政治家だって満更捨てたもんじゃない? 林芳正・津村啓介「国会議員の仕事 職業としての政治」
2011年 06月 27日
津村啓介*1971年生、岡山県出身、7年間の日銀勤務(途中オックスフォード大學経営学修士)、03年衆議院議員、07年世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaders、09年内閣府大臣政務官、現在民主党統括副幹事長(与謝野大臣補佐役)
二人の政治家が、どんな動機で政治家を志し、どのようにして政治家になったか、政治家になってからの仕事はどんなものだったか、議員生活の実際(日常、生活費、、)はどんなものか、などを具体的に交互に書いている。
橋本政権の行政改革、小泉政権の誕生、安部政権から政権交代まで、ここ数年のめまぐるしくも下降の一途をたどった政治、林は与党から野党へ、津村は野党から与党へと激変する中で、どう考えどう行動したかがはっきり述べられて共感することも多い。
とくに政権交代は必然だったという林がかつて自民党は激しい権力闘争を繰り広げながらも、次のリーダーを競わせ、育てることを大事にしていた伝統が、小泉時代をもって潰えたこと、郵政選挙や民主党の「政権交代選挙」が小選挙区制度とメデイアの演出する「劇場型政治」に堕してしまったことを憂えて、政治家は自ら政策を勉強してその場しのぎの人気取りに走るのではなく、歴史の審判に耐えうる言動が求められるというのにはまったく同感だ。
菅が「『子ども手当』の乗数効果は?」という林の質問にまともに答えられず、それは「乗数効果」と言う経済学の初歩的な言葉の意味を知らなかったことに起因するのに、それを認めず消費性向のことを答えたりしていたずらに国会審議時間を空費したことがあった。
それに象徴的に示されるように、民主党の大臣たちは「政治主導」と言いながら主管する業務を徹底的に勉強することがないから、かえって官僚の信頼も失い国政が停滞し「政策不況」すら招来しているという指摘、津村も正直に自分たちがまだまだ勉強不足であることを認め、小沢=福田で構想した大連立には乗るべきだった、そうすれば民主党議員は自民党議員からいろいろ吸収出来て政権交代がもっとスムーズにいったはずだという。
大連立がならなかったときに小沢が「民主党にはまだ政権担当能力が備わっていない」と漏らした発言に林は「本音だ」と思ったそうだ。
いつだったか参院予算委員会で「なにか政治的な目標を立てたならいつまでにやるかを明確にして、そこから逆引きで必要な手続き・準備を計画して人・モノ・カネを用意しなければならない。それを漠然と“一生懸命にやる”とか“政治生命をかけてやる”という意気込みだけで取りかかるからいつまでたっても成果があがらないんだよ」というようなことを噛んで含めるように諭していたのは林だったか、俺はその通りとうなづいたものだ。
市民運動、労働運動、弁護士活動そして野党生活、いずれも権力側のやることに批判していることが習い性となって主体的に目標を設定してその実現をマネージメントすることが無かった人たちの弱点だと思う。
アンチ自民党の集まりにすぎない民主党が、きちんとした綱領の元に結集し実現可能な整合性のあるマニフェストをじっくり作り上げることが必須だ。
自民党も民主党もこのままではダメだということ、小選挙区制度、二大政党など理想とかけ離れた現実になっていることにたいしても二人とも危機感を共有している。
彼らのような政治家が腰を据えて政界再編・政治改革に邁進して欲しい。
煽情的な週刊誌や皮相なテレビ報道とは違った深層報道?だ。
政治家を目指す人、政治家になったものの何をしていいか分からない人たちにも有益な本だ。
テレビにしょっちゅう出るのも必要なのかもしれないが、できたらその時間を勉強に当てて欲しい。
中公新書
出てくるのか? ・・・・・・・
新しい力が育ってくるまでは。
この意見、本当にそう思います。最近の政治家の発言ですごく
嫌なのに、何故か誰も指摘しないのが
”スピード感を持って”
スピード感?速い感じ?の事なのでしょうか?
日本語としての成立するのか云々は置いても速いと感じる
か否かなんで結局は主観の問題で。そんな表現を使う人
はそれだけでまったくあてにできません。
○○的、とか○○みたいな、などと、私もときどきやってしまうのです。
話はそれますが空気感と言う言葉にも抵抗を感じます。
亡妻が入院した頃、旬でずいぶん食べさせてやりました。