水俣病を知ったらフクシマで行動を 石牟礼道子 全集第三巻「苦界浄土 第三部など」
2012年 03月 26日
チッソ様のお蔭で水俣はこれだけの街になっている。
いつまで水俣病のことを全国に知らせるのか!地元のイメージが悪くなる(水俣の業ば晒しに上京するのか!)。
金が欲しくてしょうがないのだろう(補償金ばかりか東京見物をしてカンパの金で遊んでいる)。
子どもがたくさんいる人は補償金もたくさん出てよかった。
、、、
奇病を訴えにゆこうにも銭はなし、訴えにゆくべき人間も次々に死にますし、動ける人間は厄病神がとりつきに来たようにいわるるし、水俣の町の角には立てません。市民が憎みますけんなかれらは自ら非人となって、発病以来20年の年月をかけてチッソ東京本社に現れたのだ。
どんなに切ない情景でもユーモアが感じられるのはどういうことなのだろう。
石牟礼がカンパ要請のために書いたガリ版刷りのチラシには
水俣病患者らによる<チッソ東京本社前座りこみ>とはなにか。この国の近代と前近代のはざまに出現した、さまざまの幽霊奇譚でもあるのです。とある。
俺はいたるところでフクシマのことを思い浮かべた。
橋下のことも。
青年団の小屋や老人たちの集まる縁側や、いろりばたには、いつも往年の赫赫たる自称ガッコ(小学校)の優等生の、がき大将たちが、牧神たちの集いのごとく、村々の民話の伝統を悠然と主宰していた。そして渡辺京二が書いたビラの
このような村々で他を押しのけて、ひとより目立ちたいなどという根性は、精神の貧しさやケチさのあらわれにほかならず、学校の試験などにうつつを抜かす試験の虫たち、成績のよか組や頭のよか衆が、「成績の悪か組」に蔑視でもあらわせば、その他大勢組の圧倒的ぶべつを受け続けたのである。
熊本の地域住民にとって、水俣病は国家権力と巨大資本に対するもっとも鋭い闘争課題である。これをおいてベトナム反戦や70年問題をさけびたてることは、仮構の課題への思想的逃避ではないのか。という指弾の前にうなだれてしまう。
渡辺は、小山和夫とふたりで1969年4月17日午前10時から、チッソ工場正門前で八時間の座りこみを行う旨を告げ、思想信条の違いを問わずチッソに抗議する意思のある人は、最後の十分間だけでもいいからわれわれと肩を並べてくれ、いかなる組織であってもその旗印はもちこみを断る、すべての責任は渡辺・小山のふたりが個人としてとると書いている。
思想などといえるほどの立派なものは持ちあわせないが、俺も「逃避」していることは間違いない。
図書館に予約するときに間違えたらしく全集の第三巻が先に来てしまった。
後も申し込まなくては(読みでがあるから在庫一掃してからだ)。
九州勢には「地の霊」の加護があるのでしょうかねぇ。
水俣と福島本当に似ていますね。
水俣のことにしろ福島のことにしろ人間への警告なのでしょうが、私たちはいつも同じ事を繰り返してしいますね。
ひとの愚かさを感じます。
地球も怒っているのかな・・・。
その人たちを水俣病で殺し、美しい生き方まで奪った文明が恐ろしい。
それが今また飯館を襲い福島の人々の暮らしを壊しているのです。
行きたいなぁ~
いかんです。
彼女も賢治が好きだそうです。
世田谷パブリックの案内は来てますが私は行かないつもりです。
ちょっと手を広げすぎなんです、体力的金銭的に^^。
本書に出てくるチッソの嶋田社長は親しい人から「仏様のような人」といわれていたそうです。体力、精神力の限界を超えるご苦労をしたようで命も縮められた。
部下に病床で口づてに遺した文章も載っていますが、苦しかったでしょう。
しかし、エリートしてチッソの社長になったからには身を滅してもやらなければならない使命があったはずで、それは短期的に会社の延命を図ることではなかったと思います。
彼の遺文にはチッソ株式会社にこだわらず国家のためにという決意もみられます。
それでもなお今私が本書を読むともう一歩前に出られなかったかと思うし、それが近代資本主義の恐ろしさかとも思います。
フクシマを経た今こそエリートが本当の使命感を持って会社運営にあたるべきだと思います。
もう暗澹とする気持になります。
これほど国民を無視して国と言うものは成り立つものなんでしょうか。
だから今も再稼働に政治的判断をするというのですよ。
国民のどの部分を大事にしてどの部分を無視し殺しさえするか。
前に紹介した「誰が中流を殺すのか」ではアメリカ国家は中流を殺して結局国家そのものを殺してしまうのかもしれないですね。
日本も?
水俣病、沖縄、似た構造ですね。