怒れ!東北人 鎌田慧 斉藤光政「ルポ 下北半島 原発と基地と人々」
2012年 01月 07日
単行本にまとまったら読もうと思っているのでときどき眺める程度だが5日、61回目の記事にあったこと。
1977年ころ、朝日新聞が大熊由紀子記者に「核燃料」という本を書かせ、原発の必要性や科学性を前面に押し出して開発にあたる技術者や科学者に発言の機会を与え”原発反対論を押し返そう”とした。
「週刊読書人」が「対決書評」という企画記事を載せ大熊の「核燃料」を当時38歳のルポライター鎌田慧が批評、大熊が「原発・コンピューターの見えざる支配」の副題をもつ鎌田の「ガラスの檻の中で」を論じた。
大熊が原発は鎌田が説くほど恐ろしいものではないと非科学性を批判したのに対し、鎌田は
わたしたちの黄金バットは、もはや『庶民』たちの期待をになったものではなく、産業界のために、きょうもマントをひらひらさせながら闘っているのですねとジャーナリズムの使命を問いかけた。
その後、むつ小川原開発の頓挫、原子力船「むつ」の廃船、事故続きの再処理工場などなど失敗の連続を重ねながらも下北半島の原子力センター化は一貫して遮二無二、なりふり構わず進められてきた。
その進め方の本質は六ヶ所村の寺下村長が衆議院建設委員会(1973年)で行った、村を巻き込んだ札束攻勢を批判した後の発言に如実に表れている。
最後にお訴えし、お願い申し上げることは、開発の内容は一切秘密にされていることでございます。これは明らかに民主主義の否定であるばかりでなく、開発そのものの危険性を物語っているわけでございます。こうしたことを一方的に押しつけることは、明らかに自治権に対する重大な侵犯であるということでございます。いまさら申し上げるまでもないことでございますが、地方自治の本旨は憲法そのものでございます「巨大開発の村」から「核燃料サイクルの村」に変身させられた六ヶ所村は「悲しみの村」、広大な買収地の使用法が定まっていない東通村は「疑惑の村」、「夢の原子力船」母港から使用済み核燃料の荷揚げ港に変貌したむつ市は「裏切られた市」であり、大間のマグロなどで知られる豊かな漁港からフルMOXの原発建設へと舵を切る大間町は「転換の町」だと鎌田はいう。
厳しい自然と戦いながらも自然の恵みによって生きてきたまさかり半島の町や村がどのように国策によって振り回され変貌を強いられついには自らそれに依存しないでは生きられないまでになったかを人々の群像を映して見せることで権力というものの恐ろしさを告発する。
フクシマ以降、原発についての関心がまして原子力センター・下北半島の現状についてはかなり周知されてきたかもしれない。
しかし原発の半島は同時に核兵器を中心とするアメリカの海外基地の中でも最も重要な任務をになう大基地であることは案外知られていない。
本書の後半は東奥日報社論説委員である斉藤が秘密のベールに包まれた下北半島の軍事化が日米の緊密な協調の下にどのように進められミサワが世界でも有数の基地になっているさまを明らかにする。
中国、ロシア、北朝鮮の潜水艦を探知するソナーシステム、高度な対潜哨戒機P3Cを八戸基地だけで20機(日本全体で100機)を抱え、三沢には米軍がF16戦闘機を40機、空自がF2戦闘機を約40機運用されている。
そのF16は遠くイラクやアフガンにも出撃している。
イラク戦争(2003)でバクダッド空爆一番乗りを果たしたのは三沢のF16だ。
1970年代初めまで天ケ森射爆場は核爆弾投下のための超低空飛行の猛訓練が繰り返されていた。
そして今は地下深くにおかれた核攻撃施設を破壊するためのハイテク爆弾GBU38が三沢に配備されている。
その標的は北朝鮮でありイランだ。
住民を追い出して作った沖縄基地とは違って三沢は基地があって人が集まってきた。
F16の撤収などが(意図的にか)囁かれると動揺が走る。
