県鳴海という場所設定にハテナと思っていたら、「竹を切って来い」。
養子八年の旅館の主が人が良くて小心で、なんとも素敵だ。
ボロ、左甚五郎も威張らず名人ぶりもせず、それでいて品があって、いいなあ。
家付き娘の女将だって出番は少ないがなかなか愛すべき存在。
通りかかった細川の家来、郡山 剛蔵(こおりやま たけぞう・小三治の本名)が傑作、甚五郎の彫った「竹の水仙」(蕾が水を吸って花咲くのだ)の価値が見抜けなかったのに殿さまから「そのほうは目が見えぬのか?」「左が1・0で、、」なんてやってたくせに、旅館の亭主に「その方は目が見えぬのか」と殿の受け売りで威張る、知ったかぶり受け売り横行の痛烈な風刺になっている。
「郡山 剛蔵は驚いた!」頻発する郡山 剛蔵に沸く会場、今夜は少数精鋭とみたね。
いつまでも聴いていたいような快感に満たされる。
これだけ無心に笑えた落語は久しく記憶にない。
隣に座った中年男性、たち際に「すばらしい、、」と思わず感に堪えぬように独り言。
少ない客に全力投球した扇辰に感謝する。
ありがとう!
横浜まではしょっちゅう足の延ばしているので、一度は寄ろう寄ろうと思っているのですが、未だに実現していません。
大きすぎず小さからずいい雰囲気の寄席です。
「隣に座った中年男性」はたぶん僕です。い列8番に座っていました。落語を勉強させていただいているブログの主の横に座っていたなんて。正確に言いますとあのとき僕は「すばらしい」と呟いたのです。いい落語会でした。芸もゲストも。しかし実力者の扇辰の会があんなに客席がうすいのは意外です。にぎわい座の喜多八•鯉昇•扇遊の会でも、関内ホールの小ホールのほうの小満んの会でも、横浜は同じようなものですが。もっとも、同じ関内ホールの志の輔の会は大ホールでも即日完売なのだから、ロケーションのせいではないと思うのですが。
うーん、掛川から駆けつけたかった。
前日の人形町と引き継ついで前の真ん中に座れました。
荘でしたね、「素晴らしかった」でした。なんか違うなあと思いながらしっかり思い出さないままに書いてしまいました(直します)。
まだなじみが薄いのでしょうかね、横浜のキャパということも考えます。
一之輔・文菊などを野毛シャーレで育ててもいるようですが。
東京を離れる寂しさは寄席が無くなることですね。その代り東京にはないものがたくさんあるけれど。