なりたかった?職業、掏摸 中村文則「掏摸 スリ」

志ん輔のブログに沖縄読谷に行った記事が載っている。
美ら海水族館とか蝶々園、居酒屋、みんな俺も行ったところだ。
遠い沖縄にはもう行かないかもしれない。
そう思うと、とても懐かしい、ほろ苦い、切なさに近いような感傷が湧いてくる。
土地の記憶というよりもそこに行ったときの自分の記憶、それをもう取り戻せないという感傷だ。
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この本はだいぶ前に読み終っていながら、感想を書かなかったら、ほとんど忘れてしまった。
読谷に行ったときの方が昔なのにそのときのディテイルなども覚えている。
観光地の沖縄の料理だからそれほど変わったものがあるわけでもないのに、さあ、何がうまいかなとワクワクしながらメニューを見た居酒屋のことなども。

本を読んでいるときには大変面白く一気読みだったけれど、もう忘れているというのは、いわゆる”主体的”な読み方ではなくてエンタテインメントとして筋の運び、主人公の掏摸としての腕の冴え、スリルを面白がって読んでいたに過ぎないからだ。

でも、書いていると少しづつ思い出して、主人公が悪の帝国の支配者みたいなのに操られて破滅していくのを読みながら感じた侘しさ・いとしさみたいな気分を思い出す。
ニヒルな主人公がいきづりの可哀そうな少年を見捨てておかれないで万引きのテクニックを教えたり、金をやって施設にいれてやるからもうそんな仕事(娼婦の母とその紐の言いつけでやっている)から足を洗えというんだった。
そうそう、主人公が悪の支配者(あたかも神のように他人の人生を操るのを至上の喜びとしている、悪の本質ってそこにあるのじゃないか。
善意でも他人の人生を操ったら悪だ)の指示する悪事を行うのはその少年を人質に取られたからだった。
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こうして少しは思い出せたということは、少しは”主体的”に読んでもいたのか。
主人公の掏摸としての身過ぎ世過ぎをちょっとばかり羨ましく思ったのかもしれない。
資産ゼロ、必要なものは対象を選ぶ眼力、周囲の状況把握力、そして指先の神業のようなテクニックだけだ。
裕福な男のポケットから税金替わり(どうせ脱税してるだろうから)にせいぜい20万円くらいを抜いてあげる。
それで安アパートでその日暮らし。
そういう生き方をして最後まで人生を全うできればいいのだが。
出来ないということをこの小説は書いていたのか。

昔「地下鉄サム」という掏摸が主人公の小説を読んだ記憶があるが、面白かったというほかまったく覚えていない。
覚えるほどに主体的に読んで掏摸になっていたらどうだろう。
もちろん、こんなにブキッチョではなく、掏摸としての天分に恵まれていたとしての噺だが。
掏摸の佐平次、かっこういいじゃん!

河出書房新社
Commented by sweetmitsuki at 2012-08-27 21:38
遠くの旅行は、もう二度と来れないかと思うと切ないので私も行きません。
旅はリピートにあり、です。

Commented by saheizi-inokori at 2012-08-27 22:08
sweetmitsukiさん、でもリピートもいつかは終わります。
沖縄は何度か行ったからなおのこと行けないとなると寂しいです。
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by saheizi-inokori | 2012-08-27 10:47 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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