分裂病患者の抱える恐怖について想像したことがあるか 野村進「緊急精神病棟」(2)
2011年 08月 08日
分裂病(医師たちは統合失調症とはいわない)は人種や民族に関係なく人口比1%くらいの人が罹患する。100人に一人、ずいぶん多いと思う。
そして「分裂病症候群」と言った方が正確な病で症状や原因も人によるという。
日常生活を普通に送っている人も多いそうだ。
分裂病は治らないというのは間違いで現在は早期に適切な治療を受ければ大半の患者が通常の社会生活が営めるようになっている。
センターに入ってくる若い人は、親にとっては手がかからない“いい子”ばっかりなの。“いい子”だから親に頼みたくても頼めなくてそうなっている部分があるわけ。そのことに親はまるで気づいていないんだよね。それと、親の期待度が高すぎる場合が多い。(看護士)分裂病患者はその家族にも恐怖を与えるがなによりも本人が恐怖を感じている。
「変容した世界が襲いかかってくるような」外側からの恐怖にさいなまれながら、おまけに得体の知れない衝動が蠢き、突然つき上げてくる内側の恐怖にも立ち向かわねばならない。
俺は本書に描かれるセンターでの医師やスタッフの毎日を読んで妻が最後にお世話になったホスピスを思い出した。
ホスピス勤務の経験のある生命倫理学をも学んだ医師の言葉
ホスピスの患者さんよりも、ある意味でセンターに来る患者さんのほうが苦しいと思うんだよね。家族としてはどうだろう?
死は誰にでも訪れる当たり前のことだけれど、分裂病は違うからね。
ジャンヌ・ダルクは今なら分裂病と診断されるだろうと浅野誠医師は言い、
だから、分裂病の人たちは人類に必要な人たちで、抹殺してはならない人たちなんですよ。あえて誤解を恐れずに言えば、彼らは神々の末裔であり、その血を絶やしてはならんと僕は思います。と言って照れて苦笑した。
精神科医は、診断という厳密に「私性」を棚上げしなければいけない行為をする一方で、診断を下した直後から、百八十度方向を変えて「私性」の極めて濃厚な世界に飛び込まなくてはならない。たとえば、救急処置室で病的な妄想を繰り返してやまない、目の前に座っている人に、ある診断を客観的に付けたあと、すぐに切り換えて、その人が抱いている恐ろしさに全身で共感するような、二つの矛盾した行為に引き裂かれるのである。医師の中で自殺率が一番高いのは精神科医だという。
日本の精神医療の前進を阻んできたものとして、厚生省・厚労省の官僚や長期収容型精神病院の経営者がもっぱら槍玉に挙げられるが、地域住民、つまりわれわれ一人一人の、精神病と精神病患者、もしくは精神障害と精神障害者に対する意識こそ、厳しく問いただされてしかるべきではないか。筆者はセンターに一週間居続けた後、電車に乗って何を感じたか?
(オチビはみんなにかばってもらってる)
精神病院を、われわれのいる世界とはまったく別の“異界”とみなし、そこにいる患者たちを“異人”と決めつけることに、何の疑いも抱いていないのではなかろうか。
何がおかしいのやら、ひとりごとを言いつつ、にたにたしている青年、空咳をしては、そのたびに頭を激しく左右に振るスーツ姿の男性、乗降口にぺたりとしゃがみ込み、うなだれて、ヘッドホンから流れる音に聞き入っている茶髪の男子高校生、、。
それは「地続き感」だった。
「こういう十年とか二十年とか、あるいは三十年とか、それだけの期聞をかけないとできない研究って、山ほどあるわけですよ。そして、大企業にはこれができないんです」(200ページより)... more
彼女から話をききましたが、よほどの使命感がなければ入れない世界だと感じました。
一番印象的だったのは、アメリカの精神科医は、必ず他の精神科医にかからなければならないという法律があること。
確か1週間に1回だったかな、、(うろおぼえです)
それって使命感じやないかとも思うんだけどね。
人類社会の最低の義務みたいに考えている医師です。
肉体より心の方が崩れると恐ろしいですね。
友人の元看護士さんがM病院に勤めていたのですが、すっかり精神的に疲労して定年5年前に辞めてしまいました。
精神科医が自殺率が1番高いというのが何ともやりきれません。
ジャンヌ・ダルクの分裂病の話には驚きました。
ジャンヌ・ダルクは火あぶり、かつてナチスなど精神障害者も強制収容所にいれたし日本の精神病院にも収容所と変わらないようなところが多いと言います。
>それは「地続き感」だった。
私もそう思います。
世の中にはいろんな人がいる、肌の白い人も黒い人も、髪が赤い人も、白い人も(ただ老けただけ ははは)
愉快な人、気難しい人
それと一緒だと思います
ダウン症の子供たちを見ても、そう思います
だって、一体何がスタンダードで何が普通、なんて誰が決めたのですか?と言いたくなるもん
ただ、そういう失調症の人達、本人が自分の意識が少し変わってると言うことで、確かに強迫観念とかあるようです
それがどうして起きるのかわからないけど、それはとても気の毒だと思います。
時限爆弾抱えてるようなもんで、私たちだったら、ちょっと気分が妙でも、まあそのうち治るでしょうとか思うけど、彼らは即、自分は病気と言うことに結びつけざるを得ないでしょうから
身近に失調症と判断された人がいます。
私も
>あえて誤解を恐れずに言えば、彼らは神々の末裔であり、その血を絶やしてはならんと僕は思います。
そう思うのです。
神様が何かとてつもないタレントを授けた人たちなのではないか..とね
ほんとに差別は嫌です。
嫌と言いながら自分にもそういう気持ちが皆無とはいえないことが哀しいです。
かつて商業施設の経営に携わっている時、私はその施設の理念を“共生”におきました。
なかなか理解してもらえませんでしたが。
子供を育てながらは辛かった。最終的に子供の視線がその人と同じになって、
「この人に寄り添って生きるには子供は持てないなぁ」って思いました。
我が子と同じだけ気を費やさなければ、彼等の心は愛で埋まらない。
きれいごとじゃないからね。
島尾俊雄の「死の棘」などの精神病の妻との日常を描いた小説を読んで子供たちの凄絶な苦しみに慄然としました。