スカイツリー、泣き相撲、奥山座、雲助蔵出し、芭蕉の句、浅草いろいろ日記
2012年 04月 22日
スカイツリー景気に沸く晴れた休日。
志ん吉「金明竹」
ゆったりした喋り方がいいカモと思っていたらず~っとメリハリ無しのゆっくり、ちょっと飽きてきたら三度目の言い立てで少し調子が出てきた。
今日の客はいづれも”ご通家”、それが目の前1メートル位のところにぎっしりだから硬くもなったかな。
雲助
桜のこと、年を取ると無常感に誘われると西行の歌など引きつつ来年は65、定年だという落語家人生を回顧して
若いころもっといろいろ習っておけばよかったと思う反面若い人たちにはまだまだ教えてないことがいくつもある。感性は人それぞれだが落語の基礎的な技術をもうちょっと教えたい。と、上下の切り方の応用編、扇子の使い方、茶と酒の飲み分け、、時そばを教えた時に最後に弟子が「ところで肩に何か担いでいるふりをするのは何ですか」と尋ねた、車を曳くものだと思ってたらしい、などと笑いながら、たしかに俺だってもうよくわからないことが結構増えている。
先天的に盲目な人は恐ろしいということが分からないから杖を後ろに顔を突き出して歩くが後天的に目が見えなくなった人は杖を前にして恐る恐る歩く、なかには勘がいい事を自慢に杖を肩に担いで唄を歌いながら歩く人もいる。
うまいなあ、すらっと「景清」の定次郎が現れた。
日朝様に願をかけて満願の日に少し視界が明るくなったてきたと思ったら隣に脂粉の香り、どうやら妙齢の盲目の美人らしい、ついつい邪心を起こすと途端に視界は真っ暗、ふてくされて日朝様にごろを巻いていると通りかかった石田の旦那が叱ったり慰めたり、上野の清水さま(景清がくり抜いた目を納めた京都の清水様の出店)に百日、それでだめなら二百、三百日の願をかけろと勧める。
百日の願明の日、目が明かず怒ったり悲しんだりしていると、ふたたび石田の旦那が様子を見に来てまだまだあきらめずに明日からも、、ととりなし共に帰る途中で俄かの落雷、定次郎は目を回して倒れてしまう。
さあ、そこで俺が分からないのは、こんなに親切な石田の旦那が定次郎を介抱することもなく一人で逃げ帰ってしまうのだ。
それからもう一つ分からないのは、定次郎が「今日まで百日、一日も欠かさずお参りして出したお賽銭を返せ、泥棒!」と観音様に怒りまくるお賽銭とはいったいいくらくらいだったのだろう。
日朝様にも21日願かけているしなあ。
俺は昨日浅草寺に200円出したが、ずっと前に若い人たちの声を聞いたら、10円5円という人もたくさんいたのには驚いた。
石田の旦那の不可解な(それとも当然の?)行動のわけ、とお賽銭のこと、雲助師匠にオセーテもらいたい。
嵐山光三郎は「魚の目は泪」を見送りに来た弟子の杉風の泣いている姿を歌ったと解している。
芭蕉の死出の旅路を送る涅槃図だという解釈もある。
これは小満ん師匠にでも訊いたら教えてくれるかしらん。
さて雲助は席を立たず、そのまま「人情噺 火焔太鼓」。
落とし噺である火焔太鼓を、あれはお父ちゃんの噺だからと嫌がる馬生師匠に今松と三顧の礼をつくして教わったエピソードを話して(想像がつくと思うけれどこういう話が聴けるのが雲助独演会の幸せなのだ)、なぜ”人情噺”なのかと説明する。
若いころ、嫌いな評論家に、雲助の口調は落とし噺に向くとか向かないと書かれて、腹いせに密かにこの噺を人情噺の口調でやってみたら面白かった。
それで、今日は、あくまでシャレとして、やらせていただきますとさ。
SPをLPの回転で聴くような、浴衣を脱がずに温泉に(気持ちいい面もある)入ったような、みょうちきりんの火焔太鼓。
最後に50両、おかみさん「しえーっ!」、歌舞伎仕立てで悶絶しそうになるところで場内の笑いはクライマックスに。
その間、笑いが絶えなかったのは客が本寸法の「落とし噺 火焔太鼓」の粋をよく知っているからその対照のおかしさに堪らなかったのだ。
まあ、でも短い噺で、あのくらいが限度だ、もっと続けるとだれるだろう。
仲入り後は羽織も着ないで雲助「五人廻し」
吉原遊郭がないからこういう噺がかえって話しやすい、実際には陰惨なところだったでしょうから、と前置きをして「廻し」について解説、もっとも今日の客は必要ないかもしれないが。
哀しいモノローグのすがれた職人、「ほーほーほーほー」、先日テレビでみた岩下何とかさんみたいに笑うオカマッポイ若旦那、「男の女郎買いの本質を那辺にあると心得る」漢語まじりで恫喝する旧士族、「ちょっくらこけこ、おらこうみえても江戸っ子だ」お馴染み田舎甚助、四股を踏む力士、五人の煩悩の塊・煩悩の佃煮と化した哀しき男どもを活写して楽しい半日は終わった。
震災で一度は帰ったけれどまた来日したという。
さて、お賽銭、私も「ほめ・くさん」同様、大抵「ご縁」の5円。たまに豆太くんの分(5円)+5円。無いときはなし、か10円。ケチですね。
定次郎はいったい毎日いくらあげたのでしょうか。
百日でも5百円、それじゃ定次郎のように文句も言えないですね^^。
「鳥啼き」と「き」が入らないんだなあと目に留まったことがあるんです。いろいろな解釈がありそうですね。
なんか面白いですね。
「泣け~泣け~」って、いつまでも泣かない子もいるんですね。
奥の細道はもう一度ちゃんと読みたいと思います。
宇姫さんの健闘を祈りたい。