2012年 09月 02日
縄文人は「退屈」だったか 國分功一郎「暇と退屈の倫理学」 |
静養も三日目になるとさすがに退屈になる。
うとうとして目が覚めたら本を読んで、外は待望久しき雨も降って、またのんびりして、まあ理想の生活というべきだが、やはり退屈になる。
「人間らしい生活とは何か?」が副題。
豊かになって、貧しい時にはなかったゆとりができた今こそ「好きなこと」ができると思ったのに、、なにか退屈、これこそ現代人の不幸の現れ。
食うに困った苦しかったあの頃の方が幸せだった、なんてね。
退屈についての哲学的考察を深めたのはニーチェ、ラッセルでありハイデガーである。
人類が退屈を覚えたのは一万年ほど前、遊動生活から定住生活を強いられたことが始まりだと筆者は言う。
「強いられた」というのには意味があって、それ以前400万年近く遊動生活をしていた人類は定住したいなどと思っちゃいなかった。
氷河期から後氷期にかけての気候変動とそれに伴う動植物環境の変化(温帯の森林化、動物の小型化、植物や魚類収穫の季節性など)が貯蔵を必要とし移動を妨げたのだ。
定住生活に入ったために、掃除をしなくちゃいけなくなり、ゴミ捨て場もいるしトイレだって決まったところにしなければならない。
こういう定住革命(西田正規)に人類が対応するための努力・困難の名残が今でも「片づけられない人」「幼児のウンチのしつけの難しさ」などに残されている。

定住革命が墓場を必要とし、死への思いも変える。
共同体としてのルールや支配が始まる。
なによりも遊動生活において強く活性化されていた人の探索能力などが発揮される場がなくなっていく。
定住以後の人類は行き場をなくした己の探索能力を集中させて、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面を求める。
すなわち退屈を回避することが人類の恒常的な課題となったのだ。
ルソー、マルクス、ヴェブレン、ラファルグ、ガルブレイス、ボードリヤール、サーリンズ、アレント、コジェーヴ、スピノザ、ドゥルーズ、ユクスキュル、、多くの哲学者思想家たちが動員されて人間の退屈と暇の関係が究明されていく。
とりわけハイデガーは主役だ。
退屈に第一形式、第二形式、第三形式の三種類があることを明らかにし、ダニが退屈しない理由を(人間だけが退屈する理由)も明らかにする。
暇でなくとも、楽しい気晴らしをしていても、仕事をしていても、退屈はやってくる。
怖いのはヘーゲルの退屈論の先には人間は決断することで自由であることを証明できるという。
そこから人間は”決断”にしがみつき、周囲の状況に盲目になりファナテイックになりやすい。
決断の奴隷になり狂気に従うのは退屈から逃れて快い英雄気分に浸れる。

(退屈しのぎの殿堂)
賢明な人はとっくに解をお持ちだろう。
消費社会のしかける消費を受け入れ続けることは、モノを受け入れるのではなく観念を受け入れているのだから際限がない。
いつまでたっても退屈だし満たされない。
モノを味わう力、考える力を養い、退屈と向き合って”贅沢に浪費(消費ではなく)”すること。
もっと言えば人間らしく生きること、それは時にはまるで普段の自分と違う動物的な人間になることであるのかもしれない。
結論を急いでも意味がない。
人間がなぜ、どういうときに退屈を感じるのか、そのことについて哲学者たちはどのように考えて来たのか、筆者のいうことに首を傾げたりうなづいたりして静養のいっときを過ごしたら退屈はかなり減ったのだ。
400頁、大部だし。
明治学院仏文科、多摩美大、高崎大経済学部などで行った講義録がもとになっているから語り口は馴染みやすい。
朝日出版社
うとうとして目が覚めたら本を読んで、外は待望久しき雨も降って、またのんびりして、まあ理想の生活というべきだが、やはり退屈になる。

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがためにおこる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。「考える葦」で有名な17世紀フランスの哲学者・パスカルが十分に食っていける人が”不幸”である理由をこう言っているそうだ。
豊かになって、貧しい時にはなかったゆとりができた今こそ「好きなこと」ができると思ったのに、、なにか退屈、これこそ現代人の不幸の現れ。
食うに困った苦しかったあの頃の方が幸せだった、なんてね。
退屈についての哲学的考察を深めたのはニーチェ、ラッセルでありハイデガーである。
人類が退屈を覚えたのは一万年ほど前、遊動生活から定住生活を強いられたことが始まりだと筆者は言う。
「強いられた」というのには意味があって、それ以前400万年近く遊動生活をしていた人類は定住したいなどと思っちゃいなかった。
氷河期から後氷期にかけての気候変動とそれに伴う動植物環境の変化(温帯の森林化、動物の小型化、植物や魚類収穫の季節性など)が貯蔵を必要とし移動を妨げたのだ。
定住生活に入ったために、掃除をしなくちゃいけなくなり、ゴミ捨て場もいるしトイレだって決まったところにしなければならない。
こういう定住革命(西田正規)に人類が対応するための努力・困難の名残が今でも「片づけられない人」「幼児のウンチのしつけの難しさ」などに残されている。

