小三治、扇辰、志ん輔、小さん、志ん公 みんなよかった 第525回落語研究会
2012年 03月 29日
国立劇場小劇場・落語研究会。
開場時間の少し前に行くと長蛇の列、今日は小三治がでるので当日券の客がおおいのだ。
mamaさん、取れたかな。
俺は年間通し指定席を持っている。
3年ほど前に真冬に徹夜で並んで手に入れた、といいたいのだが当日俺は風邪でドタキャン、仲間の方々にとっていただいた。
近くにホテルまでとって交替で休憩をとれるように時間別作業ダイヤまで作ったのは俺なのに自分で穴をあけちまったのだ。
こういう行列をみるとあのドタキャンが思い出され、ああ、無理しても俺も並ぶんだった、死にゃあしなかっただろうと、ベンチでコンビニで買ったお握りを食いながら思う。
開口一番は志ん公「孝行糖」
金馬を思い出させる、いや金馬よりもきれいな声で江戸の町を歩く、イワシ売り、金魚売り(死んだ魚は元気よく、生きてる魚は死んでるように)、ダイコダイコのダイコン売りとゴンボゴンボのゴボウ売り(「ん」があるところの「ん」を「ん」のないところに持っていき)、ひと声と三声は呼ばぬ卵売り、、ゆったりとたっぷりと。
後から上がった扇辰が「いいですね、ウケようとする変な色気がない若さ」と褒めた通りだ。
今日は楽しみな噺家が多くてわくわくする、その第一弾が扇辰だ。
パンフレットに長井好弘が扇辰が地噺「お血脈」に取り組んだ経緯などを紹介して
志ん朝はひとり一人にメモを手にして丁寧に指導する。
ドキドキしながら待っていた扇辰の番になったら「ああ、扇辰君、、すきにやってください」、がっかり、、。
とそこまでは長井の文章に載ってることだが、
それは本格的な噺の間で色取りとして演じられるような性格のものだと、だから、今日もあまり期待しないでください、と、それが言いたかったか。
いつものことながら落ち着いた晴朗な語りを聴いていると「さあ、お楽しみはこれからだ!」という気持ちが湧いてくる。
前半は善光寺の由来を丁寧に笑わせて、後半は善光寺のお血脈(これを額に当てると誰でも極楽往生ができる)のために地獄に来る者がいなくなって地獄が破綻寸前、閻魔を議長に地獄会議で針山地獄は解体して草月流になどと事業仕分け、それでもダメだから、いっそ善光寺に忍び込んでお血脈を盗んで来い、と地獄の興廃この一戦にありの盗人に選ばれたのが石川五右衛門、芝居がかった男・五右衛門は、、の爆笑編。
期待通りの面白さだった。
もっとも終演後の恒例お茶会では扇辰の着物の着こなしがよくないとご婦人たちから厳しいご指摘、読んでるかい?扇辰君。
お楽しみの第二弾は志ん輔「黄金餅」だ。
大師匠である志ん生・師匠・志ん朝の十八番にどう挑むか。
志ん輔らしくB級ランチの話題、浅草演芸ホールの前で280円の牛丼(3軒並んで競争している)を食って、近くの立ち食い蕎麦の天たま480円と比べても、これでやっていけるのかと、思いながらも、ギャラは少しでも欲しい、出す方は少しでも安くと考える自分が浅ましく嫌になる、嫌になるけれど翌日になるとまた少しでも安いところは、と探している、とケチの噺からネタに入る。
西念が死んだあと大家が長屋の者に弔いを手伝うようにいうところなど師匠の志ん朝の形(志ん生にはない、なんたって志ん生は短いんだ)。
この噺の看板みたいな道中づけ(下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺までの遺骸を担いでいく道筋を言い立てる)は心もちゆっくりと、終わって「ずい~ぶん、く・た・び・れ・た」に力点。
木蓮寺の酔っ払い和尚が秀逸だった。
脱力感があり、孤独感すら漂わせ、でたらめ経も欠伸交じりの呻きをたっぷりやってそれが新内になって、合間のチ~ンも欠け茶碗を箸で叩くから「チン」と残響もないのが芸コマだ。
志ん生・志ん朝親子のスピード感やリズム感には及ばないがいかにも志ん輔一流の黄金餅がつきあがったのではなかろうか。
中入り後は小さん「親子酒」
しばらくぶりに見たら顔が丸みを帯びて親の小さんの面影がちょっと。
小三治、先代馬生(食べない)、前は飲んだ小はんが止めたので相手がいないと言って小満んもやめた、談志はレモンをちゅうちゅう吸いながら飲んでいた、ぎんなんが好き「イチョウにいい」といってた、飲むというより食いに食った父・小さん、好きなチラシ寿司を食った次の日に亡くなって思い残すことはないかと思っていたら、実はその夜「明日は稲荷ずしが食いたい」といって二階に上がったことを後で聞いた、、、ゆっくりといい間で、ずいぶんうまくなった。
噺の内容がよかったこともある。
ネタも楽しかった。
トリは小三治「茶の湯」
蔵前という町が江戸時代に果たした役割などを丁寧に説明して、ようやくそこで小僧から身を起こし仕事一筋で大店の旦那になりおおせた男が隠居してお気に入りの定吉と根岸の里で風流生活に入るところまで、結構時間を使った。
まあ、俺も含めて多くの小三治ファンは彼の話を聞いていれば満足だということもあるのだが。
もちろん、椋の皮で泡をたてた青黄な粉の”お茶”を点て、それを飲むまでの仕草、百面相はいつものように抱腹ものだ。
可愛いけれどこまっしゃくれて油断ができない定吉もいかにも小三治の定や~だ。
