「パーキンソンの法則」を覚えていますか?原発より自転車置き場の方が大事?
2011年 12月 16日
官僚制の欠点を鋭くついて官僚的になっている会社などにも当てはまったから社内研修などでつかわれた。
役人は与えられた時間に見合うだけの仕事を作り出すなんてのがあったが、
役人は際限なく部下を増やしたがる
支出は収入総額までは増えつづける(これは収入に関係なく支出が増え続ける今となってはむしろ立派なことかもしれないがその元は特殊法人などが予算を使いきる習性にあると思えば今でも妥当か)
問題解決のための議論・検討は人々が解りやすい問題ほど真剣な議論・検討がなされ、理解不可能な大きな問題は簡単に通過する昨日書いた↓「福島原発1号機は地震で壊れた」と云う問題があまりメデイアなどで騒ぎにならない訳はパーキンソンの法則でも説明出来るのかもしれない。
だから、会議で了承を得ようと思ったら実際に必要な額よりも遥かに巨額な経費を要求した方がいい
枝野が細野が、、どう云ったこう言った、あの面付きが気にいらんみたいな噺は活発な議論の対象になる。
原発はない方がいい、と云う噺も今となっては多くの人がコミットする。
しかし廃炉にするためにどれだけ費用と時間がかかり、どういうリスクがあるのか、日本中、または世界中が脱原発に舵を切るとなるとどんなことを考えなくちゃならないのか、、、
そんなことになると面倒というべきか、思考はついていかなくなる。
東京新聞報道にいわれるように有無をいわせず現在稼働中の原発も停止して新しい設計基準で作り直さなければならない事態が現実喫緊の問題になったらどういう社会的・経済的影響が不可避に生ずるか、心から反原発・脱原発を希求している人でもちょっとたじろいでしまう。
俺なんかは思考停止、落語に逃げちゃう。
ところで「パーキンソンの法則」って俺の記憶は間違っていないか。
そう思ってウィキペデイアで調べてみたら、なんと元祖・パーキンソンは「パーキンソンの凡俗法則」というのを主張していて、その事例はまさに原発のことがあげられているではないか。
当時、翻訳書を読んで感心したことは覚えているが原発の事例は記憶にない。
ちょっとその部分を引用する。
原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「着々と」進むことになる。まさしく!
この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する。
自転車置き場については誰もが理解している(もしくは理解していると考えている)ため、自転車置き場の設置については終わりのない議論が生じることになる。関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって自分の存在を誇示したがるのである。
本当に気の毒と感じています。
おーもーしーろーーいーーーー!!
本当にそうよね
人ってくだらない論議には熱を入れる
あれ、今だに良くわかんないんだけどさ
原発ですが
私は考えません
考えるより先に、いっそ全部廃炉にしてしまいます
そうしたら、便利であろうがなかろうが、人は文句言いながら慣れて行くもんです
あんな危険なものを{さてどうしようか??}などとその議論に時間を費やす時間もキャパも私たちは持っていないのですから
匂ううんこはまず取り去り、そっから考えましょう
と私は思う
いずれにしても、火力も水力もあるわけだから、そんなに果てしなく困るわけではないと思います
こういう時の素人考えってのは、結構いける と私は思います 笑
了解です!!