認知症予防は落語を聴いて”悪く”生きること? 落語睦会
2011年 08月 31日
テレビで認知症予防のいろいろをやっている。
料理、いろいろ段取りしながら(片付けもしながら)作る。
園芸がいい、ウオーキングがいい、、。
そんなんでもいいの?といいたくなるようなことばかりだ。
でも、それすらやらなくなるとボケるらしい。
他人事だと思っていたのに、今やなんもしない日が結構あるからなあ。
頭と体を使って、、。
テレビで渋谷の町かどで若い子たちにノーダ・ド・ジョーを知ってるかい?と尋ねたら「え~、知らな~い」の大合唱、代表選のことを「それって花火イ?」とのたまう子も、この人たち早くに認知症にならなきゃいいけれど。
今回はトリの扇遊「付き馬」の噺から、
これなんか認知症予防には最高だね。
明日は金ができると、ウソついてタダで吉原にひと晩どんちゃん騒ぎ。
テレビじゃやってなかったけれど「遊ぶ」ってのは頭と体を活性化させる(程がよければ)。
翌朝、店の若い衆を口から出まかせ引っ張り歩いて田原町の早桶やまで連れていく、その道中が聴きどころ。
朝湯に入って流しをとって、さっぱりしたところで冷奴で迎え酒、おこうこパリパリ、白いご飯がうまそう、代金はみんな若い衆に“立て替え”させて、花屋敷(入ってみるかい?)、瓜生岩子の銅像(エライ人だよ、おがんで行こう)、十八間四面の本堂でご本尊の一寸八分の身丈に思いをはせ、仁王さんの力コブに感心し、鳩が豆鉄砲食ったってうまいこと言うなあ、仲見世では子供の頃の「アレカッテこれ買って」の思い出、紅梅焼き、雷門を出るとチンチン電車、ボギー車も来るんだ、、
吉原から浅草寺境内を抜けて田原町まで、目の前に現れるあれこれを次から次へ言い立てて、騙されちゃいないかと不安が募る若い衆を胡麻化し続ける。
こりゃあ、頭と口の回転が良くなきゃできない。
ほら、あそこの早桶や(棺桶屋)、あれがオジサンの家だ。
ここで待ってろ、いまオジサンに(金を)こしらえてくれるように頼んで来るから。
大きな声で「おじさ~ん!」小さな声で「あそこにいる若い男の兄が昨夜腫れの病で死んでしまって、なんしろ大きな男が腫れあがったものだから、早桶も普通の大きさじゃおさまらない」大きな声で「(特別に大きなのを)こしらえてくれますか!?」
お~い、よかった!こしらえてくれるそうだ。
若い衆をおいて、自分はさっさとドロン。
出来上がった”図抜け大一番”、扇遊が話すとほんとに図抜けてデカイ。
若い衆、泣く泣く早桶を背中にしょって吉原に。
落語に登場するなかでも悪さでは居残り佐平次と双璧、いや佐平次よりずっと悪い男。
その悪さが滑稽にとどまりどこか憎めない男にしないと後味が悪くなる。
それには”浅草ぶらり旅”の部分が楽しくなければならない。
一夜の享楽、明けてぶらりぶらりと朝の浅草を流して行く、あの無責任な放蕩の気分、やったことはないが一度はやってみたい気分じゃないか。
男が吉原から浅草のもろもろをほんとに好きでたまらないという感じが俺にもうつって楽しい。
冒頭の若い衆と男の駆け引きから扇遊は熱演、途中で息切れもせず楽しい気分を持続させてくれた。
若い衆には気の毒なことだったが。
順番が逆になったがろべえ「初天神」
喜多八「あくび指南」
あくびを習う八五郎のヒョウキンさ、軽さと、あくびなんてものを指南してる癖に仏頂面、難しげな師匠(いい女を女房にしやがって)といい対照。
鯉昇「武助馬」
とぼけたドタバタ劇、その面白さは今の流行りの面白さじゃない。
飄々とやって味がでるのじゃないか。
鯉昇の笑いとちょっとずれるかもしれない。
喜多八、鯉昇、ともに楽屋落ちのようなマクラを長くやった。
俺は少し飽きた。
「付き馬」は去年落語会で演ったので、ほとんど覚えていますよ。
「落語の三悪」が出てくる楽しい噺です(笑)大好きな噺です。
わたしも早いかもね認知症^^娘に今のうちよろしく言っておかないと・・・
と、いう事はこの噺は明治以降という時代設定なのですね。
吉原は明治5年(1872) 「娼妓解放令」で閉鎖されたものと記憶していましたが、行き場のない遊女は私娼となり、かえって問題化したため明治8年にすぐ復活し、戦後のGHQによる公娼廃止まで続いていたそうです。
今でもこの辺りには特殊浴場とかありますから、現代の噺でも可変しくはないのですが、てっきり江戸の噺だと思っていました。
扇遊師匠の「付き馬」は、いったいいつごろの噺だったのでしょうか。
危ないのは、あ・た・し。
シャレなのか、間違えたのか。ほかの噺家では出てこないのです。
勘定が27円、銭湯がいくらだったかなあ、冷奴で一杯が75銭だったか、それはいつごろでしょう。
柳朝の「付き馬」では勘定を言わず、志ん朝では47円くらいのことをいってました。
落語の時代考証はいい加減です。
この三人会は結構好きなんですが、もしかすると中だるみかもしれませんね。芸達者な三人には違いないですがね。行けなかった者の僻みかもしれません^^
それと記憶違いかも知れませんが、かつての睦会は一人だけが2席演って3人で4席だったと思うのですが。
せっかく良いメンバーを揃えているんですから、勿体ないです。
呑みすぎかもしれない^^。
今回は喜多八、鯉昇が揃って「時間稼ぎにしゃべっている」というのを喜んで笑う客でした。
文章の調子がまるで落語そのものの語り調子で、なんともいえないステキな気分になるのですが。
私は横浜ですが夫は東京で、地方のひとが聞いたら唖然とするほどのべらんめえです。