ストレステストで老朽化の危険はどのように評価されるのか
2011年 07月 12日
それは子供の積木細工みたいなものだ。
ほら、お城があって、その周りに塀があって、その又外側にもっと高い塀があって、その次は濠があって、、だからお姫さまは安全だといってるようなものだ。
田中三彦は、燃料被覆管、圧力容器や配管、格納容器を三つの壁というけれど、それはもともと原発が本来の目的を達するためのもので
「やかんは熱い湯が外にでないためにある」というようなものだと冷やかしている。
田中三彦「原発はなぜ危険か」は
たとえば圧力容器そのものが破局的な破壊をしたならば、その鋼材の破片はミサイルとなって瞬時に飛び散ることになるので、格納容器の数十ミリの壁は難なく貫通してしまうであろう。格納容器はまったく役立たず、ECCSなど緊急冷却設備なども無力化する。炉心は露出し、それこそ数万人の死亡者を出す大災害へと発展してしまう(藤村理人)という文章を引き、
原子炉圧力容器そのものの瞬間的な破壊ー脆性破壊ーという事故の可能性があることは、原子炉圧力容器の専門家ならだれもが承知していることである。(略)どんな原子炉圧力容器も、程度の差はあれ、時とともにもろく危険な状態になっていく。原子炉が継続的に中性子被曝する「中性子照射脆化」と言われる現象については最初からわかっていたのだという。
脆性破壊は温度の低下によって発生しやすくなる。
脆性破壊が起きる温度(NDT温度)は原子炉製造当初はマイナス12℃から4.4℃に調整されている。
その温度が運転開始後徐々に上がり始めるのだ。
たとえば玄海2号機は56年3月の運転開始時にはマイナス25℃になっていたものが57年2月には7℃、60年1月に8℃となっている。
美浜1号機に至っては運転開始後2年半で104℃も上昇している。
原子炉は緊急時にECCSが作動し一挙に冷たい水が流入する。
冷たいコップに熱湯をいれたようになる。
したがってNDT温度の規制値は厳重に守られなければならない。
はずなのに!
アメリカでは議論の末にその規制値は緩和されて、それを受ける形で日本でも緩和された(1986年)。
問題は、その過程で多くの専門家たちが関与したはずなのに、
一人として批判的な意見はなされなかった。(略)1989年に出版された本書で田中が指摘したこと。
いかなる問題を前にしても、国や有識者、電力会社、原発製造メーカーの見解はつねに一つの方向にまとまり、けっして”内輪もめ”といった醜態をさらすことがない。(略)
この機械的な反応、無人格性、無批判性こそ、この先わが国で原子力発電が継続されていく際の最大の危険要素かもしれない。
6月に安全宣言が出され(菅も承知の上で)、今度はストレステストが再稼働の条件だと言い、今週中にその内容を詰めるという。
田中の指摘した原子力村の、機械的反応、無人格性、無批判性は克服できるのだろうか。
人を代えなければ、せめてリーダーだけでも代えないでどうする!
駄々っ子のような菅を宥めるだけのテストなど積み木遊び、または単なるアリバイ作り、通過儀礼化して有害でしかない。
老朽化に伴う脆性破壊についても納得のいくテストが行われきちんと公開して欲しい。
大学で習ったそのすべての哲学が「100年確率」という「基準」を空しく覚えます。
だって、大学ですべて教わった「基準」が「過去知りうる100年」の経験工学でしかありえない「100年確率」なのですから。
せめて、先鋭の科学技術を統合した「未来20年確率」の知見がありせば・・・?