恋人は死神 金子みすゞの世界(4)
2005年 10月 16日
みすゞのことを書いたものを読んでいたら彼女の弟・上山雅晴氏の言葉が載っている。脚本家・作家などとして活躍、平成元年に84歳で亡くなった人。みすゞが愛し上京した彼に(彼女は生涯下関と先崎しか知らなかった。)「さらば、我らの選手、勇ましく往け!」という遺書を書いている。そう、病気に苦しむみすゞは詩作を禁じられたうえに離婚した夫から愛児・ふさえの親権を奪われ、明日ふさえを受け取りに行くといわれた夜に自死したのである。
それに先立つ3年前、意に染まぬ結婚を思いとどまるように弟は涙ながらに諫止する。そのときみすゞがポツリと答えたという。
「私の恋人はね、黒い着物を着て、長い鎌を持ったひとなのよ」命の価値、あらゆる存在に同じ価値を認めたみすゞがなぜ?いや、そういうみすゞだからこそ?分からない。
みすゞの最後の夜のこと。その本の記述だ。
みすゞは一人で写真を撮りに行き、帰りに桜餅を買いました。ふさえをお風呂に入れ、たくさん童謡を歌い、それからみんなで桜餅を食べたそうです。二階の自室にひきあげようとしたみすゞは、階段の中ほどで足を止め、ミチ(母)の床に眠るふさえの寝顔をのぞきこみました。「かわいい顔して寝とるね」 これが、最後の言葉でした。
「ふさえを心豊かに育てたい。だから、母ミチにあずけてほしい」という遺書をのこしていた。ふさえはみすゞが願ったように、ミチの養女となり育てられこう語る。
みすゞの娘とうまれたことを、喜びをもって語れるのも、不思議なみすゞの広がりのおかげと思います。結果を見れば子どもの心のために死んだのだ。しかしみすゞの本当の心の中は分からない。死の世界を最初から身近に感じていたのかもしれない。(この記事は矢崎さんの講演とは関係なく俺が読んだ本によって書いたもの)。
村田さんの本にちなんで。
犬
うちのだりあの咲いた日に
酒屋のクロは死にました。
おもてであそぶわたしらを、
いつでも、おこるおばさんが、
おろおろ泣いて居りました。
その日、学校(がっこ)でそのことを
おもしろそうに、話してて、
ふっとさみしくなりました。
彼が元彼女からこの金子みすゞの詩集を贈られたばかりにそれが出来ないでいる自分が哀れです・・・・・
足ぶみ、という詩の二、三連目、いいですね。
ひとりで青空見ていたら、
ひとりで足ぶみしましたよ。
ひとりで足ぶみしていたら、
ひとりで笑えて来ましたよ。
いいえ、天の上のどなたかから見たら、愛しい存在そのものでしょうね。