母よ 祖母よ ごめんなさい ありがとう

祖母が亡くなって42年、死の2年後に長女(俺の叔母)が祖母の短歌をまとめた冊子を作った。前書きにいう。母よ 祖母よ ごめんなさい ありがとう_e0016828_13103779.jpg
他日、機を得ましたら、この度の集にもれたもの等も集め、皆様からのおことばなども頂いて追悼集のようなものを出すことができればと思っております。
しかし、そういうことも叶わず遺稿集を出して10年ほどで逝ってしまう。
母は6年前に亡くなった。母は俳句を趣味としたので句友たちの強い勧めもあって私が句集を出した。母は生前俺が冗談半分に「お母さん、句集出さない?俺がやったげるよ」というと「マッピラごめん。句集公害って言葉もあるんだよ。」と取り合わなかったのに。祖母もどうやら同じ気質(もっとも母は祖母の嫁だから血はつながっていないが)だったと思う。そういう二人の気持ちに反するかもしれないけれど少しづつ彼女たちのうたを紹介していきたい。いつまでたっても親不孝な息子でいたいから。まず、祖母。どっちもおばあちゃんと呼んでいたんだ。
帰り来る児が口ぐちに母さんはときかれし頃が生き甲斐と思ふ

稲田ごし庭にカンナの咲くありてみどりの上に火と燃ゆる見ゆ

あれを主にこれを副などと鋏手に花さく庭をめぐるたのしさ

次は母
母よ 祖母よ ごめんなさい ありがとう_e0016828_13132349.jpg



心細くゐれば鳴き出づ庭の虫

再びの夜店の秋灯我老いぬ

久に来し弟の墓所片時雨

Commented by みい at 2005-11-01 11:50 x
俳句とか短歌には、その時々の心情、心の風景が凝縮されているんですよね。おばあ様、お母様の「言の葉」宝物ですね。次回楽しみにしております。
Commented by saheizi-inokori at 2005-11-01 11:56
ありがとう、みいさん。こうして書き抜くと今頃になって逝った人の気持ちが身に沁みるのです。手遅れなのですが。なんでもっと分かってあげられなかったかって。
Commented by Fou at 2006-06-14 21:35 x
「わが母と祖母の...」
タイトルに惹かれて読ませていただきました。お宅とは反対で、私にも幼い頃に朝鮮の南部に父方の曾祖母が居て、お宮詣りの晴れ着をはじめ、時折色々送ってくれたことを思い出しながら、あなたの祖母上様のように
異国から(戦時下の当時、私は朝鮮を外国だと思っていました)長子孫に娘が生れたことを愛しんでいてくれたのかと想いを馳せました。互いに会うことがありませんでしたが。

稲田ごし庭にカンナの咲くありてみどりの上に火と燃ゆる見ゆ

父は真っ赤なカンナが好きだ、と言ってました。幼い私はきっと父の第一の故郷である朝鮮の田舎に咲く花を父は好きだったのだろうと思いました。祖母上様のこの歌に出会って、「これだ!」と。
Commented by saheizi-inokori at 2006-06-14 22:47
Fouさん、ありがとうございます。なんだか昔の人のほうが愛情が濃いように思うことがあります。今私は自分の孫を彼らのように強く思っていないような。情けなく思うこともあります。それだけ親や祖母などに感謝しなければと思います。
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by saheizi-inokori | 2005-10-30 13:19 | わが母と祖母の遺したまいしうた | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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