懐かしい不条理 小三治の「馬の田楽」末広亭下席・夜の部

東京ではエスカレーターの右側が歩く人のために空けてある。
大阪から広島あたりまで(その先はわからないけど)は、反対、左を空ける。
福岡に行くと又右を空ける。
名古屋はあっち見こっち見、右と左でウロウロするのがいかにも名古屋独特の中間文化。
そういえばイギリスは関西流だったっけ。ソウルでは?NY?パリ?覚えてない、というよりそういう観察をしなかったなあ。
エスカレーターでは歩かない国も多いかもしれない。

二階も通路も満員(昼ごろ電話したらそんなに混みませんよ、という末広亭のお姉ちゃんの言葉を真に受けず昼席に来て良かった)の客は小三治のひと言、ちょっとした仕草、わずかな間を見逃さず、どっと笑う。
えー、それだけの話で、こういう枕からなにかネタにうまく滑りこめないかと思ったけれど、、ないです、、この噺はなかったことにしてください
どっ!
エスカレーター=スロープというつながりから九段坂の話、
明治・大正のころまで東京では九段坂が一番急な坂だとされていました。
市電の車掌が降りて滑り止めに砂をまいたという話から馬車の話、坂の下で馬方が馬に坂を見上げさせて「いいか、これからここを上がるんだぞ、いいな」と、人馬一体、心の通い合いを語る。
そうしてネタへ。
やあ、御苦労だったなあ、暑かったなあ、、荷物ゥ降ろしたかんべがも少し勘弁してくんろ。
三州やの注文で峠二つ越えて持ってきた味噌だる二つ、しかと三州屋から受け取りを貰うまでは荷物降ろせないから、と馬を労わる馬方。
あくまで晴れ渡った夏の田舎が目の前に現れる。
じじじじじ、社の森の方から蝉の声がきこえて白い雲がもくもくと。

メンコに興じるガキたち、
ええか、山を二つも越えてきたで気が立ってるからメンコに飽きたからと馬にいたづらしてはなんねえよ
言い聞かせて三州屋の土間に入ると、おやまあ、天井が高くてなんと涼しいことか。
三州屋のオンジー!いねか?
呼べども答えず森閑とした家の中。

ホレ、そんなに甘えるでねえ、待てっちゅうに、そんなに前がけすっと土が掘れてオラが怒られるだから、、ははあん、オラが見えるから甘えるのかな、、閉めてしまえ、(土間の戸を閉めると外の音が聞こえなくなって薄暗い空間が広がる)ちいとばか、座らせて貰うよ、なんとも立派なケヤキかな?楢じゃねえなあ、この木目のひとつひとつに疲れがす~っとしみこんだいくようだ、、(目をつむりそうにして)いけねえ、油断してると、あっというまに寝ちゃうから、、
結局、目が覚めると「長げえ針がくるっとひとまわりしている」。

奥から出てきたオンジー、トラさんの御前様(笠智衆)みたいなしゃべり方、
ずっと前からあんたが来てたのは知ってたけんど、うらでデエコのタネまいてたもんでなあ、ほれ、土が黒かろ、デエコのタネも黒い、途中でやめるとどこまで播いたか分からなくなるもんで、、
店番代わりに待たせておいたって、その上受け取りのカキハンをみたら四角に三の字、これは三国や、うちは丸に三の字、間違いだって、そりゃないよ。
懐かしい不条理 小三治の「馬の田楽」末広亭下席・夜の部_e0016828_1301257.jpg
(2年前の春・馬事公苑)

半べそかいて外に出ると馬がいない。
近くにいたガキに尋ねると案の定、メンコに飽きていたづらして尻尾の毛を束にして抜こうとしたから棹立ちになって駈けだして行ってしまったと。
オンジーはのんびりと
チイせェものじゃなかんべ、そこらへんよく探してみろ
もう!ああ、可哀そうに重てェ味噌だる積んで走り出したらまいってしまうでねえか
馬、行かなかったか?
立て場(休み所)の婆さんは
お陰さまで年い取っても目もいいし耳も良く聞こえる
と言いながら「馬、行かなかったか?」「芋の子に味噌つけるってか」、、らちあかん。
次いで出会った男、「馬、行かなかったか?」「おらは気が短いからな」と言いながら延々と朝から今までの自分の半日を語り
というわけで今さっきここにきて明日の天候はどうだべなと空ァ見てたから、馬ァ、来たかどうか分からねえ
ええもう!早く言えっての。

次にあった男「馬、通らなかったか?」
とっとっとっ、、
どもって
と、と、とっ
「通ったのか!」
っ通らなかった!
泣けてきますよ、ったく。

ォ、あっちから来るのは寅十でねえか、「お~い、寅十~!」、長い田舎道の坂の向こうから寅十がいいご機嫌で鼻歌歌ってやってくる。
昼酒飲んで出来上がってる、そんな男が村には一人くらいいてもいいのかも。
「馬知らねえか?」「馬あ?顔が長くて四足でひひ~んと鳴く」「違うよオラが馬だ」「誰の馬でも馬に変わりはねえ」「ええい、味噌、着けた馬だ」
はあ!オラも長いこと生きてるけんど馬の田楽ゥ食ったこたあねえ
3年も前に同じ小三治で聴いた「馬の田楽」。
そのときも感じた、不条理の世界。
不条理は不条理でもシーベルト星人が支配する不条理とはまるで違う。
いわば懐かしい、人の根っこにある不条理の世界だ。

やはりエネルギーの源=馬に対する感謝と労わりの気持ち。
落として行くものだって肥料にも燃料にもなるじゃないか。
懐かしい不条理 小三治の「馬の田楽」末広亭下席・夜の部_e0016828_12514771.jpg

