見えなかった物語が見えてきた 酒井隆史「通天閣 新・日本資本主義発達史」
2012年 03月 14日
明治の終わり、大正元年(1912年)、大阪に「新世界」が出来て通天閣が聳えた。
初代通天閣は75メートル、東洋一を誇り、戦時中に焼けて解体され、1956年に二代目が103メートル、当時日本一を誇った。
誇ったけれどそれはエッフエル塔の303メートル、東京タワーの333メートルと比してもあまりに中途半端な高さだった。
高さだけではない、膨張に膨張を重ねるスプロール都市・大阪にあって通天閣は超越的な位置を占めることはできなかった。
そして上町台地の断崖下に位置するという地理的条件(水平な位置で見る)も又通天閣に対する人々のイメージを独特の親しみをもったものにした。
大阪のシンボルである。
それは大阪城、中之島公園などの大阪観光名所の一つとしての大阪のシンボルであるとともに通天閣周辺の釜ヶ崎、飛田などの”ディープサウス”のシンボルでもある。
大阪が東京に張り合う大都市としての中央性を持つと同時に被差別の民、朝鮮、琉球、奄美、国内外から流入した人々の住む地方性(しばしば大阪はその地方性をもって東京に対抗させているのだが)を持つ都市であり、その中央性がミナミの地方性を排除・追放しようとし、無視し、懐柔しようとし、抗うさまを通天閣は見守り続けてきた。
その戦いともいえない戦いは近代化・資本主義の発達と前近代とのせめぎあいかもしれない。
「日本三文オペラ」を書いた開高健は、新世界を「手のつけようもなくドタリとよこたわった胃袋」として、ジャンジャン町をそれにつながる「腸管」、さらにその腸管は飛田遊郭方面という下半身に向かうのだと言った。
新世界の成り立ちから現代にいたる通天閣を見上げ、眺める(上町台地=夕陽丘)人々、
被差別部落出身の阪田三吉と戯曲や映画になった「王将」の物語も優に一冊のノンフィクションとして出版できるだけの質量がある。
北條秀司の「王将」のきっかけになったのは上町台地に育った織田作之助の短編「聴雨」や評論だ。
酒井は川島雄三と織田作之助の友情を語り、川島の映画「貸間あり」は織田作之助へのオマージュであるという。
俺はここに映画を分析する形で描かれる夕陽丘や口縄坂などのことを読んで無性にあの辺りを歩きたくなった。
先日書いた「払えぬものは払わなくてよい=借家人同盟」の逸見直造の母親は今宮村・廣田の森でランプ芯を作る工場を始める。
付近には貧民街があったから低賃金の労働力をあてにしたらしい。
赤ん坊だけでなく就学年齢に達したぐらいの子供まで捨て子が多く、それを警察は工場に連れてきて面倒を見るようにと頼んで置いていく。
工場には拾い子、家出人、部落の娘に親類縁者が働いて一種の共同体的経営だった。
直造たち子供の遊び相手は、拾い屋、下駄の職人や売春婦の子らだった。
直造の借家人同盟に見られるような運動の作風にはこういう環境・地理が色濃く刻印されている。
酒井は直造について
さらに酒井は注のなかで
酒井は、この「今」に「今」だからこそ「陰性」を遠ざけよ、というのだろうか。
厚さ5センチを超える本、読み応え十分だった。
青土社
初代通天閣は75メートル、東洋一を誇り、戦時中に焼けて解体され、1956年に二代目が103メートル、当時日本一を誇った。
誇ったけれどそれはエッフエル塔の303メートル、東京タワーの333メートルと比してもあまりに中途半端な高さだった。
高さだけではない、膨張に膨張を重ねるスプロール都市・大阪にあって通天閣は超越的な位置を占めることはできなかった。
そして上町台地の断崖下に位置するという地理的条件(水平な位置で見る)も又通天閣に対する人々のイメージを独特の親しみをもったものにした。
大阪のシンボルである。
それは大阪城、中之島公園などの大阪観光名所の一つとしての大阪のシンボルであるとともに通天閣周辺の釜ヶ崎、飛田などの”ディープサウス”のシンボルでもある。
大阪が東京に張り合う大都市としての中央性を持つと同時に被差別の民、朝鮮、琉球、奄美、国内外から流入した人々の住む地方性(しばしば大阪はその地方性をもって東京に対抗させているのだが)を持つ都市であり、その中央性がミナミの地方性を排除・追放しようとし、無視し、懐柔しようとし、抗うさまを通天閣は見守り続けてきた。
その戦いともいえない戦いは近代化・資本主義の発達と前近代とのせめぎあいかもしれない。
「日本三文オペラ」を書いた開高健は、新世界を「手のつけようもなくドタリとよこたわった胃袋」として、ジャンジャン町をそれにつながる「腸管」、さらにその腸管は飛田遊郭方面という下半身に向かうのだと言った。
怪しげな投機家、人道主義者の極道者、悪評だらけの企業家、単独決起する車夫、わがもの顔でのし歩く博徒、警察に追われるアナキスト、野宿する私娼たち、ハッタリめいた運動家、あるいは嫌われ者のジャーナリスト彼らの秘密を膨大な資料に基づいて、タテヨコナナメ、奇想ともいえるさまざまな切り口で描いてみせる本書はまさしく「新・日本資本主義発達史」だ。
