父親の介護で「老い」と「生」の意味を考える 平川克美「俺に似たひと」

昭和25年生まれ、株式会社リナックスカフエ代表取締役の筆者が、87歳の父親の最後を看取った経験を”物語”として書いた。
息子の女房に下の世話をされることに戸惑いがあるだろう、長い間ろくにコミュニケーションを取ってこなかった自分に何らかの落とし前をつけておきたい、という思いで単身で実家に戻る。

毎日、会社の仕事をしながら、朝晩の食事をつくり、風呂に入れ、散髪をしてやり、下の世話と汚れ物の洗濯をした。
そうして、それまで考えもしなかった父の内面について、老いるということ、死ぬということについて考えたこと。
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普通の人なら介護がたいへんだという愚痴の物語になりかねないし、それだけでも意味のある本になったとは思うが、筆者は家事やケアをすることについては料理の手際が良くなったことを喜んでみたりして楽しげでさえある。

「疾病利得」というフロイトの言葉、小学校以来の友人である内田樹がその言葉を使って
日本はアメリカの従属国であるという事実のトラウマ的ストレスから目を背けるために憲法9条と自衛隊という矛盾したシステムを内包することを引き受けることにした。つまり集団的に人格分裂の発症を選択した
と日本人と憲法の関係を説明した。
内田の才気に驚きながら俺(平川)は老いに伴う記憶の喪失・断絶やせん妄を疾病利得のようなものではないかと考える。
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(散歩の途中、花に水をやっているお婆さんとちょっとした会話が楽しかった。
俺も平川も子供の頃は近所の人たちとそういう会話をするのは当たり前だった。
平川の父親は町工場を経営しながら町内会や消防団活動に没頭していたのだ)

一緒に暮らし始めたころは平穏だった。
夕食がすめば、ふたりで食後のコーヒーを啜りながら、父親と暮らすきっかけになった母親の葬儀の感想や昔話を聞きだした。
売れっ子の女性コンサルタントが若者の海外渡航数が減っていることを指摘し日本人が内向きになっているのをテレビで嘆いているのをいかにも薄っぺらな発言と聞く。
かれらには、内向きになって小さな平安に慰められる日々の切実さなどは分からないのだろう。人生についてまだ何も知らないホームルームの優等生のような発言。それが、自己の優越性を示したいだけだったり、ときに弱者に対する残酷なものになるかもしれないというようなことを思い至ることはないのだろう
同感だ。
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呼吸困難になって救急車に乗せても受け入れる病院を探すのに苦労する、どこも満員なのだ。
65歳以上が2980万人、マレーシアとかサウジアラビア一国の人口に等しい。
25年後にはさらに4倍の老齢化圧力がかかってくる。
そのときの日本の医療体制はどうなっているのか。
こういう話を読むとつくづくもう長生きはしたくないと思う。
多くの人がそんなことを考えようとせずに生きている、考えてもせん無いことなのか。

迷った挙句に父親に胃ろうの手術をする。
病を治すという行為に意味があるのは、あくまでも病の先に普段の生活が待っていることが前提である。(略)
「老い」とは病とか異常とかいうような文脈とは別の、人間の生涯のなかの一場面なのではないか。そして、そのことについて俺は何も知ることができないのではないだろうか
俺(筆者)と父親の間には何十年にもわたるわだかまりがあった。
別にこれという事件はなかったが、政治信条も思想も宗教も生活習慣も違う父親とは和解することはできないだろうと諦めていた。
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(朝から暑いなか、お父さんとテニスの練習をする坊や、20回続いた!幸せなシゴキだ)

しかし、一年半一緒に父親と暮らすなかで、
以前は相容れなかったかに思えたことが、実は取るに足りないものであったこと、ものの考え方も性格もよく似ているということを思い知らされた気がした
俺(佐平次)は若くして父親と死に別れたが、ずっと生きていたらおそらく同じような親子になった気がする。
今、ときどき自分ではどうにもならないものを自分の性格や行動に感じるときに、もしかしたら父もこんな男だったのかも知れないと思うことがある。
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医学書院
Commented by tona at 2012-07-29 21:00 x
父親と息子のこのような関係は多いような気がします。似ているのですね。
わだかまりがなくなって和解するのに介護が仲立ちになったようですが、お互いにとても幸せな気分になったのでしょう。
胃ろうだけはしたくないです。
Commented by saheizi-inokori at 2012-07-29 21:50
tona さん、胃ろうも回復したら又口から摂食できるというのに一抹の望みを託したようですが、、。
父親も幸せな気分になったのかどうか、ひとりで死んでいくよりはいいのでしょうがね。息子の方はこの一年半が無かったらたまらない人生になるところでした。
Commented by 高麗山 at 2012-07-30 02:11 x
94歳と89歳の義父母の介護をしている、
今年になって、73歳の妻が突然あらゆる定期検診を
拒絶しだした。
 2~3か月経過したので理由を問いただすと、「義父母の年齢になって、介護を受けることに疑問を感ずると」寂しげな表情でぽつりと言ったものだ。。。
 考えさせられる!
Commented by kaorise at 2012-07-30 06:52
親子は似るのが当然なんですが、、子の最大の親孝行は
(私には子がいないのでその立場しか取れないけど)
親が踏み込めなかった、わかってはいるけれど出来なかった事
に意識をもって一歩踏み込むことじゃないかと思っています。
それが大変なことじゃなければないほど、いいんです。
ほかの人には簡単で自然にできるのに、、自分たち親子にはなぜかできない習慣、やめられない習慣ってあると思う。
そういう事ってどの親子も持っているような気がします。
Commented by saheizi-inokori at 2012-07-30 08:45
高麗山さん、どうやって世話にならずに死んでいけるか?
最大の問題です。
Commented by saheizi-inokori at 2012-07-30 09:15
kaoriseさん、私は両親ともにいなくなったし、子供は離れてしまったし、どうやって死んでいくかを考えます。
考えてもその通りにはならないでしょうが^^。
Commented by orangepeko at 2012-07-30 11:12 x
介護は葬儀と同じく、残された者の為に必要な儀式(?)というか作法手順??…時間と感じます…
介護は前向きに考えられましたが…葬儀は前向きに捉える事ができません(汗

>胃ろうも回復したら又口から摂食できるというのに一抹の望みを託したようですが…
本人にとっては無意味な時間を延長するだけの現実が多いと聞きます…父の時は断りました…(冷たい娘です…)
ただ生かされている状況は私も嫌です…例え、残された子どもたちの支えにはなったとしても…私は我が儘なのです(笑
Commented by saheizi-inokori at 2012-07-31 09:54
orangepeko さん、>介護は前向きに考えられた
分かるような気がします。
介護するまもなく急死した母には借りが残っているような取り返しのつかない気持ちがあります。
胃ろうをやらないと毎度口からチューブで摂食するようですが、それも辛い。
かといって絶食させるわけにもいかない、切ないですね。
Commented by orangepeko at 2012-07-31 11:36 x
>介護するまもなく急死した母には借りが残っているような
>取り返しのつかない気持ちがあります…
あぁ解ります…亡くなって、辛い哀しいだけではないのを実感しています…
この気持ちは一生ついて回るのでしょうか…?
Commented by saheizi-inokori at 2012-07-31 11:45
orangepeko さん、亡母のお悔みに来られた友人たちが母のことを「子供孝行なのよ、いかにもお母さんらしい」と言ってました。
分かるけれど、、孝行なんて、ねえ。
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by saheizi-inokori | 2012-07-29 11:47 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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