俺も乗ってみようかな 柳家小三治「バ・イ・ク」
2011年 04月 30日
震災の絆ってやつかな。
「ま・く・ら」は読んだことがあるが「バ・イ・ク」は未読。
凝り性の小三治がバイクに凝るきっかけ、バイクの楽しさ、ひとり旅もよし、噺家仲間で“転倒蟲”なるグループを結成して毎年北海道行脚をする冒険・滑稽談、毎晩寝る前に読んでいるとぜっこうの催眠剤だ。
”自転車が自動で動くようなもの”だから直ぐに誰でも乗れる。
自動車と違ってむき出しだから雨風、寒さが辛いだろう。
荷物を載せられないから不便だ。
あんなものに乗るのはよほどのモノ好き、しかもジグザクと自動車の前後左右に出没して危なっかしい上に物凄い騒音をたてやがって困った奴らだ。
そんなところが俺のバイク観だったが、読んでみたらずいぶん違う世界だ。
250ccくらいでもなかなか乗りこなすのには修練が必要、それをヨーロッパ・スタイル(と言われても俺にはわかんないけど)のナナハンまで人馬一体ならぬ人車一体で乗りこなすに至るのは師匠の芸熱心、いや道楽熱心だけではない、天賦の才もあったと思われる。
4ツ輪で見る視界がバイクになると、ずっと広がって風、空気の匂い、住む人の気持ち、町の佇まいがビビッドに感じられる。
自動車から見る景色は第三者で、バイクで見る景色は当事者だという万沢康夫の言葉を引いて名言だという
バイクの場合は、(自動車のように)のぞくというんじゃなくて、自分が風景の中に飲み込まれているというか、風景の中の一粒でしかない、そういう感じがするわけですねと、これは小三治の名言。
人間は生き物だった、ということを感じさせるのがバイク、師匠のバイクの旅には哲人の旅のような無常観やら人間観やらが横溢している。
それにしても小三治、伯楽、小さん、、高座でしかみてない噺家の皆さんがバイクに乗ってる姿ってなかなか想像しにくい。
着物を着て裾を翻して乗ってるんじゃないかと思ってしまう。
講談社文庫
実にリアルな生き物で、あれでこけたらとっても痛いのです。
人はあれぐらいで文明をストップしときゃよかった。
女性の一人旅も多いと書いてありました。
バイクはそれをエンジンの力で広げてくれますね。
自動車より遥かにマシだということは、私自身体験しているところですが、
徒歩に勝る移動手段はないと思っています。
「バ・イ・ク」も面白かったけど、前者に比べてもっと伸び伸びしていて、かつ高潔な感じがありますね。
あ、そうそう、「自然郷 」買えましたよー!!^^!
小三治は毎日同じ噺かもしれません。
どっどなたがお泊りになってサインをくださったのですか?
(コーフンしてわけがわからなくなっております)う
いいなあ×1000000000000です( ̄∇ ̄)