被差別部落出身の阪田三吉と戯曲や映画になった「王将」の物語も優に一冊のノンフィクションとして出版できるだけの質量がある。
北條秀司の「王将」のきっかけになったのは上町台地に育った織田作之助の短編「聴雨」や評論だ。
酒井は川島雄三と織田作之助の友情を語り、川島の映画「貸間あり」は織田作之助へのオマージュであるという。
俺はここに映画を分析する形で描かれる夕陽丘や口縄坂などのことを読んで無性にあの辺りを歩きたくなった。
付近には貧民街があったから低賃金の労働力をあてにしたらしい。
赤ん坊だけでなく就学年齢に達したぐらいの子供まで捨て子が多く、それを警察は工場に連れてきて面倒を見るようにと頼んで置いていく。
工場には拾い子、家出人、部落の娘に親類縁者が働いて一種の共同体的経営だった。
直造たち子供の遊び相手は、拾い屋、下駄の職人や売春婦の子らだった。
直造の借家人同盟に見られるような運動の作風にはこういう環境・地理が色濃く刻印されている。
酒井は直造について
「存在と意識」の不一致をあら探しして、倫理的一貫性の側から攻撃するというこの社会ではよくみられる、ケチくさい道徳からはなから無縁であった。運動家を遠ざけたと評価する。
組織性の刷新、関係性の発展、戦術、理論の生産や創造に心を砕くよりも、近い立場の人間の「不一致」や「欠落」をするどくかぎとり、そこにあるかもしれない生産や創造をくじき、その非難や糾弾となるとひときわ活性化するたぐいの「陰性」の要素から
希少性を家訓とし、つねに節約的にふるまうたぐいの「経済人」ではなく、過剰から出発し「いくら使ってもへるものか」とばかりに知性(とカネ)の出費を惜しまない大胆な発明性を評価する。
この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」などを伝染させ、人間を常態として萎縮させつづけるという統治の技法がある。日本近代史のある時点で、統治がうまく活用することを学んだ技法であり左派の側も無批判にみずからのうちに引き入れ同化してしまった、という。
「新しい社会」は私たちがいまここでさまざまな知恵や工夫によって、決して私たちが逃れることのできぬ「陰性」をたえず遠ざけることから出発しなければならない。これは主要には心構えとか道徳の問題ではない。これは制度の問題であり、社会を変えることそのものの問題なのである3.11を経た今、俺はますます「陰性」に浸りきっているようだ。
酒井は、この「今」に「今」だからこそ「陰性」を遠ざけよ、というのだろうか。
厚さ5センチを超える本、読み応え十分だった。
青土社
厚さ5cmの本、内容も密で難しそうです。
大阪を地理的にも知らないとさらに分からないようです。
さっと通っただけの大阪ですから、しっかり歩いてみたいと決心しました。
大阪を地理的にも知らないとさらに分からないようです。
さっと通っただけの大阪ですから、しっかり歩いてみたいと決心しました。
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sakura
at 2012-03-14 20:12
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「通天閣」、名前そのものが日本資本主義の勃興を現してますね。しかし、大仰さと平凡さが大阪らしいです。凌雲閣の方がむしろハイカラです。
若いとき、一度だけデートで登りました。もしかすると彼女に馬鹿にされていたのかもしれません。
長く閑古鳥が鳴いていましたが最近は流行ってます。若い男女が通天閣やじゃんじゃん横丁を訪れてます。B級グルメの案内などを読んだのでしょう。串カツ屋に並んでます。たいした食い物ではないのですがねぇ。
大地震南下中ですね。
若いとき、一度だけデートで登りました。もしかすると彼女に馬鹿にされていたのかもしれません。
長く閑古鳥が鳴いていましたが最近は流行ってます。若い男女が通天閣やじゃんじゃん横丁を訪れてます。B級グルメの案内などを読んだのでしょう。串カツ屋に並んでます。たいした食い物ではないのですがねぇ。
大地震南下中ですね。
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at 2012-03-14 22:08
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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saheizi-inokori at 2012-03-14 22:29
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saheizi-inokori at 2012-03-14 22:30
