松脂を囃し、連歌を盗み、妻を恋うる 狂言の会@国立能楽堂
2012年 01月 26日
「松脂」
中世に始まり江戸幕府でも正月恒例の行事として行われた「松囃子」、能の源流のひとつでもあるという。
東次郎旦那が「今年は松脂を囃そう」と言い出し、太郎冠者・若松隆に言いつけると客が泰太郎、則孝、竹郎、凜太郎、則秀、5人そろってぞろぞろ、東次郎の音頭で
松脂やにややにややにや松脂やにややにや、、扇で手のひらを打って囃す。
笛・一噌幸弘、小鼓・森澤勇司、大鼓・柿原弘和、太鼓・徳田宗久がのどかにつける。
橋掛かりを歩いてくるのは松脂の精(山本則俊)だ。
かな壺眼の面をつけて長い黒髪を後ろに垂らしトントントンと足踏みしたりつ~っと滑るように歩いたり、、。
喜んだ人間たちと”松のめでたき仔細”について問答をしたり、家の守りとなる弓の弦につける薬煉(くすね)に煉りこんでやろうとて舞踊る。
一昨日書いた、渡辺京二の言葉、
太古以来、人間は想像力も美意識もふくめてなべて心というものを、樹木も重要なそのひとつである森羅万象をかたどることで、育て養い培ってきたのだを想起する。
さわやかに笑ったのは「連歌盗人」
右近と幸雄は連歌の集まりを主催しなければならないが、いずれ劣らぬ貧者ゆえ用意できたものといえば「杉楊枝を20本ばかり」と「杉の葉、南天の葉」(食器に敷く)しかない。
困ったあげくに有徳人(金持ち)で知られる万作さんの邸宅に忍び込んで何か盗んで来ようとよからぬ相談。
隠し持ったる鋸でズカズカズカズカ、垣根を切り取り、メリメリメリメリ、ゴロゴロゴロ、擬音を聴くのも楽しく、忍び込む。
途中の二人の問答は落語の「鈴ヶ森」(喜多八版)といい勝負。
なんとまあ、幸雄さんは緊張のあまり胸が「だくだく」、っていうじゃないか。
奥の間にあったのは連歌の上の句、
水に見て月の上なる木の葉かな連歌好きの二人は下の句をつけるのに夢中になっちまう。
万作旦那が現れてオノレ盗人成敗してくれんと刀を振り回すが、ふと「さっき二人でにぎやかにやってたのはなんじゃ、わしにも聞かせろ」、歌心のある万作老人、二人に酒を飲ませて、盗みに入った事情を訊き、大刀、小刀をくれて、これで費用を捻出しろ、これからも遊びにこいよ、ただし今度は表からな、となんとも風雅な話であることよ。
ここで落語に出てくる泥棒列伝。
「だくだく」、絵に描かれた家財を盗んだつもりになって絵に描かれた槍で刺されたつもり、血がだくだく出てるつもり。
「穴泥」、留守の屋敷に入ってハイハイしてきたアカンボをあやしていて穴に落ちる。
近所の若い衆が呼ばれて穴から引き揚げたら3両やる、と旦那が言うのを聞いて「3両くれるならこっちから上がっていく」
「締め込み」、空き巣に入って家人が帰ってきたので台所の床下ヌカ味噌のわきに隠れて熱湯を浴びせかけられ夫婦喧嘩の仲裁にはいる。
「もぐら泥」、敷居の下を掘って鍵を外して忍び込もうとしたけれど目算が狂って突っ込んだ手を縛り上げられてしまう。
犬にションベンかけられ通りがかりの男に財布を持って行かれる。
「夏泥」、裏長屋に忍び込んだ相手がスッカンピン、同情して逆に脅しあげられて持ってる金を全部巻き上げられる。
「転宅」、お妾さんの家に入って色仕掛けにコロッといかれて逆に財布の中身も取り上げられてしまう。
「芋俵」、俵のなかに入ってトロイの木馬よろしくやろうとしたが天地を逆に置かれて夜中に芋を失敬しようとした小僧さんが手を突っ込んだものだからくすぐったくて、ついプ~とやる。
小僧さん「この芋は気の早い芋だ」
、、、まだまだありそうだが、この辺でひとまず。
泥棒さんをこんなふうにあったかい目で描いて笑いのめす日本人。
そんな日本人の心を盗んで憚らない野郎たちが許せぬノウ、ご同輩。
「茶子味梅」(ちゃさんばい)
唐人・萬斎が日本で捕われの身になって妻・高野和憲と10年連れ添ったものの「ニッポンジンココロガナイ」から、やっぱり唐の妻が恋しいと泣いては妻を困らせる。
唐人帽をかぶった萬斎がへんちくりんな「唐音」でしゃべるのが面白い。
一噌たちの一種哀調を帯びたお囃子「楽」と萬斎の舞が珍しく、楽しい。
酒を飲ませ、茶を供し、亭主の機嫌を取って自分も所望に応じて飲んだ上に踊ったりもしたのに、「我唐妻恋(ガトウサイレン)」と言われて怒りまくる妻がおかしくもカワユイ。
雪の日に熱燗、よろしうございますなぁ。
未だに説明されてもかな壺眼が実際にはどんなか知らないのです。知らないことが多すぎて本当に恥ずかしい。
写真に撮るときヤカンを集めている人がいるって話したらびっくりしてました。
いつかアップした大きなヤカンをぶらさげた自転車屋の主人のこともよく知っているのでしたがヤカンのことには気がつかなかったと。
目ん玉に銀紙貼っといたほうがいいかも^^。
落語のそもそもは坊さんのお説教だったというのです。
牧師や神父はお説教で面白い噺をしようとはしなかった?
ちょっと研究課題になりませんか?^^。
たちの感性を沈黙させ、ただ知性のみを働かせながら、全員が
なかまの一人に注意を向けるときに生まれる。」
ベルグソンの言う笑いです。「ただ知性のみを働かせながら」とか、ちょっと落語とは、日本人の笑いとは違うような気もするけれど。
たまたま似ているだけなのか、それとも出典が同じかどうかまでは分かりませんけれども、調べてみると面白そうですね。
泥棒噺はありませんか?^^・