他は良かったのは
さん喬「天狗裁き」
繰り返しの冗長さをギャグの多用で救って流石。
燕治「もぐら泥」
この人は顔そのものが丸くて眉毛が濃くて、もぐら泥まんま、って俺ももぐら泥を見たことがあるわけではないけれど。
市馬「カボチャや」
始めのうち、とうとうこの人これでおしまいかと思うほど詰まらなかったけれど長屋に行ったあたりから面白くなってきた。やはり得意な与太郎噺。
でもこのままでは前途多難な感じはした。
志ん輔「強情灸」
いかにも志ん輔らしいと言えばそうだがちょいと力みすぎ、一本調子だったかなあ。
顔を真っ赤にして熱がるのはまさに熱演だった。



昼の部
和楽社中「太神楽」
文生「ずっこけ」
先日より良かった。

夜の部に入って
こみち「んまわし」
一生懸命、珍しい噺
世津子「奇術」
万窓「真田小僧」
蔵之助「佃島」
いっちゃ悪いけどまったく面白くなかった。
筋もギャグも芸も。
ロケット団「漫才」
ヒーローインタビュー、前に聴いたのより工夫して面白くなった。
歌る多「替り目」
酔っぱらった亭主ががなる声が甲高くて聴きづらかった。
種平「遺失物案内所?」
中トリだったが、そこそこに。
正楽「紙切り」
相会傘、ウサギのダンス、流鏑馬、佃島
うたじ・ゆめじ「漫才」
さん福「短命」
初めての噺家。
小三治主任のときはいつもいわば小三治一家みたいなお馴染みを揃えていたが今日は珍しい人が何人か出ていた(万窓、蔵之助、種平)。
会長になったからか?
その中でさん福が一番良かったかもしれない。
Commented by 小言幸兵衛 at 2011-06-24 18:54 x
いらっしゃたんですね!
凄い人でしたから、お互い気づききませんでしたね^^
『馬の田楽』、楽しみました。あの高座だけでもいい、という思いでした。志ん輔が自分の高座のことをブログで、なるほどと思う内容で振り返っていますね。
ともかく無理して行ってよかったです。
Commented by 歌る多 at 2011-06-24 20:50 x
甲高くてごめんなさいね
Commented by mama at 2011-06-24 21:29 x
このスゴイ顔ぶれはなんだ!とびっくりしていました。きっと早くから満席になってしまうだろうと諦めましたの。いらしたんですね、いいなあ~。(そのかわり朝日名人会で小三治の「青菜」をたっぷり聴けました(^^)
「もぐら泥」って以前喜多八さんで堪能しましたが、柳家のネタなんですかね。
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-24 21:59
小言幸兵衛さん、去年までは昼も夜もフルに見ていたのですが、さすがによる年波で^^。
でも楽しかったです。
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-24 22:02
歌る多さん、普通の替わり目と違った工夫は結構でしたよ。
実際に大きな声で怒鳴らなくても酔っ払いのだみ声の感じは出るのじゃないかなあ。すんません、生言って^^。
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-24 22:04
mama さん、平日だと昼席と夜席の替わり目に席が空くので一人なら何とか滑り込めます。
昼の終わりごろ、4時頃おいでになれば座れますよ。
もぐら泥、あのとぼけた感じがいいですね。
Commented by kaneniwa at 2011-06-24 23:37
馬とエスカレーターの関連で思いつきました。
競馬場は東京競馬場(府中)が左周り(アメリカ式)
中山競馬場が右周り(イギリス・フランス式)
など全国で馬の周回の方向が混在していますね。

ついでに連想すると、電力不足でクローズアップされた
東日本と西日本の電力の送電の周波数の違いも、
最初に導入したドイツ式とイギリス式だったか、
そのフォーマットの違いだと聞いたことがあります。

そうなると日本は何かを取り入れる時に
すでに混在しつつ取り入れていますね。

BYマーヒー
Commented by poirier_AAA at 2011-06-25 05:47
パリではエスカレーターは右側に立って左側をあけていますよ。

わたし、何が悔やまれるって、日本にいる時に寄席に行っておかなかった事です。こちらで面白そうな話を拝見するたびに「行っておけば良かった」と思うのですよ。落語百選とか本やDVDは出ているけれど、やっぱり生で聞く面白さは違うだろうと思うんです。
Commented by 創塁パパ at 2011-06-25 07:14 x
佐平次様。おはようございます。
最近の小三治は、特に「目を見張るものがあります」
何かを、達観したのかなあ。他の噺家さんはまだまだ
後方ですね(笑)
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-25 09:28
kaneniwa さん、南方文化、北方文化、中国文化、経由も北、南、半島、、まさに内田樹のいうように辺境の文化だったのかもしれません。
>外来のものが正当の座を占め、土着のものが隷属的な地位に退く。
それは同時に男性語と女性語というしかたでジェンダー化されている。
これが日本語の辺境語的構造です。
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-25 09:32
poirierさん、鞄を持つ方を空けるのと守るのとの違いという説も聴いたことがあります。
パリにも寄席みたいなのがあるにはあるらしいですね。
でも日本のとは違うんだろうなあ。
私は田舎に住まない(住みたいのに)理由の一つが寄席にあるかもしれませんよ^^。
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-25 09:34
創塁パパ さん、たしかに。どうでもいいような世界に到達したのかもしれないですね。巧くやろうとか笑わせようとかを超えてしまった?
Commented by 旭のキューです。 at 2011-06-25 10:30 x
東京では、明治大正の時代まで九段坂が一番急な坂と名前の由来を感じました。人馬一体の話が実によかったです。
Commented by saheizi-inokori at 2011-06-25 11:14
旭のキューです。さん、今はどこが一番急坂なんでしょうね。
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by saheizi-inokori | 2011-06-24 13:03 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(14)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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