sakura さん、私もこのあいだ初めて行ってもう一つの大阪を見たような気がしました。
又行こうと思います。
又行こうと思います。
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saheizi-inokori at 2012-03-14 22:33
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saheizi-inokori at 2012-03-14 22:35
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kaorise at 2012-03-15 00:44
織田作之助、大好きです。
saheiさんの記事をよんで、未読の小説を読みたくなりました。
通天閣には7年くらい前に行きました。
周辺の写真を撮って雑誌のイメージフォトに使ってもらいました。
大阪って見た目は自由なのに、実は保守的な土地なんだなあと
感じたのが印象的でした。
saheiさんの記事をよんで、未読の小説を読みたくなりました。
通天閣には7年くらい前に行きました。
周辺の写真を撮って雑誌のイメージフォトに使ってもらいました。
大阪って見た目は自由なのに、実は保守的な土地なんだなあと
感じたのが印象的でした。
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旭のキューです。
at 2012-03-15 07:41
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厚さ5センチの本、読み応えのある本と伝わってきました。
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saheizi-inokori at 2012-03-15 09:34
kaoriseさん、私は川島の「貸間あり」(原作は井伏鱒二)とか「わが町」(織田作の作品が下敷きになっている)などの映画もみたくなりましたよ。
「幕末太陽伝」ばかりじゃないんですよね^^。
「幕末太陽伝」ばかりじゃないんですよね^^。
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saheizi-inokori at 2012-03-15 09:35
旭のキューです。さん、ガッツリ、読みました。
腹いっぱいになりました。
腹いっぱいになりました。
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cocomerita at 2012-03-15 17:14
Ciao saheiziさん
>新世界を「手のつけようもなくドタリとよこたわった胃袋」として、ジャンジャン町をそれにつながる「腸管」、さらにその腸管は飛田遊郭方面という下半身に向かうのだと言った。
上手い事言いますねえ
>これは主要には心構えとか道徳の問題ではない。これは制度の問題であり、社会を変えることそのものの問題なのである
同感です
社会の制度を変えれば、そこにひょこひょこ付いてくるのが民であると
そう思います
そして今がそのいい機会であるとも思います
>新世界を「手のつけようもなくドタリとよこたわった胃袋」として、ジャンジャン町をそれにつながる「腸管」、さらにその腸管は飛田遊郭方面という下半身に向かうのだと言った。
上手い事言いますねえ
>これは主要には心構えとか道徳の問題ではない。これは制度の問題であり、社会を変えることそのものの問題なのである
同感です
社会の制度を変えれば、そこにひょこひょこ付いてくるのが民であると
そう思います
そして今がそのいい機会であるとも思います
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saheizi-inokori at 2012-03-16 00:02
cocomeritaさん、いい機会というより必要な時期だと思います。
しかし悲観的だなあ、「陰性」です^^。かなしいけれど。
しかし悲観的だなあ、「陰性」です^^。かなしいけれど。
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rengesou009 at 2013-08-31 14:18
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saheizi-inokori at 2013-08-31 21:31
by saheizi-inokori
| 2012-03-14 12:22
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(16)