岩手生まれ、青森育ちの斉藤は、3.11の天災と人災のダブルパンチに耐えている東北には中央に虐げられてきた歴史がある、東北人が「寡黙で粘り強い」と言われるが、その寡黙さは一種のあきらめにも通じているのかもしれないと考えている。
この期に及んでもはや遠慮は要らないだろう。東北人は声を大にして主張すべきことは主張し、要求すべきことは要求すべきではないか。震災から4か月が過ぎた(7月現在)。国は、政府はいったい何をやっているのかと。良く言えば寡黙で粘り強い、悪く言えばお人好しの東北にはおさらばである。時には怒れる東北人もいい同感だ。
岩波書店
̹ͤΤ֤äܤDZθΤʤոϡ˿ͤԲˤȤ⾯ʤ餺ޤϤ٤Žդ褦ʤäԤΤޤޤθդʤǤ ϤȤơȯϧȻѺѤ߳dzڤǽʪνˡγΩޤ˿ʤʤȡơԣУФؤλäߤʤȡܤȤϡǽʪѴάϤ뤳ȤȤʤꡢϴѸϤȤƻĤˤƤ⡢ΤϤۤȤɤƿͤȤʤꡢ켡ȤȾϲǾ֤ȤʤǤ礦 ΰռˤͻΤǤꡢҶΤäݤȡ褹벫ͼΤȤʤɡ١ܤˬ뾯ʸȤƤϸܤߤ뤳ȤϤʤΤǤ ɤ餫οرĤͿʤȹǤ֤ȤƤȶݿʧȤǤ礦 ޤΩݤ...... more
原発は大戦に等しいのでしょう。
ありがとうございます。
私も読んだけど、悲しすぎて記事に出来なかった本です。
寺下村長は、首長としてすごい人だと思います。
今日、大間漁港を見て来ました。
あのマグロの初セリで5600万?の高値を付けた大間のマグロ、町長は喜んでテレビで話していたけど、一方では原発工事の早期再開をと話しています。
その矛盾に気づかないのでしょうか??
私が毎日眺めている釜臥山の頂上にも、ガメラレーダーが建ってしまいました。
私たちの知らない基地も。
超過疎地になってしまった故郷に行って来て、このままの姿であって欲しいと思ったけど、大間原発はすぐ近くなのです。
昔、中学校3年になると歩いて大間まで遠足でした。
今その道路は原発の建設用地として入れないし、砂浜だった場所へも入れなくなってしまったのです。
その上の新しい道路を通りながら、40年ほど前には、当時の電源開発がその地に原発を作ろうと思っていたなんて、周辺首長も知らなかったのでは?と思っています。
原始の半島のままで良かったのに。
それでも違う道で生きて行けたのに・・・と、思います。
都民有権者の1/50、約2万人以上の署名があれば、東京電力管内にある原発稼働の是非を問う都民投票条例の制定(=都民投票の実施)を求める事が出来るそうです。
渋谷ハチ公前、新宿小田急ハルク前、立川ペデストリアンデッキにて15日まで毎日街頭署名をやっています。
http://kokumintohyo.com/
もしくは「原発国民投票」で検索すると詳しい内容が掲示されます。
今日市民の会の集まりがあり、
“東北人 もっと 怒れ 怒って粘って声を上げよ”と福島の人はおとなしすぎるなどなど、 歴史を振り返って 東北の人の粘り強い気質を生かしてと
話し合ってきたばかりでした。
まさかり半島の人々は原発事故もないのに故郷を喪っているのですね。どちらも原因は原発ではありますが。
私は故郷といえば長野かもしれませんが親戚も何もいません。それでも長野に行くことができてそこには同級生たちがいると考えることがどれだけ慰めになっているかわかりません。
その故郷に行っても懐かしい道を辿ることもできないなんて理不尽なことだと思います。
ともに仕事をし遊び酒を飲んだ、あの人たちのことを思い浮かべると堪らないです。
早速手に入れて読もうと思います。
下北は多くの人の目につかない辺鄙なところにあり、
知らない間に恐ろしいことになっているそうですね。
核戦争の最先端になりそう。
核のゴミもしっかり溜め込んで
何時でも兵器に転換出来るように、でしょうか。
三沢基地との関係も。
同感です
もっと怒ってほしい、主張してほしい
でもさ、今までそんだけ彼らの声を無視され、隠ぺいされてきたってことでもあるのではないかと思います
彼らの無視されることによって失われた声取り戻してほしいです
冬でもゴルフができて働けるなんて夢のような世界です。
あちらは除雪作業くらいしか仕事がなくなって暖房費や除雪委託など支出ばかりが増えるのですから。