共同体としてのルールや支配が始まる。
なによりも遊動生活において強く活性化されていた人の探索能力などが発揮される場がなくなっていく。
定住以後の人類は行き場をなくした己の探索能力を集中させて、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面を求める。
すなわち退屈を回避することが人類の恒常的な課題となったのだ。
ルソー、マルクス、ヴェブレン、ラファルグ、ガルブレイス、ボードリヤール、サーリンズ、アレント、コジェーヴ、スピノザ、ドゥルーズ、ユクスキュル、、多くの哲学者思想家たちが動員されて人間の退屈と暇の関係が究明されていく。
とりわけハイデガーは主役だ。
退屈に第一形式、第二形式、第三形式の三種類があることを明らかにし、ダニが退屈しない理由を(人間だけが退屈する理由)も明らかにする。
暇でなくとも、楽しい気晴らしをしていても、仕事をしていても、退屈はやってくる。
怖いのはヘーゲルの退屈論の先には人間は決断することで自由であることを証明できるという。
そこから人間は”決断”にしがみつき、周囲の状況に盲目になりファナテイックになりやすい。
決断の奴隷になり狂気に従うのは退屈から逃れて快い英雄気分に浸れる。

賢明な人はとっくに解をお持ちだろう。
消費社会のしかける消費を受け入れ続けることは、モノを受け入れるのではなく観念を受け入れているのだから際限がない。
いつまでたっても退屈だし満たされない。
モノを味わう力、考える力を養い、退屈と向き合って”贅沢に浪費(消費ではなく)”すること。
もっと言えば人間らしく生きること、それは時にはまるで普段の自分と違う動物的な人間になることであるのかもしれない。
結論を急いでも意味がない。
人間がなぜ、どういうときに退屈を感じるのか、そのことについて哲学者たちはどのように考えて来たのか、筆者のいうことに首を傾げたりうなづいたりして静養のいっときを過ごしたら退屈はかなり減ったのだ。
400頁、大部だし。
明治学院仏文科、多摩美大、高崎大経済学部などで行った講義録がもとになっているから語り口は馴染みやすい。
朝日出版社
by saheizi-inokori
| 2012-09-02 11:40
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(10)
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サワディ〜カ〜
いろいろ見つけるもんでさ、全然退屈じゃないよ〜、^^
いろいろ見つけるもんでさ、全然退屈じゃないよ〜、^^
蛸さんが近づくと退屈の神様が逃げ出します^^。
不幸の真逆にいる蛸さんです。
不幸の真逆にいる蛸さんです。
毎日、あくせく、貧乏暇無しです。
退屈について考える哲学者もいるんですね。
人によって、退屈の受け止め方も違うのではないでしょうか。
退屈について考える哲学者もいるんですね。
人によって、退屈の受け止め方も違うのではないでしょうか。
saheiziさんこんばんはです。
体調を崩されていたのですね!今年の夏は暑いですからほんとに無理されないでくださいね。
といっても安静にしているのも疲れますよね(汗
今日はこちらで久しぶりの雨がふってとてもうれしかったです^^
早く涼しくなってくれると嬉しいですね^^
体調を崩されていたのですね!今年の夏は暑いですからほんとに無理されないでくださいね。
といっても安静にしているのも疲れますよね(汗
今日はこちらで久しぶりの雨がふってとてもうれしかったです^^
早く涼しくなってくれると嬉しいですね^^
c-khan7 さん、退屈こそ人間の本質なのかもしれないです。
いわば原罪みたいな。
どう退屈と向き合うか、その人間のあり方が問われるのかも。
退屈と(を)感じないのは最高ですね。
退屈から逃れるために苦痛を選ぶ場合も多いようです。
いわば原罪みたいな。
どう退屈と向き合うか、その人間のあり方が問われるのかも。
退屈と(を)感じないのは最高ですね。
退屈から逃れるために苦痛を選ぶ場合も多いようです。
tocotoco-o3poさん、おかげさまですっかり良くなりました。
今日は雨の合間にサンチと散歩を再開しました。
今日は雨の合間にサンチと散歩を再開しました。

お元気なられたようでよかった、何よりです。
豆太の「つまんねェ~~なァ・・・」って顔見ると、申し訳な~~い気分になります・・・。
豆太の「つまんねェ~~なァ・・・」って顔見ると、申し訳な~~い気分になります・・・。
豆ママさん、ありがとう。私が休んでいる間のサンチはウンチを失敗したのです。今日、雨が止んだので散歩にいくか?と言ったら飛び付いて来て顔を舐めまわされました。本当にヒトガタ犬です^^。
専業主婦はどうやって退屈と向き合うかを模索しながら克服してまいりましてよ(^^)
人生の達人は主婦かも、と思うこの頃。
なにしろ24時間365日、自己責任で時間配分をしてまいりましたもの。
人生の達人は主婦かも、と思うこの頃。
なにしろ24時間365日、自己責任で時間配分をしてまいりましたもの。
kuukauさん、一番手に負えないが猛烈社員(今は流行らないかも)とか組織肩書き偉い人、内実が伴わないでいたから、つっかえ棒が無くなると歩き方が分からない?