江戸の長屋に戻りやすかい? 小三治「猫の災難」 第513回「落語研究会」
2011年 04月 06日
幸いにして東電の社長ではないし、ストレッチでもして少しは楽しもう。
先月の末に行って来た落語研究会。
始まる前、隣の席の二人連れがそれぞれの震災体験を語り合っている。
こうしてここにいるということが大した体験ではなかったことの証拠だが、そこはそれ誰よりもスリリングな驚きの経験だったかを語りたい。
本人が夢中になればなるほど陳腐なのだが、いちおう「ほー、それは!」と相槌を打つ紳士もいるのだ。
立川志の吉「松竹梅」
長い枕、「東京の我々が元気になることが支援になる。合点していただけましたか」反応が悪いと「師匠の番組から使わせてもらいました」とますますウザイ。
ネタに入って、松竹梅のトリオがやる「なったあ、なったあ、じゃになったあ」がなんともヘタクソ、耳触り。
高校の落研クラスだ。
前にも書いたが立川流、ちょっと問題だ。
鬼丸「猿後家」
最初、お!これは、と思わせたが途中から息切れした。
噺自体がつまらない噺だからなあ。
志ん橋「搗屋幸兵衛」
志ん生の十八番、渋くていい出だしだと思っていると、長い長い、せっかくのいい調子がすっかりだれてしまった。
家を借りに来た搗屋でなくとも焦れてしまうぜ。
圓太郎「羽織の遊び」
上手なんだけど、それほど驚く巧さではない、普通の巧さ。
それなのに、その巧さが嬉しくて得意で、くどくなる。
家に帰って志ん朝のテープで同じ噺を聴いてみるとクスグリが多すぎて時間も長い。
クスグリなんてくすぐられそうと思っているうちが一番くすぐったくてグイグイくすぐられたら痛いくらいなもんだ。
小三治「猫の災難」
ふあ~、たまの休み、朝風呂に入ってきたけれど、後はやることがねえ、、、ああ、一杯やりてえなあ、、酒も金もナシ、、飲みてえなあ隣のカミサンが捨てるという魚、鯛(てえ)の頭と尻尾、ありがたく貰いうける。
一緒に飲みたくなったと、やって来た友達、酒を買いに行き、魚を買いに行き、なんと好い友達だろう。
友達が買い物に行っている留守に酒を飲んでしまう。
酔うにつれエゴイステイックになってくる。
エゴに身を委ねた酔っぱらいの笑顔の好いこと!
好いなあ、長屋のエゴイズム。
九尺二間、四畳半一部屋、バストイレなし、壁一枚、隣に話は筒抜け。
計画停電もなんも、暗くなったら寝るまでよ。
エゴったって、フクシマ源八さんとはてえした違いだ。
量り売りの酒、二人で五合って少なくないかい。
マクラに振ったエロメール「おっぱい吸って」が畳にこぼれた酒を「いっぱい吸った」、一字の違い、分かった人どれだけいたかな。
さすがの小三治ではあったが50分以上の熱演。
今日はみんな長すぎた(俺のブログはいつもだ)。
ルナールの蛇じゃあるまいし。
あ、そうか、「なったあ、なったあ、蛇になった」がいけなかったのか。
↑今31万円を超えてるぞ!
このところ、落語は毎晩iPodを聴くだけにしていますが、今週末はやっと小三治を聴きに行けます。楽しみです。あ、その前に日本橋の長講三人会ですわ。
人生の真実を語ってくれているような気がします。
じっと観察しているからか。
あぁ、佐平次さんだ!
やはり落語はいいね。
あまり巧くないのかな^^。