ほとんど文句はない、ないのだが、、。
たとえば、不味い茶を飲み干すのに苦しむ表情が多すぎた割に、長屋の三人が登場するあたりから、やや急いで運びが荒っぽく感じた。
ようするにぜんたいとしてもう一つ、ああ、小三治を聴いたんだ!という満たされた気持ちになれなかった。
期待が大きすぎる噺家はつらい。
開場時間の少し前に行くと長蛇の列、今日は小三治がでるので当日券の客がおおいのだ。
mamaさん、取れたかな。
俺は年間通し指定席を持っている。
3年ほど前に真冬に徹夜で並んで手に入れた、といいたいのだが当日俺は風邪でドタキャン、仲間の方々にとっていただいた。
近くにホテルまでとって交替で休憩をとれるように時間別作業ダイヤまで作ったのは俺なのに自分で穴をあけちまったのだ。
こういう行列をみるとあのドタキャンが思い出され、ああ、無理しても俺も並ぶんだった、死にゃあしなかっただろうと、ベンチでコンビニで買ったお握りを食いながら思う。
金馬を思い出させる、いや金馬よりもきれいな声で江戸の町を歩く、イワシ売り、金魚売り(死んだ魚は元気よく、生きてる魚は死んでるように)、ダイコダイコのダイコン売りとゴンボゴンボのゴボウ売り(「ん」があるところの「ん」を「ん」のないところに持っていき)、ひと声と三声は呼ばぬ卵売り、、ゆったりとたっぷりと。
後から上がった扇辰が「いいですね、ウケようとする変な色気がない若さ」と褒めた通りだ。
パンフレットに長井好弘が扇辰が地噺「お血脈」に取り組んだ経緯などを紹介して
寄席で磨いた地噺が今夜、落語研究会の高座に上がる。新しいクスグリは何か、五右衛門は釜風呂で何を唄うのか。自在な変化を見せる扇辰流「地噺」を見逃してはならないなどと書いてあって、それで扇辰はマクラにしゃべることを書かれちゃったと言いながら、二つ目勉強会で志ん朝に指導してもらったときのことを回想する。
志ん朝はひとり一人にメモを手にして丁寧に指導する。
ドキドキしながら待っていた扇辰の番になったら「ああ、扇辰君、、すきにやってください」、がっかり、、。
とそこまでは長井の文章に載ってることだが、
あれで分かったこと、地噺ってのはそんなもんなのだってこと地噺とは、落語は原則的には会話で進めて行くのに対して演者自身の語りで噺を進める(ちょっと講談に似ている)噺で、「目黒のさんま」とか「源平盛衰記」「たがや」などがある。
それは本格的な噺の間で色取りとして演じられるような性格のものだと、だから、今日もあまり期待しないでください、と、それが言いたかったか。
いつものことながら落ち着いた晴朗な語りを聴いていると「さあ、お楽しみはこれからだ!」という気持ちが湧いてくる。
前半は善光寺の由来を丁寧に笑わせて、後半は善光寺のお血脈(これを額に当てると誰でも極楽往生ができる)のために地獄に来る者がいなくなって地獄が破綻寸前、閻魔を議長に地獄会議で針山地獄は解体して草月流になどと事業仕分け、それでもダメだから、いっそ善光寺に忍び込んでお血脈を盗んで来い、と地獄の興廃この一戦にありの盗人に選ばれたのが石川五右衛門、芝居がかった男・五右衛門は、、の爆笑編。
期待通りの面白さだった。
もっとも終演後の恒例お茶会では扇辰の着物の着こなしがよくないとご婦人たちから厳しいご指摘、読んでるかい?扇辰君。
大師匠である志ん生・師匠・志ん朝の十八番にどう挑むか。
志ん輔らしくB級ランチの話題、浅草演芸ホールの前で280円の牛丼(3軒並んで競争している)を食って、近くの立ち食い蕎麦の天たま480円と比べても、これでやっていけるのかと、思いながらも、ギャラは少しでも欲しい、出す方は少しでも安くと考える自分が浅ましく嫌になる、嫌になるけれど翌日になるとまた少しでも安いところは、と探している、とケチの噺からネタに入る。
西念が死んだあと大家が長屋の者に弔いを手伝うようにいうところなど師匠の志ん朝の形(志ん生にはない、なんたって志ん生は短いんだ)。
この噺の看板みたいな道中づけ(下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺までの遺骸を担いでいく道筋を言い立てる)は心もちゆっくりと、終わって「ずい~ぶん、く・た・び・れ・た」に力点。
木蓮寺の酔っ払い和尚が秀逸だった。
脱力感があり、孤独感すら漂わせ、でたらめ経も欠伸交じりの呻きをたっぷりやってそれが新内になって、合間のチ~ンも欠け茶碗を箸で叩くから「チン」と残響もないのが芸コマだ。
志ん生・志ん朝親子のスピード感やリズム感には及ばないがいかにも志ん輔一流の黄金餅がつきあがったのではなかろうか。
しばらくぶりに見たら顔が丸みを帯びて親の小さんの面影がちょっと。
小三治、先代馬生(食べない)、前は飲んだ小はんが止めたので相手がいないと言って小満んもやめた、談志はレモンをちゅうちゅう吸いながら飲んでいた、ぎんなんが好き「イチョウにいい」といってた、飲むというより食いに食った父・小さん、好きなチラシ寿司を食った次の日に亡くなって思い残すことはないかと思っていたら、実はその夜「明日は稲荷ずしが食いたい」といって二階に上がったことを後で聞いた、、、ゆっくりといい間で、ずいぶんうまくなった。
