間違ったことをしているのか?
2011年 08月 04日
そんな時ではないことは承知していながら。
薔薇、または陽だまりの猫さんの中に載っていた矢ケ崎克馬教授の「内部被曝隠しと安全神話―被爆者切り捨てを再現させてはならない」という講演記録の要点をまとめてアップしようと記事は作ったのですが、、。
福島のお母さんなどが読んだらどうなんだろうと思ってアップしないでいました。
しかしやはり大事なことだという気もします。
要点のまとめはやめて記事の紹介だけします(強い意志のある方は敢えて長い文章でも読まれると想定して)。
放射能の影響についてはさまざまな考え方があるから矢ケ崎教授の考え方をそのまま認めない学者も大勢いることもお含みおきの上関心のある方はお読みください。
そう書きながら、やっぱり自分自身が確信をもたない、持つだけの学識もないことについて引くことにためらいは残っています。
まあ、そんなことを言えば私のブログなんてほとんどそんな記事ばかりではあるのですね、実際のところ。
いつかそのことについて「いい加減なことを書くな」というコメントを頂いたこともあります。
すぐに削除されてしまったので私の返信だけが残っていますが。
ほんとにどうしたらいいのか、悩みます。
世の中、悩まずに何もしない人沢山、悩んでできない人も沢山、
悩みながら出来る人も沢山、じゃぁ、そぉしましょうよ、
悩まず出来る人も居るってことね、それがいいかなぁ、
ひょっとして、それ脳天気ってゆうんじゃぁ...ま、いっか、
陽だまり猫さんのブログにはたまげました。穴の中に入りたいくらいに。
悩みと言ってもお気楽な悩みです。ったく。
もっとも地元にいて私のブログを読むような方はとっくにこの程度の知識は知った上で苦悩されているのかもしれませんが。
saheiziさんが悩む気持ちすごく分かります。事実を事実として
知らせる事が一番。なんて私は割り切れません。
人間の理性ってそんなに簡単に割り切れるものなのですかね?
子供を授かるって人生の中で最上の喜びの一つですよね?
でもそこに常に不安が付きまとう、子供の具合が悪くなる度に
”やっぱりあの時のせいかな?”と自責の念にかられる。
ワクチンのような物があってこれを打てば大丈夫ですよ。という
対策があるのならまだしも、事実は全く解決策のない闇。
この情報を本当に自分の大切な人に突きつける。という風に想像
したら私はやっぱり悩まずにはいられません。
結論を出すまでもがき苦しみ、その後だって何度も逡巡し続ける
それくらい辛い”宣告”のようなものだと思います。
それなら書かなければ良かったとも思いますが書いてしまった。
読んで苦しむ人がいたら(いるでしょう)!
社会に向けて発言するということはたとえ人の文章の引用紹介であろうともちっぽけなブログであろうとも厳しい心の負担を覚悟しなければならないと思いました。
私はね、ブログとの出会いは一種の必然があると思っています
そのブログに出会うってことは、それを読む必要があったのだと
だからと言って、何でも吐きだしていいとは思わないけれど
最終的に自分が考えて考えて、誰かを傷つけたり、誹謗したりする意図がないのなら、書いていいのだと思います
私は、きれいな嘘より汚い真実を知りたいと思います
その姿勢で書いているので、私の文章を不快に思う人もいるかもしれませんけど、その自分の姿勢を崩したら、私のブログでなくなり、ブログ自体が意味のないものになると思うので、やりません。
saheiziさんの様に、特に考えて、選んで書いていらっしゃるのだから、saheiziさんのその視線で書き続けて欲しいと私は思います。
どこにも、なぜだかそういう非難をしたい人っているのですよね
でもそういう人を相手にしてると、せっかくの凛としたブログの芯がぶれるような気がします。
根拠もないのに虚偽の情報で多くの人たちを被曝させて平気な顔をしている政府やメデイア・学者がいるかぎり反対側の情報も伝える意味はありますね。