凄くておかしくて、どこか哀しい中国 ピーター・ヘスラー「疾走中国 変わりゆく都市と農村」
2011年 07月 11日
第一部は万里の長城に沿って北京からチベット高原への長距離ドライブ紀行だ。
辺境の地、衰退した老人と子供だけの村。
テントと食料をレンタカーに積んでの冒険旅行。
政府の開発計画や国際機関による環境対策が笊に水を汲むように現地ではスローガンの看板しか残っていない。
第二部は北京郊外での田園生活。
住民わずか150人になってしまった寒村が車社会の到来とともに急激に変貌する。
家を借りた一家との心温まる交流、その一家が豊かになるにつれ不幸にもなって行く有様を優しい眼差しでみつめる。
「ケーブルテレビ年」を迎えた2005年以降、子供はジャンクフードを片手にテレビを見ることしかしなくなった。
つい最近まで極貧だった村では人々は食べられるときに食べていたのだし、せっかく買ったテレビは見るためにあるのじゃないかと。
レストランを起業した父親は酒を飲み夜遊びもし煙草をやめない。
中国の男性にとってタバコは「関係(こね)」の機微を正確に表すのだ。
一本勧めるか、勧めないか。勧められても受けない選択もある。
400種を超えるタバコは嗜好というよりそれぞれ独自性と固有の意味合いを持つ。
農民は「紅梅」の白箱、「紅塔山」は平均的な都会人、ほどほどに成功した起業家は「中南海ライト」、外国好きな実業家は「ステートエクスプレス555」、にわか成金は「中華」をスパスパ、もっとも高級なのは「熊猫」。
喫煙は職業活動のひとつなのだ。
なによりも家族の絆が問題だ。
中国に長く住めば住むほど、私は人々が急激な変化をどう受け入れていくかが心配になった。(略)著者の住む村でも法輪功が急激に広がり弾圧される。
西欧メデイアは中国の政治や劇的な事件に関心を寄せ、農村暴動など不安定なリスクをとくに大きく報道する。だが私の見るところ、個人の内面的な動揺こそ、もっとも深刻な問題ではないか。人びとは探し求めている。ある種の宗教的、哲学的真実を希求している。他人と意味のあるつながりを持ちたいと願っている。直面する問題の解決に、過去の経験をどう生かせばいいのか。いまや親と子は別の世界に住んでいるようであり、結婚も複雑だ。一緒にいて幸せそうな中国人夫婦を、私はめったに見かけなかった。これほどのスピードで変化する国で方向感覚を失わずに生きていくのは、不可能に近いかもしれない。
共産党書記の力の実態、どうしたら党員になり書記になれるか、そうすることの御利益とは何か。
第三部は浙江省の小都市・麗水が急発展していくさまを、ブラジャーリングを作る工場を舞台にリポートする。
労働者も経営者も、功利的向上心に富み、自分の才覚を頼りに、がむしゃらに前進する。
政府を頼るのはどうにもならなくなった農民(犠牲者)だ(頼っても意味はないのだが)。
行政は道路などのインフラ整備(教育・人材育成などよりも)に狂奔する。
その金は農民などの土地の低廉買い上げ、それを高値で売るところから出てくる。
賄賂も珍しくはない、役人の腐敗を嘆く人は多いけれど、当局はいつか仕方がないとあきらめるように責任の所在をあいまいにするのがうまい。
人びとは村の集団主義を脱し、自分自身で決断し、問題を解決できるようになっている。とはいえ、個人が得たこの力が社会全体の問題の解決に生かされるまでには、もう一段階を踏まなければならない。(略)自分たちはシステムによって成功を阻まれていると中・上流の階層が気づいた時点で、中国は変わるだろう。
問題は
人が意志の力だけでできることには限界がある。ブラジャーリングのようなごく簡単なものを作る場合でさえ、システムや教育の欠如が問題を起こすことがある。より大きな問題は、中国は低採算商品の生産から一歩進んで、創造性や技術革新が必要な産業を育てることができるかどうかにある。ヨーロッパやアメリカの産業革命は労働力の不足が背景にあったが、今日の中国では、出稼ぎ労働者の人口は毎年1000万人ずつ増えている。
三部構成のどれもが、あたかも物語や映画を見るようにエピソードによって生き生きと語られる。
著者が異邦人としての限界を感じつつも人間同士の視線で中国人のコミュニテイに溶け込んでいるからだ。
ユーモアと少しの皮肉も楽しい。
栗原泉・訳
白水社
一緒にいて幸せそうでない夫婦・・意外です。
中国についてはいろいろな人が書いていますが、こんな中国の問題もあるのですね。
大きすぎる国の宿命でしょか?功利的に考えがちですね。
何時か、壊れたときが怖い!!
でもインターネットが普及し、あらゆる情報が得られるようになった今、世界を知ってしまった若者達と国とのスピードがあまりにも違いすぎるって思います。
にタバコを勧めタバコに火を点ける、”タバコタイム”
があって、奇異に感じていたのですがなるほど、タバコにはそういう意味合いがあったとは!!
あれだけ大きい国ですから当然ながらビールも青島だけではないんですよね・・。
私は禁煙はできるという理由に「煙草をつきあう」ということないから、と言いましたが、中国ではそうはいかなかったのです。