ウンチのしつけもできていない原発は遊動生活の名残か 西田正規「人類史のなかの定住革命」
2012年 09月 12日
そこで引かれていたのが本書だ。
数百万年間の人類の歴史のなかで気候変動などにより、それまでの遊動生活を続けられなくなり定住を強いられたことを「定住革命」という。
定住生活を強いられることにより人類はそれまで謳歌していた遊動生活の利点・機能をすてることとなった。
定住生活は人類にさまざまな「革命」を強いた。
キャンプを移動するたびに多量の新鮮な情報が大脳を駆け巡った、その記憶が現在の人類の旅の楽しみの中に生きている。
死体・死や災害からもそこを離れることで逃げることができた。
定住生活は死・死体や災害と共存しなければならなくなる。
それが呪術や宗教的儀式を必要とした。
共同体として暮らすことは規則や支配・被支配の階層も生み出す。
貯蔵の必要から貧富・権力も生まれる。
遊動生活ではゴミや排泄物の始末は簡単だった。
子供はしつけられないとトイレで排泄できない。
しつけられても”片付けられない人”がいる。
これは数百万年前の人類の生活の名残だ。
現代でも定住革命は進行中だし、それは個々の人間の人生の中でも繰り返されている。
併せて、廃棄物全体の総量の上限を設定し無制限に増えないように管理することが重要だと指摘した。
総量管理の議論をせずに原発の比率を決めるのは、問題を先送りするのに等しいと。
原発のゴミを始末できないままに原発をいくつも稼働させてしまったのもゴミ処理をしなかった遊動生活の名残なのだろうか。
講談社学術文庫
その頃には宇宙ステーションが開発されてる…??
原発に限らず…後始末の出来ない人が多くなりました(溜息
犬は後始末しませんが…猫は必ず後始末をしますよ…関係ないか…(笑
犬も本当は定住生活をするようになったので排泄のしつけは出来ます、犬にもよりますが^^。
それにしても昨夜の石原伸晃のテレビでの「原発には素人」と言いながらのトンチンカンな「大飯は急に止められない」発言、あまりにも馬鹿な内容にあきれました。
稼動している限り放射能のゴミが増え続ける、という事実に、もっと目を向けなければならないと思います。
長時間建物内にいることを前提としてないので、トイレは外に行かないとないのです。
ですから監視カメラの死角になるところでタレ流してあって、ひどいにおいがする上に、うっかり踏ん付けちゃったりして最悪だったと話していました。
トイレと言う見せかけを信じてはいけないと思います。
人類みな遊動子孫^^。
驚きですね。
なるほどねぇ
私の中には、きっとその遊動生活の名残りが相当残ってるんだろうなあ
「自分の家」を所有したいと思ったことがないのです
家の存在に縛られそうでね 苦笑
で、遊動だったら、そんなにたくさんのものを持って歩けない。
定住になったことから、このもっともっとの貯めこむ欲望が成長したんでしょうね
やれやれ...と
ところで、猫は教えなくてもおトイレの場所さえ指定してあげれば、勝手にしに行きます
ということは 人間って、猫より低能ってことですかね 苦笑
原子力への今だの執着に関しては、言葉もありませんよ
学ぶってことも知らない種は、滅びるしかない んじゃないかと思うけどね