噺の内容がよかったこともある。
ネタも楽しかった。
震災復興番組の最後などによく歌われる「上を向いて歩こう」、作詞者の永六輔はさぞかししこたま儲けたろうと訊いてみたら、なぜか作詞権を放棄しているから全然儲からないらしい、坂本九があれをアメリカで歌って「スキヤキソング」として有名になったときに落語の「向こうの家に囲いが出来た」「へ~」というのをやって大うけだったというが、そんなに面白い噺かなあ、いったいどう訳したんだろう、私なら、、進駐軍に両国国技館を接収されていた頃は蔵前国技館だった。
蔵前という町が江戸時代に果たした役割などを丁寧に説明して、ようやくそこで小僧から身を起こし仕事一筋で大店の旦那になりおおせた男が隠居してお気に入りの定吉と根岸の里で風流生活に入るところまで、結構時間を使った。
まあ、俺も含めて多くの小三治ファンは彼の話を聞いていれば満足だということもあるのだが。
もちろん、椋の皮で泡をたてた青黄な粉の”お茶”を点て、それを飲むまでの仕草、百面相はいつものように抱腹ものだ。
可愛いけれどこまっしゃくれて油断ができない定吉もいかにも小三治の定や~だ。
たとえば、不味い茶を飲み干すのに苦しむ表情が多すぎた割に、長屋の三人が登場するあたりから、やや急いで運びが荒っぽく感じた。
ようするにぜんたいとしてもう一つ、ああ、小三治を聴いたんだ!という満たされた気持ちになれなかった。
期待が大きすぎる噺家はつらい。
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散歩好き
at 2012-03-29 17:54
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「小はん」はだいぶ前に肝臓をこわして以来周りが呑んでも酒は一滴も口にしません。寄席にも「小はん」さんの会にも何年も行っていなくて世間が狭くなるばかりです。
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tocotoco-o3po at 2012-03-29 19:30
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saheizi-inokori at 2012-03-29 22:35
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saheizi-inokori at 2012-03-29 22:39
tocotoco-o3poさん、最近できた銅像を見せたんですがあまり関心なさそうでした^^。オシッコかけられると困るのですぐに連れていきましたが。
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saheizi-inokori at 2012-03-29 22:41
きとらさん、五代目亡きあと小三治が固辞したために息子の三語楼が六代目を継ぎました。
あまりぱっとしないのですが昨日はまずまずでした。
あまりぱっとしないのですが昨日はまずまずでした。
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mama
at 2012-03-30 23:09
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やっぱりバタバタ忙しくて・・・。長蛇の列を想像しちゃうと、それだけで気持ちがくじけてしまいます。saheiziさんのレポートで楽しみました。
ありがとうございます。
志ん輔さんのブログに載った写真も、いいなあと思いました。
ありがとうございます。
志ん輔さんのブログに載った写真も、いいなあと思いました。
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saheizi-inokori at 2012-03-30 23:45
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創塁パパ
at 2012-03-31 22:59
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小さんの「親子酒」は意外といいのです。酒の噺はいいです。
小三治。最近聴いていないなあ。聴きたいです(笑)
小三治。最近聴いていないなあ。聴きたいです(笑)
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saheizi-inokori at 2012-03-31 23:04
創塁パパさん、親子酒だけという辛口を言う人もいました。
でもだいぶ良くなりましたよ^^。
でもだいぶ良くなりましたよ^^。
by saheizi-inokori
| 2012-03-29 12:17
| 落語・寄席
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